第15話 善性を問う
グルニエさんが魔女であるか否か、ブラックユーモアをきかせた「証明」で法廷内の空気は「是」に固まりつつあった。第一関門は越えたと捉えてよさそうだ。
しかし、僕は不安に思う。この裁判でのキモはここから先、つまり「グルニエさんが善なる魔女であり帝国に有益である」と証明することだ。魔術が使えることはわかっても、さっきの証明方法は悪手も悪手だった気がする。魔術学の権威に水を被せて大笑いするとか、弁解のしようもない。教授の振る舞いに神経を逆撫でする部分があったことは認めるが他人の不幸を笑うグルニエさんもどうかと思う。
そしてそれを裁判官がどう受け止めるか。握り締めた拳を開けそうにない。
「被告人グルニエ、私からは汝の性質を問う」
来た。エルドレッド裁判官が固い声質で尋問をする。後ろから見るぶんにはグルニエさんの様子に変化はない。足元の黒猫がもぞりと身体を動かした。
「汝の目の前に、沈みかけた船がある」
魔女裁判における善悪の判断は、場面を想定した質問をいくつか繰り返すのだと言う。「もし、こんな状況におかれたら自分はどうするか」――その回答パターンを蓄積して、国のために働ける善良なる魔女かを見定めるのだ。もっとも僕達人間に人の心を読む術はない。あくまでも言葉と振る舞いから判断する。それが真実であれ偽りであれ、だ。
「逃げ遅れた人間が二人。一人は名も知らぬ幼い子供、もう一人は汝の親族。汝が魔術を扱えると仮定し、その力で一人だけ救えるとするならば、汝は如何にするか」
究極の二択というのは僕達人間が生きる上で必ず突きつけられる難題だ。極限状態における判断力、私情を排除した選択をしなければならない。最高ではなく最善を、とはよく言ったものである。
グルニエさんはどんな答えを出すのだろう。僕は興味があった。
さすがの彼女にも即答できない難題だったのか。グルニエさんは考え込むように俯き、唸っているようだった。長考するグルニエさんというのも珍しい。少なくともスローストロークからの間、時間をかけて考えるという慎重さを僕は見たことがなかった。
「魔女であっても一筋縄ではいかない設問だったでしょうか」
そう言ったのはコストナー裁判長だ。ウィーズリー裁判官がちらりと裁判長に視線を投げる。
「もし回答が難しいようであれば、別の問いをします。ウィーズリー裁判官」
「……はい」
ウィーズリー裁判官は先程よりもやや強張った顔でグルニエさんに向き直り、発問する。
「被告人、あなたが魔術を扱えるとして、その力を失ってでも欲するものはありますか?」
「秘密だ」
グルニエさんは即答した。迷いなく、躊躇いなく。裁判官たちの表情に動揺が走る。
「回答を秘するという意味ではない。私は謎を暴くことに最高の愉悦を見出すんだ。知らないことを知りたいと思うのは、ほら、研究者の本懐だろう?」
急に視線がズィロー教授の方に向いたから、気の抜けていた教授には完全に予想外の事態だったらしい。あたふたと視線を彷徨わせながら、「ええまあ、そうとも言えるかもしれません」と当たり障りのない返事をする。話を聞いていなかったのがよくわかった。
「被告人、貴女は研究者と同質だと?」
「そこまで偉そうなことは言ってない」
裁判長の問いにグルニエさんは頭を振った。
「でもそうだな、さっきの問いで言うなら私は船を救うよ。何故その船は沈んだのか……そっちの方がよっぽどそそられる」
静寂。そのなかで青い鈴だけがちりりんと鳴った。その音が妙に澄み切って法廷中に反響したから、余計に僕は悪夢を見ている心地になった。
自分が何を言っているのか分かっているんだろうか、彼女は。元々グルニエさんにお行儀よくなんて期待していない。けれど何度も言い含めたはずだ、これは善良な魔女であることを証明する裁判だと! 一体全体どこの世界に「人間よりも船を助けます、だって秘密暴きたいから」と言う女を善良だと信じてくれる存在がいるというのか。
「……結論は出ましたね」
コストナー裁判長が険しい表情で告げた。
「貴女に善性を見出すことはできない」
「裁判長!」
厳しい判決を下そうとする裁判長を止めたのはウィーズリー裁判官だ。柔和な表情が先程から消えていたが、やはり切迫した様子に見える。追い詰められているのは彼であるかのようだ。
「判決を出すのは早すぎます、まだ十分な議論がなされていません!」
「ウィーズリー裁判官、貴方も今の証言を聞いたでしょう。彼女は我欲を優先すると言ったのです」
「ですが」
「この裁判を預かっているのは私です」
一際硬質な声が法廷中にこだました。ウィーズリー裁判官はぐっと唇を噛みしめ、俯いて黙り込む。反対側のエルドレッド裁判官はどうしたものかと様子を伺ってみるも、その粛然とした姿からは感情を読み取れない。ハーパー女史はあわあわと事の成り行きを震えながら見守っているようだった。
「判決を下します」
コストナー裁判長が木槌を振り上げ、叩き付ける――その瞬間が来ることはなかった。そのことに誰より驚いているのは裁判長自身だ。
「……な」
「貴様の言い分はよく理解した。だからこそ私と取引をしよう」
グルニエさんだ。憎たらしいくらい自信たっぷりの傲岸不遜な口調は相変わらず。木槌を振り上げたままの裁判長の腕はびくともしない。僕が魔女ニュインにかけられたような拘束魔術を使われているのだろうか。
黒衣の魔女は証言台で高らかに言ってのけた。
「この法廷が内包している秘密……それを私が暴いたら、おとなしく『善良なる魔女』だと認めることだ」
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