第14話 証明

「今回の魔女裁判の争点はふたつ」


 木槌を鳴らし場を整えてから裁判長が宣言した。


「一つは被告人が真に魔女であるか否か。一つはもし真に魔女であるならば、被告人は我が国にとって有害か有益か」


 有害か、有益か。そこが恐らく今回の裁判でもっとも重要となる部分だ。グルニエさんの魔術に疑いの余地はない。むしろ極刑が用意されている魔女裁判において、魔女を騙る意味はほとんどないのだ。グルニエさんは誰かを庇うために魔女を名乗っているわけでも、享楽でその忌み名を使っているわけでもあるまい。一月ほどのつきあいでしかないけれど、スローストロークの一件を目の当たりにした僕はそう考えている。


「この法廷は天秤を司る女神の加護を受けている。いかなる偽証、欺瞞も通用せぬものと思え」


 これは裁判における常套句だ。法廷で証言台に立つ者は、すべて嘘偽りなく証言することを誓約する――ここまでが前置きだ。


「では、第一の争点から検証を開始する。ウィーズリー裁判官」

「はい」


 柔和な表情を崩すことなく、しかし一切の隙を見せず、若い裁判官がグルニエさんに問いを投げる。


「被告人グルニエ。あなたが真に魔女と言うのであれば、その証明をこの場にてしてみせなさい」

「……それはここで魔術を使ってみせろということか?」

「その通り」


 ウィーズリー裁判官は首肯した。


「誰の目から見ても、魔術でしかなし得ない。その証明をするのです」

「誰の目から見ても……なあ」


 グルニエさんは証言台でしばらく首を傾けている。僕からはその背中しか見えず、表情はまったく読めない。足元の黒猫は動かない。さっきまですり寄って鈴を鳴らしていたのが嘘のように丸くなり、微動だにしないのだ。


「そうだな、ならはどうだ?」


 きっとそのときのグルニエさんは、笑っていたのだと思う。僕には真正面の彼女の顔はわからない。だがそのおもてがズィロー教授の方へ向いたとき、一瞬だけ僕にも横顔が見えた。彼女のワインレッドの唇は、不敵にその端が上がっていたから。

 これは悪い笑みだ。僕は瞬時に悟った。


来たれinvitare


 スローストロークで儀式魔術を――魔女ニュインを召喚した時に用いた、あの言語。正確には聞き取れないけれど似た響きだと思う。グルニエさんは儀式魔術を使ってみせるのだろうか。であれば、何を、どこに呼ぶつもりで?

 ズィロー教授の真上に魔方円が突如として浮かび上がる。羊皮紙や地面に書いたものではない。魔女ニュインが帰り際に宙に描いてみせたような独特の軌跡が淡く発光している。であれば、そこを基点に何かが呼ばれるはずだ。


「ぎぃやああああ!!」

「あっはっはっはっは!」


 ズィロー教授の悲鳴とグルニエさんの高笑いが響いたのはほぼ同時だった。魔方円から呼び出されたのはバケツ。それもひたひたに水が満たされた代物である。そんなものが突然宙に現れたらどうなるか? この世に働いている重力のため、バケツは地面へと落ちていく。その間の障害物ズィロー教授にぶつかる形で。


「ズィロー教授!?」

「思ったよりいい反応をするな、貴様は。存外感情豊かな顔をしているらしい」


 刹那、僕は理解した。これはグルニエさんなりの仕返しなのだと。魔女を軽んじ、グルニエさんを嘲笑ったズィロー教授への報復なのかもしれない。

 対して冷水を思いっきり被った教授は大層ご立腹だ。


「きっ、貴様、こんなことをしてっ……!」

「それで頭も冷えたろう、教授とやら。今のが湿っぽい手品だと思うか?」


 グルニエさんの言葉は自信に溢れていた。魔女裁判ではあらゆるものの持ち込みが認められている。だが、あのバケツはグルニエさんが身体に隠し持てるほどの大きさではなかったし、落ちてくるそのときまで法廷内にバケツはひとつも存在しなかった。宙に突然現れ消えた魔方円についても説明はされていない。

 だが、僕がこうやって言葉を並べているよりも、ズィロー教授の表情が結論を如実に語っている。ぶるぶると唇を震わせ――もしかしたら水を被って身体が冷えたせいかもしれないが都合よく解釈してしまおう――教授は二の句を継げずにいる。


「今のが、魔術なのですか……?」


 地味なハーパー女史が口を開いたのが僕には意外だった。係官がバケツと水を片付け、モップで掃除をしている間にも審理は続いていく。グルニエさんは悪びれず証言台でその呟きに応じた。


「いかにも。貴様らが見たい見たいとせがんだ魔術だ。満足したか?」

「……信じられない……」

「それを認め、善悪を判断するのが我々の仕事です、書記官」


 エルドレッド裁判官が落ち着き払った声で告げた。


「この間も『火刑の魔女』が史跡を焼き払ったでしょう。魔女は実在する」

「で、ですがならば尚更、より厳重に縛って裁判をすべきでは……」

「ハーパー書記官」


 コストナー裁判長が書記官を制する。


「これは皇帝のご意志、それによって定められた法律によるものです。その者を不当に拘束してはならない」

「皇帝は何故、そのようなことを」


 書記官、とウィーズリー裁判官が窘め、それ以上女史は喋らなくなってしまった。ここは公正な裁きの庭だ、一個人の感情で判決を揺らがせることがあってはならない。ハーパー書記官はその点まだ経験が浅いのか、未熟な部分を覗かせる。同じく若くして裁判官になったウィーズリー裁判官からはそういった匂いをまったく感じないのが不思議だった。

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