第13話 黒猫狂想曲
「めゃおう」
猫の鳴き声を
ちりりん、と黒猫の首輪につけられた青い鈴が揺れた。見覚えのある形状。それを見た瞬間、僕は一気に脱力する。
「……飼い猫は灰色の毛並みなんじゃなかったか……?」
僕は諦めて足元で小さく鳴く黒猫を抱き上げ、係官に説明する。彼女にどんな思惑があるのかは知らないが、ここは通らねばなるまい。
「すみません。この通り、変に懐いてしまったみたいで。引き剥がそうとしてもすり寄ってくるんです」
「動物の入廷は認められぬ。それは帝国の法律にも記載されていることだ」
「それは公開裁判の話でしょう?」
僕は毅然とした態度を取ることに努めた。
「魔女裁判は魔女の証明のためにありとあらゆるものの持ち込みが許されています。傍聴席だって同様のはずです」
にらみ合いが続く。膠着状態のままなら裁判所に関する法律の条項まであげる心積もりでいた。神聖騎士の入団試験を舐めないでほしい。帝国の主要な法律は当然試験範囲だ。
僕が条文を暗誦しようと口を開いたとき、係官は嘆息して扉を開けた。
「開廷する。入れ」
開かれた扉をくぐると、漂う厳格な雰囲気に思わず唾を呑み込んだ。裁判の傍聴も試験勉強の一環で経験済みだが、そう慣れるものでもない。物音ひとつ立てることすら咎められるような、鋭い空気が肌を切り裂く。息が詰まる心地で傍聴した事件のあらましは緊張でどこかへ飛んでいってしまった。そして、僕が傍聴したのは一般的な公開裁判。魔女裁判は無論初めての経験だ。
被告人席の近くにはすでにグルニエさんが腰を下ろしていた。鈴の音で気づいたのだろう、こちらを振り向いて目線が交錯する。
――笑っている。にやにやと。
グルニエさんは僕を一瞥した後少し視線を落とした。おそらくは僕の抱いたこの黒猫だ。しかしそれには特に反応を見せず、彼女は身体を裁判官の側に向けた。
僕はがらがらの傍聴席の前から二列目に着席する。最前列に陣取るのは気が引けたし、何より見えすぎる。黒猫がいつ奔放な動きをするかわからなかったから保険をかけておいた。傍聴人は最後列に三人。恐らくは……神聖騎士団の関係者。
裁判官がぞろぞろと入廷してきた。付き添いの係官に肩を叩かれてグルニエさんが重い腰をあげる。
「これより、魔女裁判を開廷する」
裁判長とおぼしき中央の壮年の男性が、厳粛な渋味ある声で告げた。
「私は今回の魔女裁判にて裁判長を務めるフランク・コストナー。そしてこちらが共に貴女を裁定するウィーズリー裁判官と、エルドレッド裁判官」
僕から見て右に座ったウィーズリー裁判官は若々しい外見をしていた。口許に柔らかい微笑を浮かべて会釈するあたり、穏やかな好青年という印象を受ける。対して左のエルドレッド裁判官は年嵩があり、彫りの深い顔立ちをしていた。長年裁判官を務めてきた手練れなのだろう、落ち着き払った振る舞いからは冷静さと感情に流されない理知的な空気を感じる。対照的な二人だなと感じた。
「書記官のハーパー君」
裁判官たちの一段下に座るハーパー女史が今回の書記官だ。こちらも若く恐らくは二十代。魔女裁判は初めてなのか落ち着かない様子で、視線が一向に定まらなかった。
「最後に、魔術的見地から立証を行うため、ジュリス大学のズィロー教授にも参加いただく」
「どうも」
語尾をねっとりと伸ばす口調からはイカれた学者らしい陰湿さや嫌らしさを感じる。魚眼のように飛び出た瞳が忙しなく動き、対象を頭から爪先まで観察しているかのようだ。学者と言えば白衣を連想する者も多いがそれは理科系の人間に対する固まった先入観だ。巷でも
「私もね、今回の魔女裁判を楽しみにしていたんですよォ」
何せ本物の魔女に会えるんだから、とズィロー教授は大袈裟に両手を広げて言った。
「魔術を研究する者として切っても切れない存在ですからな、魔女は。魔女裁判などと言っても大人しく捕まってくれる間抜けはなし。……ああいや失礼、貴女を馬鹿にしているわけではないのですよ?」
引き笑いで謝罪されても信用する余地はどこにもない。僕はズィロー教授に不快感を覚えないわけにはいかなかった。研究者を総じて批判するつもりはない。一点の才能に特化した人間は社会の輪から少々外れているとも聞く。だがそんな風説は別にして、初対面の相手に対して見下すような言い方をできる神経を疑う。こんな人に魔術の何を証明できるというのか。
「ズィロー教授、そこまでに」
「これは失敬、裁判長殿」
横柄な教授を見咎めてか、コストナー裁判長が眉間に皺を寄せて釘を差す。教授は芝居じみた振る舞いで恭しく頭を下げる……裁判長に。グルニエさんの方に頭を垂れることはなかった。研究者として魔術を究める彼は、魔女に対してどんな感情を抱き、この裁判に臨んでいるのだろうか。
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