第12話 魔女裁判

 予告通り朝九時にホテルをチェックアウトし、スローストロークから乗ったものと同じ型の自動車で裁判所を目指す。郊外にぽんとそびえたつ夢のような城は、緩やかなカーブを描く道路を走っていくことで次第に見えなくなっていった。後ろ髪を引かれる思いはない。むしろ不寝番で僕の頭はやや靄がかかっている状態だった。神聖騎士は四六時中気を張って国民を不測の事態から守らねばならない。故に二十四時間寝ずにすぐ動けるよう訓練も受けたけれど。グルニエさんといるせいなのか、妙に気が緩んでしまう自分を叱咤する。


 裁判所までは自動車で十五分ほどの距離だった。叙任の際に足を踏み入れた荘厳な皇帝の居城が大きくなってきたところで目的地に到着する。城のすぐ近くにある神聖帝国裁判所は、あらゆる係争を裁く庭である。

 裁判所の外観が白煉瓦ではなく黒一色で塗り潰されているのは、何者にも染まらない中立性の表現だという説がある。ジュリスは街全体としてコンクリートと白煉瓦を基調として作られている建物が多いから、白い街並みのなかで黒色の裁判所は非常に目立つ。異質とも言えるかもしれないし、それが裁判所の権威を高めるのに一役買っているのかもしれない。


「特別法廷にて魔女裁判を行う。指示があるまでここで待機しろ」


 僕とグルニエさんが通されたのは特別法廷の控室である。特別法廷は魔女裁判や重大な刑罰事件など、機密性が高い案件を扱う際に用いられる非公開の法廷だ。他の裁判は原則帝国民が自由に傍聴できるけれど、魔女裁判はそうはいかない。

 何せデリケートな問題だ。国に災いをもたらすとされる存在――魔女。そうと疑わしきものを裁く、というのは大衆心理を不安に煽りかねない。だから帝国はあくまでも隠密に極秘に事を進めようとする。逸った国民が魔女を私怨で殺さないように。


「裁判所は神聖騎士の埒外なのか?」


 今まで僕達を監視するようについて来ていた神聖騎士が控室を後にしたことで、グルニエさんが僕にそっと耳打ちする。声を潜める必要性はないが、ピアノ線を張ったような緊張感の漂う空気ではさすがの彼女も思うところがあったか。


「裁判所は皇帝直属……神聖騎士団と同様、皇帝が最高指揮権を持つ機関です。騎士団は街の治安維持や犯罪者の捕縛が主な仕事ですが、その捕縛した犯罪者を裁くのは裁判所の管轄ですよ」

「神聖騎士団の息がかかることはないと」

「裁判所は公平・中立が大原則ですからね」


 なるほどな、とグルニエさんが静かに息を吐いた。その表情から緊張といったものは読み取れない。僕の方が不自然に緊張しているくらいだ。この人はわかっているのだろうか……「魔女裁判」の意味を。


 魔女裁判は普通の裁判と大きく趣旨が異なる。争点は主にふたつ。被告が真に魔女であるか否かと、魔女であるならばそれは

 僕達人間は魔術を扱うことができず、彼女らの胸の内を読むことはできない。だからあくまでも尋問をしてその回答を吟味し、で善悪を判断する。被告が帝国に協力的であれば「善」になるし、帝国に災厄をもたらすならば「悪」になる。そして悪であると処断された魔女は火刑に処される。神聖皇帝が定めた規律だ。


「グルニエさん、魔女裁判ですけど……」

「ん?」


 どう声をかければいいか、逡巡して僕は口を噤む。僕は神聖騎士で彼女は魔女だ。彼女が有害か無害か、それは裁判官が判断することだ。僕が口出しできることなんてない。


「……いえ」


 僕はもやもやとした思いを抱えながらも言葉を引っ込めた。グルニエさんはそれきり何も言わない。


「開廷します」


 その声で僕は顔をあげる。係官が立っていた両開きの扉が粛々と開かれた。グルニエさんは別の入口から法廷へと入る。僕が向かうのは傍聴席――関係者扱いで同席するよう言われているが、あくまでも傍観者である。


「……お気をつけて」

「ははっ」


 気の利いた言葉をひねり出せず、僕はぼそぼそとグルニエさんの無事を祈った。すると彼女はからからと笑い、僕の頭を乱暴に撫で回す。髪の毛がぐちゃぐちゃになる。


「何するんですか!」

「いや、君がまるでこの世の終わりみたいな顔をしているからな。辛気臭い顔を見たら元気が出てきた」

「意味がわかりません」

「君が気負う必要はないさ」


 グルニエさんは笑い過ぎたのか、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら言う。


「私が裁判でくたばるタマに見えるか?」

「……いえ」


 僕は苦笑していたと思う。眉が変な方向に曲がって、困ればいいのか笑えばいいのかわからない。

 グルニエさんが扉の奥へと姿を消し、さて僕も傍聴席に座ろうと重い腰を上げる。係官が立っている扉をくぐろうとした途端、急に「止まりなさい」と声をかけられた。突然のことに僕はびっくりして背筋を伸ばす。大声や怒鳴り声には反射で居住まいを正す習性が未だに直らない。


「君、その猫はなんだ。ここは公平な裁きの庭だぞ」

「――へ?」


 僕の足元にごろごろと首を擦りつける黒猫が一匹、いた。

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