二章 エンヴィ・キャット
第11話 首都への凱旋
首都ジュリスに帰ってきたのは、実に一月半ぶりである。短い、そのスパンがあまりにも短い。スローストロークというクソ田舎に派遣となったとき、僕は何年この土地を踏めないんだろうかと神経質になっていた。ヤケクソ気味だったとはいえどうにか気持ちを入れ替えて新天地で頑張っていくしかないと諦めていた。その決意に要した時間を返してほしい。
神聖帝国アルミナの首都ジュリス。大陸一の大帝国の中枢と呼ぶにふさわしい、科学技術の粋を結集した最先端の都市である。コンクリートが主体の丈夫な建物が軒を連ねている。田舎で見た平屋の木造建築とは大違いだ(グルニエさんの家は首都にあっても遜色ない立派なものだったが)。最近では「皇帝のおわす城よりも高い建築物だって作れる」とある学者が言っていたが、思想的な問題から実現は難しいだろう。皇帝の居城を見下すような建物があってはならない。
白煉瓦とコンクリートを混ぜて作った関所を抜けて、僕達を乗せた自動車は繁華街から逸れた道を行く。
「どこへ向かうんだ?」
「さあ……」
これには僕も首を傾げるしかなかった。グルニエさんを裁く司法の最高峰、裁判所が置かれているのは繁華街の更に奥だ。しかし自動車は横道に逸れて中心部から離れた郊外に向かっている。魔女が繁華街を通っては事が大きくなるという配慮だろうか。
「裁判所とやらはこっちなのか」とグルニエさんが助手席に座る神聖騎士に問う。彼は険しい表情を崩すことなく淡々と答えた。
「今日は裁判所には向かわない。近隣のホテルに宿泊し、明日裁判所で魔女裁判を執り行う」
魔女裁判。厳かなその響きに僕はごくりと唾を呑む。本当に行われるんだ。その実感が未だに沸かない。僕がそれに少なからず関与することも。
自動車が止まったホテルは郊外にある五階建ての巨大な建物だった。はっきり言って等級はかなり高い。高名な作家が缶詰するのに使うとか、有力な資産家が懇ろにしているとか、皇帝の親族も足繁く通っているとか。そんな噂がイメージと直結するのがここ、ジュリスハイアットホテル。僕のような平民には縁もゆかりもない高級ホテルの入口に立たされ、正直身震いしていた。何だこれは、スケールが違い過ぎる。場違いな感覚が今更襲い掛かってきた。
「何をしてる、クオーツ。さっさと進んでくれ。後ろが詰まる」
グルニエさんは一片の動揺も見せることなく、入口で躊躇している僕を突っついた。僕は我に返り、慌てて華美な装飾が施された金縁の扉の先へと進む。別世界に足を踏み入れる心地だった。
頭の中が沸騰した状態で、助手席に座っていた神聖騎士の男がフロントとやり取りしているのをぼんやり見送った。そのまま昇降機に通され五階まで一気に上がる。チン、と軽快なベルの音が鳴ったかと思えば昇降機の扉がゆっくりと開き、赤い絨毯が敷かれた廊下を進む。
「今日はここで待機だ。明日九時に出発、十時より魔女裁判を開始する」
神聖騎士は今日と明日のスケジュールを淡々と伝えているが、僕は部屋のグレードの高さに呆気にとられ、情報が半分ぐらい零れ落ちていたと思う。
豪華すぎる。バルコニーから一望できる首都ジュリスの美しい街並み、何人座るつもりなんだという革張りのソファが複数、奥の寝室にはキングサイズのベッド。これはそう、もしかしなくても、
「クオーツ・ジェス」
「っハイ!?」
裏返った声を出したことは恥である。目の前に広がる贅を尽くした一室に僕は言葉を失っていた。厳格そうな神聖騎士の声にどうにか返事はしたものの、へなちょこみたいな応答になってしまった。
「貴様は俺と不寝番だ。いいか、この客室に誰一人入れるなよ」
「……ハイ」
まあ、僕が泊まれるなんて妄想はさっさと打ち砕いてもらった方が楽だけども。
「なんでグルニエさんばかりこんな待遇に」
「どうしたクオーツ、僻みか?」
面白い奴め、とグルニエさんが脇腹を小突いてくる。しょうもないからかいはやめてほしい。僕はわざとらしく咳払いをしてなんでもない風を装う。最高級客室に泊まれるからって悔しくなんてない。絶対。
「聞けば今日、このフロアを貸し切ったそうじゃないか」
「そうなんですか? 誰か言ってましたっけ」
「フロントであいつが話していた」
グルニエさんは入口に銅像のごとく立ち塞がっている神聖騎士を示す。
「受付嬢に言っていたよ。『五階には関係者以外立ち入らせないように』と」
「……よく聴いてましたね」
僕の位置からは会話の内容なんて盗み聞きできそうになかった。にしても盗聴を当たり前にしでかすのだから、耳聡いというか地獄耳というか。
「一人の女のために帝国の税金を使うというのは癪だろうが、指揮官は有能な判断を下したな。下手な安宿に泊まらせたのでは警戒すべき相手が多すぎる。高級ホテルなら従業員の質も高いし要人警護の前例もある。いやあ結構、結構」
「僕にはグルニエさんが最高級客室を満喫しているようにしか見えませんがね」
「あっはっはっは! そうとも言うかもしれないな」
グルニエさんは微塵も悪びれる様子を見せず、ソファに思い切り身を預けて言った。
「せっかくの機会、どうせ泊まるなら有効活用しないと損というものだ。手始めにワインの一本でも給仕してもらおうか」
人の心労も知らないで豪遊の限りを尽くすこの女を殴りたいと思った。
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