三章 アドグラース・インフェルノ

第20話 「参謀」アルブレヒト

 早朝八時。

 ジュリスハイアットホテルの五階をワンフロア貸しきっての警備はまだ続いている。魔女裁判から一夜、その目覚めもやはり一筋縄ではいかなかった。窓辺にスズメがちゅんと鳴き、さえずりをアラーム代わりにして健康的に朝日を浴びる。それからトーストとモーニングティーで身体を起こし、優雅に身支度を整えるのだ。

 なんて、そんなおハイソな朝をこの最高級客室スイートで迎える未来はどこにもなかった。


「魔女グルニエ! 魔女グルニエはいるか!」


 最高級客室のドアを乱暴に叩く音がする。だだっ広い客室のキングベッドはグルニエさんが占領してしまったから、僕は護衛ということで同室の隅っこにタオルケットを広げて眠っていた。無論、いつでも起きられるようにと細心の注意を払ってはいたけれど。「妙齢の男女二人、何も起きないはずがなく……」なんてメロドラマも真っ青なご都合主義はこの空間に存在しない。リビングに雑魚寝した僕と奥の寝室で快適な眠りをとったグルニエさんの間にナニかがあるはずもないし、期待なんて毛ほどもしていない。というか色恋沙汰は軽くトラウマになっているのでしばらく触れないでほしい。

 すっかり身支度を完了させていた僕は、白銀の薔薇をあしらった団服をまとってそのドアを開く。覗き穴から来訪者の姿も確認済だ。いかつい神聖騎士の男。


「はい、こちらクオーツ・ジェス。魔女グルニエは未だ就寝中ですが」

「火急だ。皇帝から勅命が下った」

「……はい?」

「時間がない、とにかく降りて来い! 車はすでに手配してある」


 勅命? 僕はその単語を正確に変換できず、きりりと締めた顔は一瞬で崩壊した。そんな僕の様子に頓着することもなく、神聖騎士は要件を告げるとすぐさま踵を返す。このまま所用があるのか、赤い絨毯の上を駆け足で去っていった。

 ともあれ、急ぎの用事があるらしい。魔女裁判でグルニエさんが無罪、ひいては帝国に有益な魔女と認められたから何かしらの動きはあると踏んでいたが、朝から緊急招集とは早すぎるのではなかろうか。


 未だ寝ぼけ眼のグルニエさんをたっぷり五分かけて叩き起こし(文字通りだ。何をやっても起きないから最終的にはベッドから)、悪態をつくグルニエさんの恨み節を無視して身支度の手伝いをし、結局ホテルのエントランスに出るまで二十分もかかってしまった。いかつい神聖騎士は射殺す勢いで僕達を睨みつけていたけれど、グルニエさんはやっぱりどこ吹く風だ。


「後頭部が未だにジンジンするぞ。瘤になっていたら君のせいだからな」

「グルニエさんがすぐに起きないからです」


 後部座席で僕を非難するのは勝手だが、僕はさっさと降りてこいという任務を迅速に遂行したに過ぎない。悪態をつきたいのなら勅命を下した神聖皇帝に言ってくれ……とか言うと本当にやりかねないから口には出さないでおく。

 車が止まったのは神聖皇帝のおわす居城――ではなく、繁華街の一角だった。首都ジュリスのメインストリートには様々な施設が並び立っているが、その異変はドアを開いた瞬間にすぐわかった。異臭……違う、焦げ臭さが周囲に充満している。そしてその大元は、僕達の少し先にある真っ黒焦げの建物だろう。


「魔女グルニエを連れてきました」

「ご苦労。こちらの調査に加わるように」


 はっ、といかつい男は短い返答をし、きびきびとした動きで建物に駆け出して行った。外側から見ても無残な光景だ。外装も、ぽっかりと穴が開いた入口から見える内装も真っ黒としかいいようがなく、形を留めているのが奇跡とさえ言ってやりたい惨状である。

 神聖騎士に労いの言葉をかけていた男性が僕達へと歩み寄る。僕と同じ白銀の薔薇をあしらった装束、彼も神聖騎士か。しかし僕のものしたっぱとは異なりロングコート風の形状をしている。上位階級持ちしか着られない特注品の団服、要するに管理職エリートだ。


「神聖騎士団にて参謀を務めております、マティアス・アルブレヒトです」


 どうぞアルブレヒトとお呼びください、と優雅な物腰で彼は一礼した。入団式以来の対面だが、僕にもその凄さはわかる。神聖騎士団の頭脳、切れ者、怜悧な司令官。「指揮官コンダクター」の異名を取る秀才、マティアス・アルブレヒト。神聖騎士団内の序列を示す五つの階級――団長トップ聖騎士ホーリー銀騎士シルバー白騎士ホワイト騎士ナイト――の中でも数えるほどしかいない聖騎士のひとり。腕っぷしは平均並みと囁かれているがその序列に異を唱えるものはいない。何せ彼の真骨頂は若冠三十三歳にして騎士団の司令塔となっているそのキレッキレの頭なのだから。


「アルブレヒト参謀」


 僕は訓練時に仕込まれたきびきびとした動きで敬礼した。参謀は涼しげな瞳のまま「ご苦労」と声をかける。そのまま僕から視線を離す。それを追いかければ僕の背後……グルニエさんに辿り着く。僕は内心ヒヤヒヤしていた。グルニエさんに礼儀礼節なんてものを期待していないが、どんな爆弾が投げられることやら。


「早朝のご無礼、失礼いたします。緊急の案件にて、皇帝御自らお越しになることもままならず。恐れ多くも私が代理として、皇帝よりの勅命をお伝えいたしたく」

「堅苦しい前置きはいい」


 どんな文句をふっかけるかと肝を冷やしていたが、意外なほどすんなりとグルニエさんは用件を急かした。それが僕には見慣れないことで肩透かしを食らった気分だったのだが、恐らくは彼女にも思うところがあったのだと思う。ここに来てからというもの、彼女の表情から笑顔が消えたから。


「では遠慮なく」


 と、アルブレヒト参謀は皇帝よりの勅命を簡潔に伝えた。


「魔女グルニエ。あなたにはアドグラースの街へ向かい、『火刑の魔女』を討伐していただきたい」

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