第9話 布石

「悪いが立ち話で我慢してくれ。家にあげるほど親睦を深めてもいないだろう?」

「それもそうね」


 僕にはてんでわからない応酬をしているが、ここにぴんと張られた緊張の糸が存在しているのは把握した。グルニエの屋敷の庭先で対峙する漆黒の魔女と白銀の魔女。満月に照らされる魔女ニュインの顔は食えないものだった。余裕綽々にも見えるし、腹の内を探っているようにも見える。魔女グルニエの領域にいるということは、彼女にとって想定外のはずだ。


「では答え合わせといこうか。何故私が貴様を召喚したのか、貴様も知りたいことが多いとみえる」

「そうね、そこの可愛い神聖騎士さんのことも詳しく知りたいわ」


 怖気が走る。これみよがしに投げキッスをされて振り払いたくなった。


「まず理解してほしいのは、私はとあるお願いをするために貴様を呼んだということだ」

「へえ?」

「この街――スローストロークで男性が連続して失踪する事件が起こっていてな。誘拐しているのはお前だろう」


 魔女ニュインは僕のことをちらりと一瞥してから、大袈裟に肩をすくめて認めた。呆れたような振る舞いにも見える。


「そこの神聖騎士くんもいるし、隠しても仕方ないか。そうよ、ちょおっと元気な男の子をお借りしてたの」

「目的は精気か?」

「そこまでわかってるならいいじゃない」


 ぺろりと舌をだして厚い唇を舐める。その姿はまさしく蛇が獲物を前に舌を出すそれに似ていて、僕はますます嫌悪感を強くする。渋面になっていることは気付かれていると思う。


「他には何ももらってないし、日常生活にも差し障りがない程度に留めてるのよ? こんな容姿だから目立ちゃって、街に溶け込んで暮らすのは難しくて。洞窟とかでひっそり過ごすんだけど、人肌が恋しくて恋しくてたまらないの」

「なるほどな。街に下りることができないから男を召喚していたと」

「記憶操作の魔術をかければ、私まで辿り着くこともないし。いくつか街で試していたんだけど、この街は神聖騎士の手もかからないから都合が良くって」


 ここでも上司の無能ぶりが目に余る。神聖騎士には魔女に対抗する強い力はないけれど、日々の仕事をきっちり果たしていたらここまでの横暴は通らなかっただろう。心底悔やまれる。


「確かに精気は魔女にとって必須だ。しかしスローストロークここは私の街だ。魔女は互いに干渉しない……その規律に則ってくれるなら、どうか手を引いてもらいたい」

「ああ、そういうことだったの。あなたは自分の領域を荒らす魔女が許せなかった。だから神聖騎士の坊ちゃんを餌にして私をおびき寄せたってわけね」


 疑似餌扱いされるのは不本意でしかないのだが、口を挟む余地はないので胸の内に留めておく。グルニエはしたり顔で頷いた。


「そう解釈しても問題ないな。それで、どうなんだ。まさか不干渉の文言を口にした魔女が前言撤回するなどなかろうな」

「そう言われちゃあね」


 魔女ニュインはあっさりと要件を呑んだ。とんとん拍子に進んでいく話し合いに僕は呆気にとられる。もっとこう、殺伐として一色触発なやり取りを想定していたんだが。


「でも、私も精気が枯渇して困っちゃうの。どこかおあつらえな場所ってないかしら」

「知るか」


 グルニエは鼻を鳴らして一蹴した。


「私はインドア派なんだ。この街の外なんぞ知るか」

「魔女のよしみで協力してはくれない? ああ、そうだ。この子とか」

「は――」


 そう言って魔女ニュインは僕を指差した。蛇の両腕が伸びなかったことは不幸中の幸いであるが、この女を見ていると全身に不快感が走る。


「神聖騎士なんて魔女の敵だし、あなたも厄介払いできたら最高でしょう? 私、若い男が大好きなの。彼をくれるなら」

「ふざっ……」

「悪いが、それも私のだ」


 息を呑んだのは魔女ニュインで、息を忘れたのは僕だった。いつ誰が彼女の所有物になるなんて妄言を吐いた!?


「いい加減に」

「ほら、首輪がある。貴様はあれに触れまい」

「いつの間に!?」


 あれは魔女ニュインの襲撃の夜壊れたはずだ。あれから満月の夜まで、僕の首を窮屈にする屈辱的な拘束具はなくなっていたのに。

 恐る恐る首元を触る。革の独特の感触を確かめたとき、僕はがっくりと肩を落とす。いつつけられていたんだ。首の窮屈感を今の今まで忘れるくらいに。


「嘘だと言ってください……」

「防衛策だ。この女の毒牙にかかりたいなら外してやるが」

「断固拒否します」

「あら、つれない子」

「僕は成人です!」


 まあ、と目を丸くしてみせる魔女ニュイン。もう彼女たちは結託して僕を馬鹿にしているんじゃなかろうかと悪態をつきたくなった。果たして僕は何をするために魔方円を描いて魔女を召喚し、くだらない会話を聞いているのか。わけがわからない。魔女なんて微塵も理解できない。


「魔女の所有物なら手を出すのはご法度よね」


 魔女ニュインはつまらなそうに言った。


「なら、ここにはもう用はない。私は次の餌場を探さなくちゃいけないから」

「是非ともそうしてくれ」

「ええ。次に会うのなら、きっと国を落とすときね」


 魔女ニュインが虚空に指で何かを描く。白墨も羽ペンもないが、独特の紋様を描くような指先。きっとこれは何かの術式なんだろう。軌跡が淡く光っているのがその証拠だ。


「忘れないでね、怠惰な魔女さん。魔女は平和な街で生きていける存在ものじゃない。私たちは災厄の象徴――この国を焼き払うために生きているのだから」

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