第8話 魔女、邂逅

 すっかり空にされた僕のマグカップが差し戻される。ホットミルクを飲むつもりもなかったけど、他人に出されたものを勝手に持っていくのはいかがなものか。僕がマグカップを睨みつけているのを彼女はどう受け取ったのか、考察を続けた。


「私はすべての魔女を知るわけではないが、その魔女の思惑は理解できる。二十代から四十代……若い男というのはなんだ。肉体も精神も上等で、そいつらからはたくさんの精気を奪える」

「その魔女は精気を集めるために男性を誘拐したんですね」

「物理的証拠はないがな。魔術の残滓を見せたところで人間は納得しないだろう?」


 失踪日が決まっていた理由もからグルニエが説明した。


「月の満ち欠けと魔術は関連性がある。新月から満月に近づくほど魔女の力は強くなり、逆に欠けるほど減退する。新月に攫い、力が増幅していく満月までの間に精気を搾取する。この辺はまあ、理解できなければとでも考えてくれ」

「……はあ」


 どれもにわかには信じられない話でしかなかったので、僕は生返事をすることしかできなかった。たとえ目の前で魔術を見せられたとしても、それを実際問題として主体的に考えられるかは別だ。目の前に魔女がいて、彼女が魔術を使うことは認めざるを得ない。しかし魔術関連の理屈は理屈では理解が及ばないからわけがわからない。グルニエはさほど気にしていないようだが。


「魔術の話はここまでにしておこう。ともあれ、魔女が街の人間を攫っていくのを私は黙認するつもりはない。思惑はわかった、ならば今度はこっちから仕掛けてやる」

「魔女を捕えるんですか」

「その辺は君次第かな」


 グルニエは真意の読めない微笑を浮かべて言った。


「私の領域テリトリーで他の魔女に好き勝手はさせない、というだけさ」


 ***


 魔女が動くのは新月と満月。先だっての新月の夜、魔女による誘拐は未遂に終わった。僕が首輪によって難を逃れたあの日、他に誘拐されたという男性も聞かなかった。魔女を退けたのだ。

 だがそれは魔女による誘拐が終わりを迎えたという意味ではない。グルニエ曰く「私がいることをわからせないといたちごっこだ」と。グルニエが選んだのは満月の夜。普段であれば誘拐された男が戻ってくる日である。


「私はね、実はそんなに魔術が得意じゃないんだ」


 庭先に魔方円じゅつしきを描きながらグルニエはそう言ってのけた。何せ大きな魔方円だから、僕も見取り図を渡されて白墨で線を書かされている。こういうのって魔女じゃないとできないものじゃないのか。むしろ魔女を敵視するはずの神聖騎士が胡散臭い術式の片棒を担いでいいものか。そんな葛藤を胸に僕は無心で円を描いていた。


「魔女にも得手不得手があるんですか」

「当然だろう。たとえば今回の魔女で言うと、儀式魔術はそこまで得意な分野ジャンルじゃない」


 グルニエは引いた線の長さを定規で確認しながら語る。


「辺境の街を狙って、しかも一人ずつ誘拐するんだ。こんな非効率なことがあるかい? 大量に精気が欲しいならもっとでかい街に行って、男を根こそぎ攫ってしまえばいいんだ」

「それをしないのは」

「そういう大それた魔術は身の丈に合わないってことだろうな」


 魔方円が描きあがった。見取り図と現物を照合し、グルニエが満足げに頷く。儀式魔術は魔方円を描き、魔力を込めることで対象を召喚する魔術だと聞いた。では、グルニエはこれで何を召喚しようとしている?

 冷汗がつう、と背中を伝った。


「あの、もしかして」

来たれinvitare


 聞き慣れない言語が一節。すると庭先に描かれた魔方円が淡く発光した。まさかそんな、だなんて――!?

 ショッキングピンクのマニキュア、蛇のようにしなやかで、どこか不気味な両腕。僕を新月の夜に捉えたあの魔女に相違ない。銀糸の髪に深海ディープブルーの瞳はアルミナでも珍しい組み合わせをしている。満月の夜というのもあいまって、その姿はこの世ならざるものに見えるだろう。月夜に降り立つ妖艶な魔女。それは決して、ただ美しいものではない。

 身体を回る嫌悪感。その装いは恐怖というよりも拒絶を覚えた。胸元と太腿をこれでもかと強調した下劣な露出。年齢を鑑みないマニキュアと同じく品性の欠片もない、厚化粧の年増魔女だ。


「……魔女を呼ぶだなんて、なんて恥知らずなケダモノなのかしら」


 彼女はグルニエを睥睨して、傲岸不遜な物言いをした。


「魔女は互いに不干渉。それが不文律ではなくて?」

「それは詫びる。だがこうでもしないと話すらできないからな、手荒な手段を取らせてもらった」


 グルニエは微塵も罪悪感を見せずに言ってのけた。この人は「謝罪」の意味をきっと理解していない。


「貴様が魔女というのは知っているが、生憎通称なまえを知らないものでな。私はグルニエ。貴様は何と呼べばいい?」

「グルニエ……そう。せっかくご招待されたんだもの、それには応えてあげなきゃ」


 蛇の魔女は白銀の髪を払い、くすりと微笑んで名乗った。


「ニュイン、と呼んでくれて構わないわ。それで? お茶の一つでも出してくれるのかしら」

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