第5話 魔女の籠絡
「半年くらい前から、突然街の人間が失踪するようになった」
グルニエはスローストロークで起こっている怪事件について語り始めた。
「失踪するその日まで大きな変化もなく過ごしていたから、そりゃ最初は大騒ぎだった。例の神聖騎士にも人が忽然と姿が消えたんだと訴えた。だがあいつは動かない。農業に嫌気が差して夜逃げしたんじゃないか、なんて無責任なことを言ってのけたのさ」
上司のことがさぞ不快なのだろう、グルニエは顔を顰める。僕もそれには同意する。身内とはいえ――身内だからこそ、彼の職務怠慢を看過することはできない。
「街の人間と協力して探し回ったが、手掛かりはまったくなかった。誰もが諦めかけたとき、彼は突然戻ってきた」
「突然……」
「それこそ、失踪した時と同じように。何の前触れもなく、気づいたら家の前に立っていたんだと。見たところ怪我もしていないし家族も再会を喜んだ。だがこれで解決だ、とはいかない」
グルニエはそこで言葉を切った。様子を伺うように僕と視線が合う。言葉を僕は引き継いだ。
「同じように失踪事件が続いたんですね」
「そうだ」
重々しくグルニエが首肯する。辺境の田舎街・スローストロークで起こっている不可解な連続失踪事件。これが半年もの間放置されてきたのは、ここの神聖騎士が仕事を放棄しているのと、その失踪事件には被害がないせいだろう。
「失踪には共通点がありますよね。失踪した人は皆、いなくなった間のことを覚えていない」
「ああ」
記憶がない。すっぽりと、失踪している間のことをまるっきり覚えていないと言う。僕が聞き込みをした関係者も一様に同じことを言っていた。誰も覚えていない、だから誘拐されたのか自分で失踪したのかもわからない。そんな都合のいい失踪はないから、おそらく誰かが誘拐しているのだとは思うけど。
「他にもある。そしてそれこそが、この事件が常人には解決できない理由だ」
共通点を、とグルニエは言った。「君がこの五日間で聞き込みした結果、記憶がない以外の共通点は見つけられたかい」と。僕は僅かに視線を落とす。オレンジ色の湖は僕の神妙な顔を映している。
「いなくなったのは、皆男性です」
僕は自信のある方から切り出した。
「この半年で失踪した人は計六人。その全員が男性でした」
「そうだ。もう少し範囲を絞るなら、年齢は二十代から四十代。男性としては盛りだな」
「?」
「いや、それはおいおい。他には」
グルニエは答え合わせをする教師みたいに、楽しげに僕を催促する。彼女の白い手がクッキーに伸びる。美味しそうに頬張っているが僕は手をつけようとは思えなかった。
「失踪するのは、月に一度ひとりだけ。一度に複数人がいなくなったという情報はありません」
「……そう。それが要だ」
グルニエが控えていた使用人を呼びつけた。何やら耳打ちして指示をだしている。詳細は聞き取れなかったが、意を得た使用人は足音を立てずにどこかへと消えた。
「失踪は決まって新月の夜。戻ってくるのは決まって満月の夜。……クオーツ。君、月の暦は詳しいかい?」
「
「あれは魔女が使う暦だ」
魔女、という言葉に僕は息を呑む。紅茶になんてとても手が出せなかった。
「儀式魔術、を知っているかい」
「いえ……」
戸惑いながら返事をする僕に対し、グルニエはすらすらと説明を述べていく。
「簡単に言うと、呼び寄せる魔術なんだ。それだけが儀式魔術のすべてじゃないんだが、今回は割愛しよう。
使用人が羊皮紙と万年筆を持ってきた。グルニエはティーカップをテーブルの脇にのけ、代わりに羊皮紙を広げる。何も書かれていないそれに流れる筆致で何かを描いていく。何か、ではない。彼女の話を踏まえれば、きっとこれは魔方円だ。
「こうやって、魔力を込めると」
月並みな表現だが、僕は夢を見ているような心地だった。目の前で起こっているそれがあまりにも手際よく、さも当然のように行われていくから。グルニエが完成した魔方円に手を翳すと、次の瞬間にはごとん、という音がしていた。羊皮紙の上にはオレンジ色の水面を揺らしたディーズのティーカップが載っている。先程どけたはずのそれは、テーブル端にはない。
「とまあ。これを人間相手にやっているのが今回の失踪のカラクリだ」
「え、ちょ、ちょっと待って!」
「何だ君は。せっかくわかりやすく説明してやったのに」
グルニエは失踪事件の話を先に進めたいのだろうが、こっちはそうはいかない。目の前で見せられたこれを無視できないし、つまりええと、彼女は本当に魔女だということになる。魔女は災厄の代名詞。一刻も早く帝国の管理下に置かなければ。
という僕の葛藤と困惑をよそに、グルニエは突き放すように言った。
「君が職務に忠実な神聖騎士だというのは理解できるが、今は目の前の無害な魔女よりも人を誘拐する有害な魔女だ。魔女は魔女をもって制す。その意味がわからないほど君はバカではないだろう?」
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