昔の自分を見た気分

 その日はそれ以上何もなく閉店した。

 ジュディに断りを入れて、リカルドはレッシュと共に富川探偵事務所に向かった。家に戻って仮眠をとってから事務所に行き、さらにホストクラブへとなると休む時間が取れないからだ。


 皆が出社してくるまでソファで休む。


 夕方から明け方まで働くのは、思っていたよりも生活リズムが狂わされると実感する。

 アメリカにいた頃はそれこそ昼夜の別なく緊張した生活を送っていてそれを当たり前だと思っていたのに、足抜けをして日本に来て、朝起きて夜眠るというリズムが定着した今は少しつらい。


 すっかり「表」側の人間になったのだとありがたく思う。


 九時前になって、亮達が出社してくる。

 そのころにはリカルドとレッシュも起きて、コーヒーメーカーのセットなどもすませておいた。


「いらっしゃいませー」


 レッシュがふざけて言うと亮達が大笑いする。いつもの事務所の雰囲気にリカルドも笑みを漏らした。


「進展あったって?」


 亮に促されてリカルドとレッシュは如月夫人について報告する。会話が録音されたICレコーダーを亮に渡した。


「借金の肩代わりか。浮気じゃなくてよかったけど、ある意味そっちの方が厄介な問題になるね」

「依頼人にはそのままご報告を?」

「うん。それが探偵としての仕事だからね」


 そうだろうなと納得しつつも、リカルドは如月夫人が少し気の毒だと思った。


「もう一つの調査の方も、それらしい客が来てたみたいだね。その人の名前とかが判ったら教えてね。ある程度の情報が入ったら潜入捜査は終了だ」

「早く片付けないとなー。ジュディ、寂しがってるだろ」

「そうですね、生活時間が違うのでなかなかしっかりと顔をあわせられないので」


 ジュディがどこまで寂しがっているのかは判らないが、リカルド自身が寂しい。早くいつもの生活に戻りたいと思う。


「次にあの男が来たら接触してみます」

「うん、でもあんまり無理しないようにね」


 亮の言葉に信司達もうなずいている。


「はい。皆さんにご心配をかけないようにします」


 リカルドの返事に亮は満足そうにうなずいた。




 早く調査が終わればいいと願うリカルドをからかうかのように、数日は何も動きがなかった。


 レッシュはすっかり常連客のなじみになっていて、このままホストとして働いても何ら問題がないほどになっている。

 店に潜入している目的を忘れてないか? とリカルドは苦笑を漏らしていた。


 木曜日の夜。


 もしもあの怪しげな客が禁制薬物を扱っているのなら、今夜来店するのではないかとリカルドは見積もっていた。

 ドラッグがよく売れるのは週末だ。その前に取引をするのが得策なのだ。


 二十二時過ぎ、果たして男がやってきた。

 前と同じくビジネスケースを大事そうに運んでいる。


 彼がオーナー室に入ってから、リカルドはレッシュを呼び寄せた。


「ネクタイピンを貸してくれ」

「いいけど、無理するなよ。もし相手が“そっち”の人間なら周りの挙動には気を付けているはずだから」


 レッシュの忠告にリカルドはにやりと笑った。


「私は三十年“そっち”にいたのだよ」

「あー、悪い笑みだ。久々に見たな」


 レッシュは笑って、ネクタイピンをリカルドに手渡した。

 ネクタイに取り付けて、シャッターの位置を指でそっと確認する。一つうなずいて、リカルドはオーナー室の扉をノックした。


「なんだ?」

「コーヒーはいかがですか?」

「そうだな、もらおうか」


 あっさりと返事があったということは、まだ中身を出していないのだろう。ならば部屋に忘れ物でもして、タイミングをずらして取りに入るか、とリカルドは作戦を考える。


 オーナー室では金田と客がテーブルをはさんで座り、談笑している。

 裏に関する単語は出てこないなと思いつつコーヒーを淹れていると。


「なぁ、あんた。こういうのに興味ないか?」


 客の男に唐突に呼びかけられ、見せられたのはまさに違法のドラッグだった。禁制薬物を購入する罪悪感を少しでも和らげるためか、カラフルな色がつけられた錠剤だ。


「おいおい、持田もちださん。唐突になにを――」


 金田が驚いている。


「なぁに、この男には俺と同じ『におい』がするんだよ」


 男――持田はにやりと笑う。


 あぁ、確かに、その感性は間違っていない、とリカルドは感心した。ただし今は別の角度から裏に関わっているということまでは見抜けなかったようだ。

 いや、もしかするとこちらの動きを疑って探っているのかもしれない。


 どちらにしても、乗らない手はないなとリカルドは思った。


「いわゆる脱法ドラッグですか。この青いのはブルーキャラメルという俗称がついてますよね。もしかして、ここの店の名前はそういうことなのですか?」


 あえて冷静に応えてみる。


「え? いや、それは偶然だ。しかしおまえ冷静だな」


 金田が少しうろたえている。持田はにやにやとこちらのやり取りを見ている。


 しかし金田持田とは、二人合わせて金持ちだ、と笑いのネタにできそうな面白い組み合わせだ。気づいてしまって思わずふっと笑う。


「昔、少しをしていたので。こういうことに感情的になってはいけないと学びました」

「やんちゃ、ねぇ。おまえアメリカから来てるんだっけ? ドラッグに関わってたのか」

「まぁ、少しは」


 ふぅん、と相槌を打つ金田は、とりあえず騒がれなくてよかったとでも思っているのか少し安心した顔になった。


「やっぱり見込んだ通りだったな。あんた、これを売る気はないか? いい金になるぞ。判ってるだろう?」

「それはちょっと……。そういうのを離れて日本に来たのですから」


 持田は片眉を吊り上げて面白いとばかりに口をゆがめる。


「そうか。残念だ。気が変わったらいつでも言ってくれ。金田さん、次もいつもの量で頼むよ」


 それじゃ今日はこれで、と薬物を片付けて持田はオーナー室を出ていった。


 客人を見送ることも忘れてぽかんとしていた金田は、はっとなってリカルドを見上げる。


「おまえ、このことは――」

「心得ております。私も面倒事に巻き込まれるのはごめんです」

「それがいい。やれやれ持田さんも怖いことをする。もし相手の性格を見誤ってたらどうするつもりなんだ」


 冷や汗をふきふき、金田はパソコンの前に座って仕事を始めた。


 もしも見誤ったなら、きっと口封じをするつもりなのだるなとは心の中だけにとどめておいて、リカルドはオーナー室を後にした。


 持田は昔のリカルドそのものだ。見込み違いならあっさりとそうできる。

 今のリカルドはそれを恐ろしいと感じている。


 改めて、足抜けができてよかったのだと亮達に感謝した。

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