調査の本命の登場

 リカルド達が「キャラメラブルー」にホストとして潜入して最初の水曜日を迎えた。


「元々の依頼人の奥さんが来るかもしれないって水曜日だったよな」


 レッシュの確認にリカルドはうなずいて、ターゲットとなる女性の写真をレッシュに見せた。


「おまえの方がたくさん接客をするから、覚えておいてくれ」

「一応、奥さんは信司達が尾行するんだよな?」

「あぁ。しかし我々は仕事中で信司君達のメッセージは確認できないからな」


 もしもターゲットの女性が現れたら店内での様子はリカルド達が観察し、可能なら記録をとることになる。

 リカルドは小型のICレコーダーを胸ポケットに忍ばせ、レッシュはネクタイピンの飾り石がレンズになっているカメラを手でそっと確かめた。


 開店時間を過ぎてしばらくは何も起こらなかった。時間を見つけてバックヤードで携帯電話を確認したがターゲットの女性、如月夫人に大きな動きはないようで、信司からの連絡もない。


 とりあえず今日は「白」なのかとリカルドはほっとしていた。


 事態が動いたのは22時近く。浮気調査ではなく薬物関係の方だ。


 男がオーナーを訪ねてきた。

 ビジネスマン風の中年男性は人当たりのいい笑みを浮かべてオーナー室に入っていったが、リカルドはピンときた。彼は裏社会の人間だ、と。


 さりげなく辺りを警戒する様子や、持っている黒のビジネスケースを人の目に触れないようにすっと持ち替えるしぐさがいかにもだと思う。もしかしてあの中に禁制薬物を入れているのではないかとも思った。


 もちろん、彼がごく普通の商売相手で、単に持っているのが高額の小切手や現金なので警戒している可能性もあるのだが。


 もう少ししてからオーナー室にコーヒーを淹れに行ってみようかとリカルドが考えていると。


「ユンファは? あの人はいないのですか?」


 店の入口の方から女性の荒々しい声が聞こえてきた。


「ユンファ、今日はお休みです」

「逃げたの。だったらオーナーにあわせてちょうだい」


 ホスト達も客も、何事かと入口に注目する中、現れたのは浮気調査のターゲット、如月夫人だった。

 怒りの形相で店内を見回す夫人の後ろでホストの一人がオロオロしている。


 レッシュに目配せすると、彼はすぐに意味を理解してくれたようで笑顔を浮かべて如月夫人に近づいていく。


「如月様、ようこそお越しくださいました。どうぞこちらへ」

「今日は客としてきたんじゃないのよ」


 彼女自身がいうように、ホストクラブに客としてやってきたにしてはラフな服装である。三十代半ばの主婦がちょっと近所に買い物に出たといった様相だ。


「まぁまぁ、こちらで話を伺いますよ。このままだと他のお客様にもご迷惑ですし」


 レッシュが店の奥のカウンターにいざなった。


 他の客に迷惑だと言われて冷静さを少し取り戻したのか、如月夫人はあたりを一瞥する。

 困惑と侮蔑を混ぜたようなホストと客の視線に、夫人はぐっと歯を食いしばって軽くうつむき、「判りました」と小声で応えた。


 すかさずリカルドはカウンターの中に立ち、コーヒーの準備をする。


「あの、今日は持ち合わせがなくて」

「このコーヒーはサービスですよ」


 リカルドが柔らかく笑うと夫人は少しの間リカルドを見つめたあと、すみませんとつぶやいた。


「本当は今日、ユンファにお金を返してもらうはずだったんです」


 コーヒーを一口飲んで落ち着いた夫人は、ぽつぽつと語り始めた。


 この店のホスト、ユンファは夫人の友人の彼氏だ。いや、今思えば彼氏のふりをして友人からお金を巻き上げていたにすぎなかったのだ。


 如月夫人も友人に乞われて数度、客としてやって来たがその費用はすべて彼女が払ってくれていた。それほと友人は金銭的に余裕のある人だった。

 ところが、友人はすっかりユンファに入れあげてしまい、彼の「急に必要なお金がある」という言葉に同情して多額の借金をした。すぐに返すという言葉をすっかり信じてしまったのだ。


 しかしユンファはお金を返すそぶりを見せずのらりくらりとかわし、友人の借金は利子だけでも大変な額になって来た。

 そこで如月夫人がいったん全額を肩代わりし、ユンファから厳しく取り立てた。

 今日、残りの五十万円を返してもらうはずだったのだ。


「同じお店のホストさんにこんな話をしてしまって申し訳ないんですが、うちだって裕福じゃないんです。ユンファに貸したお金も夫婦の共同財産で、いつ夫に気づかれるかと思うと気が気でありません」


 だから今日中に、ユンファが無理ならオーナーに返してもらおうと息まいてやってきたのだ。


 もう気づかれていて探偵まで雇われているとは皮肉な話だ。


「そのような事情ならば旦那様にお話しされてから使ってもよかったのではないですか?」

「そんなの、反対されるに決まってるじゃない。最悪、わたしが勝手に引き出せないように通帳やハンコを没収されたら友達を助けることができないわ」


 如月夫人の答えにレッシュが同意した。


「そりゃそうだよなぁ。旦那さんの立場で考えたら返ってこないかもしれない金をほいほい貸すわけにはいかないだろう」


 一万や二万ならともかく百万円ともなると、あげるつもりで貸すにしては多額すぎる。

 それもそうかとリカルドもうなずいた。


「しかしオーナーに掛け合ったとしてもおそらく肩代わりしていただけないでしょう。今日のところはお引き取りください」

「ユンファにはおれらから話しておくから」


 リカルド達の申し出に如月夫人は難色を示した。


「あまり店で問題をおこされますと、出入り禁止にされてしまいますよ。そうなったらユンファの逃げ得になってしまいます」

「営業妨害で警察とか呼ばれたら、如月様に不利になるからね」


 警察という言葉で夫人はびくりと体を震わせた。


「ユンファと会えるようにセッティングしますので、連絡先を交換しましょう」


 リカルドとレッシュが名刺を――もちろん店に潜入するために作った偽名の名刺だ――を夫人に渡すと、渋々ながらうなずいて受け取った。


「今度はぜひ、客として来てくださいね」

「そん時はおれを指名してくれよなー」


 二人の見送りを受け、夫人は退店した。


 如月夫人の浮気かどうかを調査する、という当初の目的はこれで達成できたわけだ。

 どのように依頼人に伝えるかは亮の判断に任せるしかない。


 できるなら夫人にあまり不利になるようなことにならなければいいとリカルドは思った。

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