旅館、温泉の後、部屋で

 宿について、部屋に荷物を片付けて着替える。


 宿泊の部屋は三つで、青井家、リカルドとジュディ、探偵事務所の面々と振り分けられている。


 自分達だけ二人で贅沢をさせてもらって申し訳ないが、男性部屋は少し大きいらしいし、リカルドも気にしなくていいと言うので彼らの言葉に甘えることにした。


 夕食の時間までは、それぞれの部屋でのんびりと過ごした。

 長時間のドライブで疲れたのか、リカルドは窓辺のソファに座って軽く目を閉じている。


 せっかく旅行に来たのに、という気持ちもあるが、きっと他人にはここまでリラックスした姿はなかなか見せないのだろうと思うと、自分の前だけでもゆっくりしていてほしいとも思う。


 緩やかな時が流れ、食事の時間になった。

 大昼間で一堂に会する。浜辺に出たスタイルのままの人もいれば、他の服や、浴衣に着替えている人もいる。


 テーブルの上には豪華な会席膳が並べられている。

 まだ日本食のすべてを好きになったわけでもないが、魚料理などはとても美味しそうだとジュディは心を躍らせる。


 リカルドの隣にジュディが座る。向かいはレッシュだ。

 世間話をしつつ食事が進む。


 リカルドもレッシュも、箸の使い方に慣れていて本当に日本人かと思えるほどだ。


「お二人とも、おはしの使い方、上手ですよね」

「涙ぐましい練習の成果だよ。な? リカルド」


 レッシュがにやっと笑ってリカルドを見ると、「そうだな」とそっけない返事が。

 一心不乱に箸の使い方を練習するリカルドを想像してジュディは笑みを浮かべる。


「日本酒か、いただこうかな」


 話題をそらせるためなのか、リカルドは今更のようにそばにあるとっくりに目を向けた。

 ここは彼の意思を尊重しようとジュディはとっくりを手に取った。

 この後に風呂に入るということで、リカルドとレッシュはおちょこ一杯分でやめたが、彼らの酒を飲むしぐさも様になっている。


 アメリカからマフィアを足抜けしてやってきた二人だが、日本で生まれ育ったハーフという設定で生活している。

 これからも周りの人達と一緒に幸せに暮らしていくのだ。その中に自分も含まれていることにジュディはこの上ない幸せを感じた。




 食事が終わってしばらくしてから、温泉に入ろうという流れになった。

 ジュディは照子と彼女の娘、咲子と露天風呂に行った。


 海を臨む露天風呂は、広々としていて眺めがいい。柵の向こうに見える街の明かりと、真っ黒な海が対照的で、今までに見たことのない景色にジュディも感嘆の声を漏らす。


 お湯は少し熱いがじっとしていると体にじんわりとしみこんでくるかのような感覚が心地よく思えてくる。


 少し離れた男湯から声がかすかに聞こえてきた。


「レッシュくん達の声だね」

「レッシュおにいちゃん、たのしそう」


 照子と咲子が笑っている。


 何かの話で盛り上がっているレッシュ達を呆れて見つつもそっとため息を漏らしているリカルドを想像して、ジュディもふふっと笑う。


 男湯の声をかすかに聞きながら、照子たちと静かな時間を過ごした。




 ジュディが部屋に戻ってから少しして、リカルドも戻って来た。

 長身の彼には、旅館の浴衣は少し短めだ。濡れ髪はいつものオールバックでなく、前髪が少したれていて、自分だけが見るリカルドだとほっとする。


「少し、長く入りすぎたかな」


 つぶやいて、リカルドは窓辺の椅子にゆったりと腰かけて目を閉じた。


「大丈夫ですか?」

「うん、けれど、そうだな、冷たいタオルをくれないか」


 ジュディはうなずいてタオルを水に浸して絞った。ついでに冷水をくんで一緒に持って行く。


「ありがとう」


 リカルドはそれらを受け取って、水を一気に飲み干してから顔や首筋を気持ちよさそうに拭いている。やがてタオルを胸元において、再び軽く目を閉じた。


 静かになった部屋。障子越しに遠くの町の灯がちかちかと見える。ジュディはそっと障子を開けた。

 夜の闇と、遠くに光るネオン。アメリカのそれとは違う日本の田舎の風情を楽しむ。


 ぱさり、と音がした。リカルドの胸においてあったタオルが落ちたのだ。

 拾って、机の上において、彼を見る。

 穏やかな顔だ。具合が悪いわけではないのが見て取れてほっとする。


「ジュディ」


 目を閉じたままそっと名前を呼ばれて、どきりとした。

 ジュディが返事をするとリカルドはすっと細く目を開けて見つめてくる。彼の手がゆっくりと、ジュディの手に触れた。温かい手だ。


 そっと握り返すとリカルドは嬉しそうに口元を緩める。

 が、すぐに真剣な表情になった。


「話しておきたいこと、聞きたいことが、あるんだ」


 リラックスした姿勢から居住まいを正し、リカルドはジュディを正面から見る。


「ジュディは子供、ほしいか?」


 尋ねられた内容が予想よりも大きく外れていてジュディは驚いたが、うなずいた。


「俺も、結君の子と時々触れ合ってきて、子供のいる生活も悪くないなと思うことが増えた。――けれど」


 一呼吸おいて、リカルドが意を決したかのように、言う。


「結婚しても、自分の子供は作らないでおきたい」

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