13-2 心が折れてしまいそう
他愛のない挨拶をしながら、もしかして彼がジュディの好きな人なのだろうかと考えると、先程の嬉しさがしぼんでいく。
「それでは失礼します。さ、リカルドさん、どうぞ」
ジュディにいざなわれるままにドアをくぐったが、前とは違う意味で部屋に入っていいものか、ためらわれる。
ジュディがドアを閉めて靴を脱いで部屋に上がって行く。リカルドも靴を脱いで一歩中に入ったものの、もしかすると自分がジュディと香田の邪魔をしているのでは、と思うと、すんなりと部屋の奥まで進み入ってはいけない気がする。
「リカルドさん?」
先に部屋に入ったジュディが不思議そうに見上げている。
「あ、あぁ、お邪魔します」
とっさに口に笑みを浮かべて応え、リカルドはフローリングを踏みしめてカーペットの部屋に入る。
「今、コーヒー淹れますね」
ジュディはリカルドのためらいに気付かなかったのか、気にしなかったのか、台所に早足で向かい、支度を始める。
(……部屋が隣だし毎日会えるから、今は俺にあわせてくれているということだろうか)
ジュディの後ろ姿を見つめながらリカルドは心の中で不安をつぶやいた。
もしも邪魔をしているなら、引き下がった方がいいのかもしれないとリカルドは考えた。
しかし、いざジュディが戻ってきて目の前に座ると、伝えなければいけない言葉が出てこない。
「あの、先程のお隣の方は……」
「香田さんですか? わたしが日本に来た際にいろいろと助けてくださった方です」
ジュディが言うには、彼女がこちらに越してきた当初からジュディに日本での生活についてを教えてくれたり、日本語の勉強にと話し相手になってくれたそうだ。
「ジュディさんの恩人ですね」
相槌を打ちながら、ますます香田がジュディに好意を抱いていることを確信してしまってリカルドは申し訳ない気分になる。
「はい。なのでお礼にと、しばらくはご飯を差し入れたりとかもしましたが、最近はそういったこともないですね」
ジュディは香田の話をそこで打ち切って、今夜のディナーの話を始めた。
(えぇ、と? 香田さんがジュディさんを好きなのは間違いないとして、ジュディさんは? この様子だと、好きというわけではない……?)
さすがにそのあたりはすぐに気付いたのだが、それではジュディが好きな相手は誰なのかが、また判らなくなってしまった。
やはり、以前から思っていた通り、職場の誰かなのかもしれない、とリカルドは考えた。
どうしてそこで「自分かも」って思えないのか、とレッシュなら言うだろう。リカルドは、少々おせっかいすぎる友人のあきれ顔を想像して微苦笑する。
(思えるわけがない。俺とジュディさんでは釣り合いがとれなさすぎる)
たとえ思いがかなわなくとも、少しの間だけでいい、この心地よい時を望むぐらいは許してもらいたいと思うのであった。
ジュディとのティータイムを楽しみ、リカルドは彼女の部屋を辞した。
彼女とのひと時の余韻に浸りながらリカルドが駐車場に向かうと、アパートの入り口を出た所で香田と鉢合わせした。コンビニの袋らしきものを手に提げていることからして、買い物にでも行ってきた帰りだろう。
軽く会釈をして足を進めたリカルドだったが、すれ違いざま、香田に声をかけられた。
「あの……」
リカルドは振り向いて相手を見るが、物言いたげな香田の口からは、しかしなかなか言葉が出てこない。
「何でしょうか」
静かに促してみると、香田は意を決したように、きっとリカルドを見上げて問いかけてきた。
「ジュディさんとは、どういったご関係なのですか?」
リカルドとしては、彼の口からジュディの話題が出ることは、ある程度予想できていた。香田が確かめたいのは、リカルドがジュディの恋人なのかどうかというところだろう。
「ジュディさんもおっしゃっていたとおり、友人です」
恋人と言えるなら嬉しいのだけれど、と思いつつ微笑する。
その微笑が気に入らなかったのだろうか、元々硬い香田の表情がさらに厳しくなった。
「いつからですか?」
問われて、いつから彼女と友人と言える仲になったのかとリカルドは首をひねった。考えてもすぐには判らないので、形を変えて答えた。
「初めてお会いしたのは、今年の春です」
「そうか、だからジュディさんは」
香田が悔しそうな顔をする。
何が、と問わずとも香田はリカルドを精一杯睨みつけている。なんとも迫力に欠ける顔ではあるが。
「あなたと会う前までジュディさんはうちによく来てくれてました。一緒に食事をして、楽しく話して……。けれど春ぐらいからぱったりとそういうことがなくなって……。あなたが邪魔をしてたんですね」
きっとジュディは“ジャック”達につけ狙われていることに気づいて香田を巻き込まないようにと配慮したのかもしれない。
事件が解決して以降、彼女がなぜ香田と距離を置いたのかまではリカルドには判らないが。
だがそれを告げるわけにはいかない。
リカルドが何も答えないのを「邪魔をしている」ことへの肯定ととったのか、香田はさらに気色ばんだ。
「僕はジュディさんに会った時から、好きなんです。ジュディさんが日本に来た頃から親しくしているんです。なのに……、横から割って入ってこないでください」
香田はまっすぐにリカルドを見て、宣戦布告をしてきた。いや、対等なライバルとしてではなく、ジュディに近づくなという降伏勧告だ。
それなのにリカルドは、ふっと笑った。
「何がおかしいいんですか」
香田が食ってかかる。
「おかしいのではありません。うらやましいのです」
「は? 何が?」
リカルドの答えに香田は敬語すら忘れるほど感情的になった。いらだたせてしまったことに、少し申し訳なく感じながらもリカルドは穏やかに答える。
「ジュディさんを好きだと、初対面に等しい私にさらりと意志表示できるのは、ご自分が彼女に釣りあう存在だと信じて疑っていない、いえ、そんなことすらも意識していないのでしょう。うらやましい限りです」
香田がジュディと恋人として一緒に行動していても、周りから親子かと見間違われることはないだろう。きょうだいと取られるかもしれないが、親子よりは断然いい。先程の笑みは、それに引き換え自分は、という自嘲の表れであった。
リカルドの言葉に香田は一瞬きょとんとしてから、勝ち誇ったような表情になる。
「判ってるんじゃないですか。ジュディさんと年齢的に釣り合わないって。歳の差恋愛とか最近流行ってるみたいですけど、年代が違うと考え方とか趣味とかあわないことが多いでしょ」
ふふんと鼻で笑いだしそうな香田に、リカルドは微苦笑した。ここまで必死に、あからさまになるものなのかと変な感心をした。
「確かに、私がジュディさんとお付き合いなどとはおこがましいと思います。しかし想いを寄せることぐらいは、私の自由ですよね」
人が人を好きになる事にさえ異議を唱えるような器の小さな男にはジュディさんと付き合ってほしくない、などと思いながらリカルドは確認するように尋ねる。
「そ、それは……、まぁ」
香田はどこまでリカルドの意図をくみ取ったのか判らないが、ごにょごにょと言葉を濁した。
「寛大なお言葉に感謝いたします」
本当は肯定するのは不本意なのだろうと、香田の本心を読み取ってリカルドはせめてもの嫌みを返して、それでは、と別れの挨拶を述べた。
まだきっと話したいことがあるであろう香田をその場に残して、リカルドはさっさと車に乗り込んだ。
これ以上あの若者の攻撃を受け続けると、心が折れてしまいそうだった。いや、もう折れていることをリカルド自身、自覚していない。
想いを寄せるのは自由だ。だがその想いを告げる資格は、香田に指摘されて改めて自分にはないのだと思ってしまった。
ジュディは、彼女にふさわしい若い男と幸せになるべきなのだろう。
車を走らせながらリカルドは考えていた。
香田に言われたからではない、前からそう思っていたとリカルドは自分に言い聞かせているが、香田の言葉は、リカルドの胸に深く深く突き刺さっていた。
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