11 異性としての好き
11-1 何もかもがいとしい
富川探偵事務所で楽しいひと時を過ごして、日が暮れた頃にジュディはアパートに戻ってきた。
ご飯はどうしようかな、お茶したばかりであまり空腹じゃないけれど、などと考えながら建物に入ると前方から隣室の男性が階段を降りてきた。
「ジュディさん、おかえりなさい」
「こんにちは。香田さん」
おかえりなさいと言われることに違和感を覚えつつ、それでも当たり障りなく挨拶をしてジュディは彼とすれ違おうとした。
「あ、あの、これからご飯なんですけど、よかったらジュディさんも一緒にどうでしょう?」
え、とジュディは足を止めた。
夕食に誘われていると理解して、もやっとしたものが胸に沸いた。
その正体に気づくと咄嗟に断りの言葉が出てきた。
「すみません、もう家に用意してあるので」
「あ……、そうでしたか。それじゃ、またの機会に」
香田は顔を赤くして、頭をぺこぺこと下げて外に出て行った。
彼が行ってしまうとジュディも自分の部屋へと帰った。
本当はご飯なんて何も用意していないのに、と思うと少し香田に申し訳なかったかもしれないが、仕方ない。
あの時ジュディは、行きたくないと思ったのだ。
リカルド以外の男の人と二人きりで夕食など、と。
誘われるならリカルドがいい、と。
これはもう、完全に「異性としての好き」だ。
そうはっきりと自覚して、また頬が熱くなる。
自分がリカルドを異性として意識し、好意を持つようになったのはいつからだろうかと考えてみる。
何者かにつけ狙われ、駆け込んだ富川探偵事務所で初めてリカルドを見た時は、亡き父が生き返って目の前に現れたかのような懐かしさを感じた。
それがいつの間にか、リカルドを一人の男性として見て、好きになっていた。
彼が元マフィア幹部であったことも、彼が属していたファミリーが父を死に追いやった組織であるということも、彼への想いを阻害する材料になったのは初めのうちだけであった。
リカルドはそうしなければ生きられない人生を送ってきたと、照子が教えてくれたのもある。
何より、いつも穏やかなリカルドが、進んで人を殺め、傷つける人だとは、どうしても思えない。
なので過去は過去、今のリカルドを好きなのだからそれでいい、と納得できたのだ。
彼が過去の行いに苦しんでいることを知った時は、本気で力になりたいと思った。しかしそのことが余計に彼を傷つけてしまうのかもしれないと悟ってからは、努めてその話題には触れないように心がけている。
その甲斐あってか、はたまたリカルド自身が過去にまつわる諸々を振りきるきっかけを自ら見つけたのか、最近では彼が思い悩んでいる様子を見ることが減ったように思う。
それはとても嬉しいことだ。やはり好きな人には笑っていてもらいたい。
リカルドの落ち着いた笑み、レッシュ達や自分を何気なく気遣うさま、予想外のことが起こった時の少し慌てたような困った顔、何もかもがいとしい。
ただ、ひとつ引っかかりを覚えるとするなら、彼がかなり年上であることに由来する心配だ。
彼が父ほどの年だということそのものは、この際どうでもいい。好きになった人がたまたまそうだいうだけのことだ。気になるのは、彼が年上故に、恋愛においてもさまざまなことを経験しているかもしれない、というところだ。
つまりは、年齢というよりは経験の豊富さだ。彼が過去に思いを寄せた相手に比べれば、自分など青臭いだけの若造だと思われてはいないか、という不安がある。
特に、過去に婚約までしていた女性がいることが、そしてその女性がどうやら自分に似ているらしいということが、一番の心配ごとだった。
おそらくリカルドはいまだにその女性、ディアナという名前だったか、彼女に想いを残したままだ。
レッシュはディアナのことはあまりよく知らないという。会ったこともないと言っていた。長年リカルドのそばにいるレッシュが知らないとなると、リカルドが若い頃のことなのだろう。
リカルドが当時二十代だったとするなら、二十年以上もディアナを想っていることになる。
何と強い愛だろうか。そのような相手と自分が張り合えるとは思えない。むしろ姿が似ていることで、自分の弱点がより強調されてリカルドの目に映っているのかもしれないと思うと悲しくなる。
どう頑張っても、ディアナの思い出に勝てないのではないか。
リカルドへの想いについて考えると、いつもこの結論に達してしまう。
ジュディは夢から覚めたような感覚を覚える。ふわふわと浮いた居心地の良い興奮からすぅっと醒めてくるくる感じは、どこか物足りないような、喪失感にも似た寂しさを伴う。
今日もリカルドといろいろな話ができた。
しかしそれだけで進展がない、とも言える。
いつか、今度は二人で予定をあわせて一緒に出掛けられたらいいのに。
今はまだ手に届きそうにない願望を胸に、ジュディはのろのろと夕食の準備にかかった。
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