10-2 ここに訪れる理由

「なにを浮かない顔してんだよ」


 ジュディが帰った後、即、レッシュに問われてリカルドは溜め息を一つついた。


「……ジュディさんには好きな人がいるようだな」


 リカルドがつぶやくように答えると、レッシュは、あぁ? と語尾をあげた。


「何を驚いたような声を出しているのだ。あの話の流れでは気づかない方がおかしいだろう」

「いや、驚いたのはそこじゃなくて。……ひょっとして、やっと好きだって自覚したジュディの、好きなヤツがどんなヤツなのか、変な想像して落ち込んでる?」


 変な想像というくだりはむっとくるが、大体においてレッシュの推測は正しいので、リカルドはうなずくのみにした。


「自分がジュディを好きだって、ここで認めるのは進歩だけど」

 レッシュは、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。


「リカルドさんの恋愛は亀の歩みですねぇ」

 透も微苦笑している。


「見ていてまどろっこしいって言うか……」

 信司も賛同している。


「ちょっと待て。おまえが言うな。散々沙夜香に肩透かしを食らわせておれに八つ当たりさせた当人が」


 レッシュが信司を肘で小突いている。


「肩透かしなんてやってないよ」

「自覚なくやってたんだから余計たちが悪かったんだよっ」


 透が「レッシュさんは一番の犠牲者でしたからね」と笑ってうなずいている。


「とにかくなぁ」レッシュはリカルドに向き直った。「さっきの会話含めて、今までジュディと接してきて気づいたのは、彼女に好きなヤツがいるってことだけか?」


 仕方がないだろう、と言いたいところだが、ここはぐっと我慢した。何せ恋愛感情においては、自分は彼らよりはるかに経験が少ないのを自覚しているから。


「他に何かあるのか?」


 あるなら教えてほしい、と願いを込めてレッシュを見る。


「……たくさんあるけど……、ほんっとにニブいなぁ」


 しみじみと言われてしまった。


「けれど、好きな人の好きな人が誰なのかなんて、意外に判らないものなのかもしれませんね。ほら、周りの動向に敏感な人だって自分の感情がからむことには気づかなかったりとか、ありますし」


 透がリカルドの擁護に回った。


「まぁそうか。なにせここに一番の前例があるし」

「蒸し返すなよ」


 レッシュが信司を肘でつっついている。隣でうんうんとうなずいて透が言う。


「じゃあ、ヒントぐらい出してもいいんじゃないかな」

「ヒント?」

「たとえば、ジュディさんがどうして毎週お菓子を作ってここに来るのか、とか。リカルドさんはどう思いますか?」


 いきなり質問を振られてリカルドは「えっ?」と言葉を吐いてから、考える。

 ジュディが菓子を作ってここに訪れる理由は、きっと菓子を食べてもらいたいからだろう。ではなぜここなのか。

 そうだ。女性は好きな人がいるのならその人に手作りの料理や菓子をごちそうしたいと思うものだ、と聞いたことがある。ならば当然うまく作ったのを食べてもらいたいはずだ。ということは……。


 リカルドはひらめいたと言わんばかりの顔でうなずいて答えた。


「菓子を、試食してもらいたいから、では?」

「うへぁ……」


 レッシュ達がコケている。


「何か違いましたか?」

「なんでそこで試食かなっ」

「好きな人に作って持って行く前に、我々の反応を見て――」

「わざとボケてると思いたいけどマジボケなんだろうなあ」


 あきれ顔で頭まで抱えられてしまった。


「じゃあ、さ。どうしてジュディさんは休みの日ごとにここにくるんでしょう? 好きな人に食べさせたいための試食なら、そんなに頻繁に持って来なくてもいいでしょう?」


 信司が更に尋ねてきた。


 確かに、ジュディは休みの日のほとんどはこの探偵事務所に来ている。それではなかなか好きな男性に会う暇がない。


「……彼女の好きな人とは休日以外に頻繁に会っている、とか。あぁ、きっと同じ職場の人なのですよ」


 休日に菓子を作ってこちらで反応を見て、評判のよかったものを仕事の日に持って行けばいいのだ、とリカルドはうなずいた。


「一人で納得してんなよ。あんた、その推理力で探偵名乗っちゃ駄目だと思う」

「余計な世話だ。……おまえは、なぜジュディさんが休みの日ごとにここに来ると思うんだ?」

「そりゃ、ここに来たい明確な理由があるからだろ。後は自分で考えろよ」


 レッシュは首を斜めにひょいと傾げて笑った。

 答えが判るなら教えてくれてもいいだろうに、と憤慨しながらも、リカルドは何も返せなかった。




「という話になったんだよ。私には彼らが何を言いたいのか、判りかねるのだが」


 その日の夜、以前、話を聞いてもらったバーでリカルドはカクテルを片手に結にこぼしていた。


「……うん、まぁ俺も彼らの意見におおむね賛成かな」


 向かいに座る結は微笑を浮かべている。


「結君まで……」


 結だけは自分の味方だと思っていたリカルドはガクリとうなだれた。


「でも本当に、好きな人の気持ちって判りづらいと思うよ」


 結は、やけに実感のこもった声で言うので、リカルドは「君でもそうなのか」と聞き返していた。人の心のうちを読み取ることを得意としている結でも、照子の気持ちは判らないものなのだろうか。


「さすがに夫婦になってしまうと、親になるとなおさら、相手が自分を異性としてどう思ってるのかはあまり気にならなくなるんだけどな。それに照子は結構思ったことを口にするからね。でも結婚するまでは彼女も俺も、相手の反応からの探りあいだったよ」


 そんなことがあったのかとリカルドは感心して息をついた。

 いつでも以心伝心に見える青井夫婦でさえそうだったのだから、恋愛経験の乏しいリカルドが戸惑っても何ら不思議はないと、少しほっとした気分になる。


「その腹の探りあいを、どうやって脱したんだ?」


 今後の参考に、というよりは興味本位でリカルドは尋ねる。


「俺は結婚するなら自分の仕事も理解してほしいと思っていたから、照子にいつどうやって仕事のことを打ち明けようか悩んだし、拒絶されないだろうかと二の足を踏んでいた事もある。こんな俺が照子のそばにいていいんだろうかって自問自答もしたよ」


 結ならば迷わず照子にアプローチをしたものだと思っていただけに、この告白は意外だった。リカルドは相槌をうちながら目を丸くしていた。


「けれど、彼女を仕事に巻き込んでしまったから、まず仕事のことを打ち明けた。意外にもあっさりとしていて驚いたよ。彼女は彼女で俺に何か裏があるのかもと感づいていたらしい」


 当時を思い出しているのか結の目は遠くを見つめ、口元に懐古の笑みが浮かんでいる。


「仕事に巻き込んだことがいいきっかけになったということか」

「結果的には、そうなるな。それで、仕事が落ち着いてから改めてプロポーズをした、といったところだ」


 リカルドにとって結の話はとても興味深かった。今までは人の恋愛話などには興味はなかったのだが、自分が女性に恋心を抱いて初めて、人の経験談にも関心がわいてくる。それぞれに経験を積んできたであろう探偵事務所の面々がこの手の話で盛り上がるのも、なるほどうなずけた。


 結は、彼らが結婚までにたどった経緯や、それにまつわる話を、冗談を交えて話して聞かせてくれた。

 彼がプロポーズをしようと決心した時に、ロサンゼルスに出張を命じられたというくだりは、結にはとても失礼だが思わず笑ってしまいそうになった。


 一通りの話がすむと、結はふと真剣な顔になった尋ねた。


「リカルドは、どうするつもりなんだ? もしもジュディさんと付き合うということになったら、過去の仕事のこと、……どうして家業を継ぐことになったのかとか、話すつもりなのか?」


 突然問われて、リカルドの笑顔がしぼんでいく。


「それは……。できれば話したくないと思っている。私の過去に関わることはすべて、彼女を傷つけてしまうだろうから」


 いいながら、詭弁だとも思った。

 ジュディを慮っているのも本心だが、本当は知られることで幻滅され、軽蔑されたくない、という保身の方が大きいとリカルドは気づいていた。彼女のためといいつつ、本当は自分が一番傷つきたくないのだ、と。

 そんな自分が情けない。ますます彼女を好きでいる資格などない、と卑下しつつ、それでもジュディへの思いはもう否定しがたいほどに膨れ上がっていた。


「判るよ。あえて相手が悲しむような話はしたくないし、好きだからなおさら知られたくないことだってあるよな」


 結はどこまでリカルドの本心を見抜いているのか、穏やかな表情でうなずいた。

 リカルドは、自分を肯定されたような気がして、温かい感情が胸をみたすのを感じた。


「けれどもし、もしも、ジュディさんがそれでも聞きたいと言ったら、俺は話してもいいと思うよ。リカルドがそうしてもいいと思ったら、無理に隠さずに話してみるといいんじゃないかな」

「彼女が聞きたいとおっしゃるなら、……そうだな。しかし彼女が聞きたがるとは思えないけれどね」


 リカルドはうなずきながら、どうして今、結がそんな話をするのか疑問に思った。

 ジュディがそのような話を聞きたがるとは思えない。なのに、なぜ結は過去を打ち明けることを後押しするのだろう。

 怪訝に思うリカルドの表情を読んだのか、結は微笑を浮かべて付け足した。


「もしもの話だよ。まぁとにかく、いろんな話をすれば判ることもあるってことだよ」

「なるほど、そういう意味なら、判るな」


 いろいろな話をすれば、今まで見えてなかったものが見えてくる。それはリカルドがこの二年近くで身をもって体験してきたことなので、認識を新たにうなずいた。


 いつかジュディとも、何の気兼ねもなくさまざまな話ができるようになれれば、とリカルドは願わずにはいられなかった。


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