09-3 格別な酒

「そうだな、振り切れていないな」

「あんたは人に本心を見せたがらないからなぁ。そうやって生きてくしか、なかったもんな。結に相談した時だって、全部さらけ出したわけじゃないだろ。無理に話聞こうとは思わないけど、もしもおれにでも話してもいいかなって思ったら、いつでも聞くぞ」


 レッシュは照れ臭そうな笑みを浮かべて、それをごまかすかのようにチーズに手を伸ばして一口かじり、「これもうまいな」などとつぶやいた。


 見事に心の内側を指摘され、リカルドの胸がかっと熱くなる。隠していたつもりが全然隠せていなかったことに対する羞恥もあるが、それよりもレッシュが自分のことを思っていた以上に理解してくれていたことに対して心が高なった。


「なら、聞いてくれるか?」

「もちろん」

「すまないな」

「謝られるようなことじゃないよ。さ、あんたももっと飲もうぜ」

「我がもののように言っているが、これは私の酒だ」

「そうだったなー」


 レッシュが笑う。リカルドも肩の力を抜いて、ワイングラスを手に取った。


「もしもの話だが、おまえは自分の正体を知る者が、大切な人の仇だとやってきたらどう思う?」

「そりゃ苦しいな。けどだからって言ってあっさり復讐されるわけにもいかないけどな」


 グラスを手でもてあそびながらレッシュは言う。

 自分の過ちの犠牲になった人も、その関係者にもすまないとは思うが、だからといって自分が復讐を受け入れたら、今自分のそばにいる人達が悲しむ、と。

 それは結があの日言っていたことと重なる。

 やはりそうなのだな、とリカルドはうなずいた。


「許してもらおうとは思わないけど、できる限りの償いはしたい、かな」


 そう締めくくって、レッシュはリカルドを見つめてきた。


「実は、夢を見るのだ。昔の仕事に関わる夢を」


 話しだしてしまえば、するすると言葉が出てくるもので、気がつけば夢の話と、ジュディを想うことへの罪悪感まですっかりと吐き出してしまっていた。

 元部下に恥ずかしい、という気持ちは、話し終える頃にはまったくなくなっていた。


 それはレッシュが相槌を打ちながら、ただただ聞いていてくれたからかもしれない。ここでいつものように茶々を入れたり、そんなの気にすることはないと断じられたりしていたら、リカルドの気持ちは折れていたかもしれない。


 本当は、すべてを聞いてほしかったのだ。

 誰かに、ではなく、ともに犯罪者として生きてきた――自分が引きずりこんでしまった――レッシュならと、リカルドの無意識下の意識で彼を求めていたのだろう。


「話を聞いてくれて、ありがとう」


 リカルドが言うと、レッシュは手をひらひらと振った後、酒気を帯びてほんのりと上気した顔をあおいでいる。


「ちょっとでも楽になるなら、それでいいよ。あんたはもう十分、今まで苦しんできたんだから、その分幸せになったっていいっておれは思うよ。……こんな話、他ではできないよな。結や信司達だって『裏』に関わってるけど、犯罪めいたことをしていても、犯罪者そのものじゃないし」


 気がつけば二人とも結構な量を飲んでいる。ワインの瓶の中身は、気がつけば底をついていた。

 今やリカルドだけでなく、レッシュも口がすべらかになっているようで、リカルドの話が終わったから今度は自分の番だとでも言うように話し続けた。


「いろいろ悩みは尽きないよなー。どんな暮らしをしていても。こんなことで悩むなんて贅沢だとかそんなことまで考えちまってさ。けど、さ。あんたもおれも、もう一人で悩むことはないんだって、おれは最近思うようになったよ。それもこれも、他の誰でもなくてリカルドがおれを拾ってくれたからなんだよな」


 レッシュは言う。父の件で独力でマフィアの男達を襲撃した際、危機にひんした彼を拾ったのがリカルドでなかったら、レッシュは日本に頻繁に来ることもなかっただろう。信司と親交を深めることもなく、今こうして日本で平和な暮らしにつくこともできなかったはずだ、と。


「確かに、他の構成員ならばおまえが日本に渡るのを制限していたのかもしれないな。だが、そもそも、あの時おまえは私と会わなければ、マフィアなどにならずにすんでいたのかもしれないぞ」

「何言ってんだよ。おれはあの時点でとっくに犯罪者だったし、あんたの庇護がなけりゃ撃ち殺した連中の仲間の制裁を喰らってやられてるよ。生き残って少年院に入ったって、その後どうなっていたことか。……ほんと、あんたでよかったって思ってる」


 自分の存在を認めてくれるレッシュの言葉に胸の内が温かくなるのを感じた。


「なぁ、あんたにとっておれってどんな存在?」


 まるで恋の告白のようだが、今のリカルドになら目の前の元部下が何を思って問うてきたのかは、きちんと理解できた。


「おまえがそれでいいと思ってくれるなら、友人の一人、と思っている」


 赤らんだ顔をくしゃっと嬉しそうにゆがめてレッシュが笑った。


「いいに決まってんだろ。おれの方こそ『おまえなどが片腹痛いわ』とか思われてるかとビビッてたんだからな」

「カタハライタイ?」

「知らないのか? よく敵のボスなんかが言うセリフだぞ。笑止千万! みたいなヤツ」

「私は敵のボスか」

「アメリカにいた頃は、味方だけど似たような感じだったし」

「そのわりには遠慮がなかったように思うが?」

「そうかなー」


 うひゃひゃと笑うレッシュにリカルドも声をあげて笑った。


「……二本目も飲むか?」

「お、いいねぇ」


 レッシュと酒を飲むのはもう何度目なのか覚えていないほどだが、今夜の酒はリカルドにとって格別な酒となった。

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