09-2 矜持にこだわることはない

 再発した。


 これがよいことならいいのだが、最悪なことにリカルドにとって致命的とも呼べるものが、またこの数日で彼を苦しめている。

 悪夢だ。毎夜「気にすることはない」と自らに言い聞かせてベッドに横になっても、夜中にはたっぷりの寝汗をかいて跳ね起きていた。


 二カ月近く前に結から強く励まされて以来、一旦落ち着いたのだが、今回は長引きそうな予感がした。


「俺を落ち着かなくさせているのは、何なのだ」


 小声で疑問を落としてみても深夜の自室に応える者はない。

 だが誰に言われるまでもなく、リカルドはその正体に思い当っていた。

 認めたくはないが、ジュディへの想いだ。


 ただでさえ平和な暮らしに対して申し訳なく思うところがあったのに、更にのんきに女性を好きになってしまった、という罪悪感だった。


 ジュディのことを考えるととても幸せになれる。彼女の姿を見、声を聞き、自分に向けられる優しさを目の当たりにすると、今の暮らしでよかった、日本に来てよかったと思う。


 だがそれが同時に、心のかせともなっていた。

 元犯罪者の自分が、殺人事件の遺族である彼女を好きになるなど、とんでもない。

 自分のこの気持ちを知ったら、ジュディさんは迷惑に違いない。

 そんな引け目が、過去の犯罪を浮き彫りにする悪夢となってリカルドをさいなんでいた。


 コントロールのできない深層心理に周りを巻き込まないようにと心に誓いながら、リカルドは再び体を横たえた。




「なぁリカルド、今日そっち寄っていいか?」

 唐突にレッシュがそんな話を持ちかけてきた。


「今日か? 急だな。何かあったのか?」

「んー、まぁな。ちょっと酒でも飲みながら聞いてもらいたいことがあって」


 それなら外でもいいではないかと思ったが、そうすると明日の出勤が電車になる。飲むついでにリカルドの部屋に泊まろうというちゃっかり者のレッシュは考えているのかもしれない。

 まぁそれならそれでいいだろう、と、リカルドは承知した。


 退勤時間となり、リカルドはレッシュを伴ってマンションの部屋に戻った。


「相変わらず、あんまり生活感ない部屋だなぁ」


 玄関から廊下、ダイニングキッチンへと移動しながらレッシュが辺りを見回してつぶやく。


「おまえの言う生活感がある部屋は、散らかっているだけなのではないか?」


 少し嫌みに応えてやると、レッシュは「そうとも言うかもな」と笑った。

 あっけらかんと笑って椅子に座るレッシュに呆れながら、リカルドは赤ワインとチーズをテーブルに並べた。


「さすが、いいの置いてるな」

「話などと言って、これが目的なのではないのか?」

「それはちょっと違うぞ。これも楽しみだけど、話はちゃんとあるんだから」


 今度は真剣な表情で返ってきたレッシュの応えに、リカルドは「ほぅ?」と首をかしげる。


「それでは、聞こうか。どんな話だ?」


 ワインのコルクを抜きながらリカルドはレッシュに話を促した。


「前の日曜日に、亮に頼まれてたから結んとこ行ってきたんだよ」

「そう言えばそうだったな。何かあったのか?」

「咲子、可愛いなぁ。淳も大きくなってた。子供っていいよなー」


 レッシュがにやけているのにつられるようにリカルドも頬を緩めた。

 青井家の子供達の姿を思い浮かべながら、リカルドはグラスにワインを注ぎ入れる。


「でさ。まぁいろいろと話してきたんだけど。……あんたも、自分は結の友人でいいのか、って尋ねたらしいな?」


 子供達の話から突然、自分の悩みの話に変わってリカルドはとっさに言葉が出なかった。

 リカルドが何も応えられないでいるとレッシュが続ける。


「最近、あんたちょっと疲れた顔してるからさ、ひょっとして恋わずらいか? って軽く考えてたんだけど、実は悩みはもっと深いところにあるのかな、って」


 更に驚いた。できるだけ顔には出さないようにと努めてきて、うまく平静を保てていると思っていたのに。さすが付き合いが長いだけのことはある。

 レッシュはグラスをとって軽く掲げ、口をつけた。リカルドの返事を待っているのだろう。


「……『あんたも』ということは、おまえもなのか」


 ようやく出てきた言葉は、直接の答えにはなっていないが、レッシュの予測を肯定するものだった。


「おれ、結には仕事だけじゃなくて私情もまぜて酷いことしちまったからな。あいつは普段顔に出さないけど本心ではおれのことをウザいって思ってても仕方ないって思ってた。けどあいつは、今はリカルドもレッシュも友人だと思ってるって言ってくれてさ。嬉しかった。それで過去の罪が消えるわけじゃないけど、許してくれたんだって思ったら、すぅっと胸のつっかえが取れたみたいでさ」


 レッシュの告白に、リカルドは深くうなずいた。彼自身も、結に悪夢のことで相談をして励まされてからしばらく夢は見なくなった。それだけ気が楽になったのだ。


「だから結と名前で呼び始めたのか」


 リカルドもグラスをとって口をつける。ワインの風味が広がった。


「まぁ、な。でも……、あんたは、まだ悩んでんだよな。結とのことだけじゃなくて、いろいろと」


 レッシュが心配そうにリカルドを見つめる。


 誰よりも一番リカルドを理解してくれるのは、実はレッシュなのかもしれない。だが、長年上司として彼の上に立っていた身として、弱みを見せてしまうことに二の足を踏んでいた。

 だが、もうそんな矜持にこだわることはないのだ、と思った。


 彼も自分も、過去の所業に悩み、何とか振り切ろうとしている同士なのだ。

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