08-3 心のありか
次の日、なんだかすっきりしない気持ちのままリカルドは富川探偵事務所に出勤した。
ジュディとの買い物は楽しかったし、肝心の夏服や鞄もいいものが手に入って申し分ないはずなのに、なんだか喉に何かがつっかえているかのような気分だ。
いつものように、皆と朝の談笑の時間を過ごした後、信司と透は退魔関係の仕事が入ったので出かけて行った。亮は所長室で仕事だ。
「お手伝いした方がよろしいですか?」
「いえ、今は結構です。お客さんがもしもいらっしゃったらレッシュと応対しておいてください」
もしも、のあたりを心なしか強調した亮は、それでは、と言い残して所長室に入って行った。
事務室に残されたのは、受付の
「もしもってわざわざ言わなくてもいいのにな」
レッシュは笑って、机に置いてある雑誌を手に取った。
いつもはここに信司と透がいて、取りとめのない話に花を咲かせるところだが、レッシュは雑誌を読みはじめ、歩は歩で本を読んでいる。
リカルドも、普段なら空いた時間を利用して薬品の研究を進めるところなのだが、なんだかそんな気分にもなれない。
「珍しいな。研究行かないのか?」
レッシュがちらとリカルドを見て、また雑誌に目を戻しながら声をかけてくる。
「……なんとなく、気分が乗らないのだ」
「へぇ。明日は雨かな」
またリカルドをちらりと見てレッシュが肩をすくめて笑う。
まるで人を研究馬鹿のように言うレッシュに何と返せばよいのか、リカルドは一瞬返答に窮して苦笑いを漏らすのみにとどめた。
「なんか、あったのか?」
今度は雑誌を閉じてリカルドを凝視するレッシュに、胸の奥を見透かされた気がして「いや」とのみ、反射的に返した。
「別に無理には聞かないけどさ。そういや、珍しいな黒のスラックスなんて。いつもベージュとかもうちょっと白っぽいのばっかりなのに」
「あ、あぁ、そうだな。昨日買い物に出て……」
レッシュとしては話題をちょっと変えてそらせたつもりなのだろうが、それが今のリカルドのもやもやにつながっているのだから皮肉なものだ。
しかし、考えようによってはレッシュに相談するチャンスなのかもしれない。このような話は信司達がいると話しにくい面がある。三人が揃うと話を茶化す方向に行きかねないのだ。
「実は、ジュディさんに会ったから一緒に買い物をした」
「へぇ? じゃあそれはジュディの趣味か。なかなかいいセンスだよな」
レッシュが感心したように言うのに、なんだかリカルドは自分が褒められたかのような誇らしげな気分になる。
「それで、だな……。少し引っかかることもあったのだが」
リカルドは昨日のことをレッシュにかいつまんで話した。
ジュディがナンパされていたので声をかけたら親子に間違われたこと。
それから昼食をとって買い物をしたこと。
店員にまた親子だと間違われたこと。
レッシュはリカルドの報告に、ふんふんと相槌を打っている。
「ジュディさんとの買い物はとても楽しかったのだが、なんだか釈然としなくてな。なぜすっきりした気分になれないのかよく判らないのだ」
「……よく判らない?」
「あぁ。元々彼女とは親子ほどの年の差で、彼女も私を父に似た存在だと思っているのは承知しているのだが。他人に親子だと言われるとなぜもやもやとするのだろうか」
レッシュはなんだかあきれ顔だ。なぜそのような顔をされるのかも、リカルドには判らない。
「あんたさ……。鈍い鈍いと思ってたけど、そこまでとはなぁ」
馬鹿にしたようなレッシュの言葉に、さすがにリカルドはむっとした。
「おまえには判ると言うのか」
「簡単なことじゃないか。あんたはジュディに惚れてるんだよ。だから親子に間違われてむっとするんだよ。親子じゃなくてせめて友人とか、恋愛可能な関係に見られてるって思いたいんだろ」
「惚れて……」
思いもよらぬ言葉にリカルドは言葉を失った。
そんなリカルドを見てレッシュは軽く息をついて、今度は少し穏やかに言った。
「まぁ自分の気持ちだからこそ気づかないってこともあるだろうけどさ。さすがに鈍すぎだぞ」
リカルドはそれには応えず、じっと考えた。
誰かとあんなに話したのは久しぶりだった。更に女性と二人で完全なプライベートの時間を過ごしたのは、婚約者のディアナ以来だ。そして、とても楽しい時間であったことに間違いない。
だが、だからと言ってジュディを女性として好きなのかはまた別問題だろう。
「納得できないって顔だな」レッシュが悪戯めいた顔で笑う。「ま、いくらニブチンでもそのうち自覚するだろう。あんただって、人を好きになったことがあるんだろうから、その時の気持ちと似たもんを少しでも感じりゃな」
レッシュはそう言って、また雑誌に目を戻した。
(俺が、ジュディさんを好き、だと?)
リカルドは心の中で繰り返す。
レッシュと歩が紙をめくる音が時々小さく聞こえる事務所の中で、リカルドはただただ、ソファに座って必死に自分の心のありかを探っていた。
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