08-2 再び大きなショック
何が食べたいかと尋ねると、何でもいいということなので、手近なイタリアンの店に入った。オレンジの照明がまぶしくもなく暗すぎもせず、そこそこの客がいても店内は騒がしさがなく、よい感じの店だ。
もっとじっくり店を探してもよかったかな、と思いつつ、なんとなく早く腰を落ちつけたいという気持ちが働いた。若い女性と並んで歩くというのが、気恥ずかしいと感じたのかもしれない。
ロサンゼルスにいた頃なら、さほど気にしなかった。隣を歩く相手は年齢性別問わず仕事がらみであったから。完全なプライベートとなると、それこそディアナと共に過ごして以来となるので二十年以上ないことだ。
(いや、これはデートというものではないだろう。たまたま二人とも買い物だということで利害が一致したから一緒にいるだけだ)
そう考えて気分を落ち着けることにした。
「リカルドさんは、何になさいますか?」
ジュディに尋ねられて、リカルドは慌ててメニューに目を移した。
ミートスパゲティあたりでも、と考えたが、もしミートソースが飛び散ったりなど粗相があったら恥ずかしい、と、ドリアを頼むことにした。
(いや、別に普段から食べ方が汚いとか言われているわけでもないが。……それより、そこまで気を使わなくてもいいんじゃないか……?)
などと考えて、どうもいつもの自分らしくないと苦笑する。久しぶりに女性と二人でプライベートを過ごすということに必要以上に緊張しているようだ。
「ところでリカルドさんは普段どんなテレビをご覧になりますか?」
ウェイターに注文を済ませると、ジュディがにこやかに話しかけてきた。
「テレビですか」急に質問されて、リカルドは首をひねる。「情報番組とか、ニュースとか……、ですね」
「バラエティやドラマはご覧にならないのですか?」
「あぁ、そう言えば事務所の人達に薦められたものは時々見ますよ」
リカルドとしては事務所での話題に取り残されっぱなしにならないように、信司や透達が話題に上げるバラエティやクイズ番組などを見ている。最近ではその面白さが少しだけ判ってきた。やはり日本語を日常語として深く理解するようになってきてから、いわゆる「お約束」のやりとりや「ノリ」「ツッコミ」というものも理解できるようになったのが大きいと言える。
「あ、それでしたら、昨日のクイズ番組、見ました?」
ジュディが昨夜放送していた番組について話し始める。日本語の勉強にもなると、リカルドも視聴していたものだった。
「ジュディさんもクイズ番組などご覧になるのですね」
「富川さんに、いろいろな番組を観てみるよう勧めていただいたので」
初めてジュディが富川探偵事務所を訪れた時、亮に「日本語をもう少し理解できた方が人付き合いも円滑になりますし、テレビを見て覚えるといいですよ」と勧められたそうだ。
なるほど、自分もそう言われた、とリカルドが笑うと、ジュディも顔をほころばせる。
考えてみれば、信司の発案で亮の協力を得て日本に来た自分とは違い、ジュディは身一つで異国に逃げるようにやってきたのだ。いくら学生の時に日本語を勉強していたとはいえ、生活が安定するまでにどれだけの苦労があっただろうか。
一見、内気そうに見えて、異国でもきちんと活動できるバイタリティがある。素晴らしいなとリカルドは思った。
料理が運ばれて来てからは、あの問題の正解がああだったとは、などと話は盛り上がり、とても楽しい食事の時間となった。
探偵事務所の皆との食事も好きだが、リカルドは聞き手に徹していると言っていいほど黙っているので、また違った楽しさだ。
「それじゃ、そろそろ買い物に行きましょうか」
話の切りのいいところで、ジュディが提案してきた。いつの間にか時間を忘れているとはリカルドにとって新鮮なことだった。
まずはジュディの買い物を、ということになり、時計やハンカチ、靴などを見てまわる。
女性の買い物に付き合うのは初めてではないが、それこそ数えるほどしかない。片手で足りるほどだ。
きらびやかなショーウィンドウ、ディスプレイ、女性が多く立ちよることで放たれる華やかな雰囲気とフレグランスの香り。どれも慣れなくて、リカルドは軽くめまいを起こしそうになる。
「これとこれ、どっちがいいかな……」
ジュディが、白のパンプスと、黒のローファーを並べて悩み顔だ。
彼女には白の方が似合っている、とリカルドは直感的に思い、パンプスとジュディを見比べた。
「リカルドさん、どっちがいいと――」
「白のそちらの靴がいいと――」
アドバイスを乞うジュディと、感想を伝えるリカルドの声が見事に重なった。
「まあ、以心伝心ですね」
真っ赤になって口ごもるジュディと、聞かれてもいないうちに意見を発して照れ笑いのリカルドに、店員が冷やかしの言葉をかけてきた。
以心伝心と言われて、リカルドはさらに心がむずがゆくなった。自分は嫌ではないが、ジュディは迷惑なのではないか、と考えるとちくりと刺されるものもある。
しかしジュディの様子からは嫌がっているそぶりは見受けられない。それも自分の希望的観測なのかもしれないとまで考えるとさらに心が痛くなるので、考えないことにして「決まってよかったですね」と微笑んだ。
ジュディの買い物が済み、次はリカルドの洋服を見ることになった。
色の好みで言うと、リカルドは暗めの服装が好きな方だ。しかし、マフィアとして活動していていた頃にダークスーツばかりを着ていたので、特に黒などは避けていた。そちらの方面を連想してしまうのが嫌だった。
だがそんな心理を知らないジュディは、「リカルドさんは明るい色ももちろんお似合いですが、黒とかもきっと似合うと思いますよ」とダーク系のスラックスを薦めてきた。
せっかく薦めてくれたからと、とりあえず試着してみることにして、やはり買うのは明るめのブラウンかグレーか、それに近い色合いのものにしようか、とリカルドは考えていた。
しかし、着てみるとさほどの嫌悪感は抱かなかった。むしろ元々好きな色なので、これでもいいのではないかという気になってくる。
「わぁ、やっぱりお似合いですよ。たまにはそういう感じの服もいいのではないですか?」
ジュディが手を組み合わせ、目を輝かせて褒めている。
(うん、これにしよう)
即断即決であった。
すそ上げのために店員を呼ぶと、妙齢の女性店員も大げさに褒め言葉を口にした。
「元々細身のお客様のおみ足が、さらに引き締まってとても映えて見えますね」
店員はかがんで、すそに待ち針を刺していく。
「よかった……」
ジュディも満面の笑みだ。
ナンパ男に親父扱いされたが、今日は総じていい日だとリカルドも嬉しくなった。
が。
「お嬢様のお見立てですか? さすが、お父様によく似合う物をご存じですね」
待ち針を刺し終えた店員が立ち上がってにっこり。
「お、おと……」
リカルドは再び大きなショックを味わうのであった。
「あら、違いましたか? 失礼いたしました。お二人でいらっしゃるのがとても自然に見えたものですから」
店員が頭を下げて、そそくさと去っていく。
微妙な雰囲気の中に残されたリカルドとジュディは、顔を見合わせて苦笑した。
「……着替えますね」
試着室のカーテンをひいて、リカルドは鏡に向き直った。
(親子、か)
仕方がない。自分は元々ジュディの父の面影のある人物というだけなのだから。それだけ歳が離れているのだから。
それは初めから判っていたことで、以前はどうとも思わなかった。しかし、今は胸がぐっと苦しくなる。
なぜだろうか。
正体不明のもやもやを胸に抱えたまま、リカルドは溜め息をひとつついた。
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