08 父の面影
08-1 親父、つまり父親
季節は進み、暑い夏が訪れる。
立っているだけで汗がじわじわと皮膚ににじみ出てくる。うだるような暑さという言葉が日本にはあるが、本当にゆだってしまいそうだとリカルドは暑苦しそうに吐息を漏らした。
今日は仕事が休みだ。夏物の衣服を買い揃えようかと、奈良方面まで足を伸ばす。普段なら近所のショッピングセンターで済ませるところだが、ついでに靴やかばんも見てみたかったので、大きな店がそろう繁華街に向かったのだ。品揃えを考えると京都でもよかったのだが、車で向かうのは奈良の方が何かと便利だった。ただそれだけの理由だったのだが。
まずは軽く腹ごしらえでもして、と、同じように昼食を求める人達の合間で店を探していたリカルドの耳に、若い男の、発音を正したくなるような「ジャパニーズイングリッシュ」が飛び込んできた。
「ヘーイ、ビューテフルガール! ゴーウィズミー。キャンユーアンダースターンド?」
最初は、道に迷った外国人に親切に道を教えているのかと思った。日本人は困っている人に親切にすることが美徳と考える人が多いのだ。外国人に話しかけるというハードルを軽々と越えられるほど社交性のある人ならば、困り顔の「外人」を放っておけないはずだ。
少々英語の発音に難ありだろうが、ほほえましいことではないか、とリカルドは声の聞こえた方を何気に見やった。
若い男が若い女性に身振り手振りを交えて話しかけている。いかにも軽薄そうな男に声をかけられて困っている女性は、ジュディだった。
驚きのあまり、口を半開きにしたまま思わず絶句する。
「あ、あの、困ります。わたし……」
「なーんだ、日本語判るんだ。じゃあもっといいや。ね、一緒にランチしようよ」
なんと、道案内ではなくナンパであった。
ジュディさんを困らせるとは、しかもそんな中身もない言葉で彼女を思い通りに出来ると思っているのか、とリカルドはむっとして二人に近づく。
「何をなさっているのですか?」
こういう時、リカルドは怒鳴らない。むしろ冷静な口調と表情で相手を責める。あなたのような男の出る幕ではありませんよ、と冷ややかな視線で言外に語る。
ジュディはリカルドを見上げて口元をほころばせた。
その笑顔にリカルドも思わず笑みが漏れる。
対し、ナンパを試みていた若者は面白くなさそうな顔で舌打ちを一つ。
「なんだ、親父と一緒かよ」
強烈な捨て台詞を吐いて、さっさと立ち去った。
親父、つまり父親。
自分はジュディの父親に見られたのだ。
リカルドの脳天に衝撃が走る。本当に鈍器で殴られた直後のように、その場に固まった。
「あ、あの……。リカルドさん?」
ジュディが声をかけてくる。
リカルドが我に返ると、失礼極まりないナンパ若造は肩をいからせて遠ざかっていく。残されたジュディが困った顔でリカルドを見上げていた。
「ん、あぁ、行ってしまったようですね。ジュディさんをあのような軽い言葉で誘うなど失礼な方です」
親父と呼ばれた事には触れず、やれやれ、と肩をすくめて見せて、リカルドはこの話を打ち切った。
「いえ、そんな……。日本に来て男性に声をかけられたなんて初めてで、少し驚いてしまいました」
ジュディが笑みを浮かべたのでリカルドはほっとしたが、いろいろと引っかかるところはある。
アメリカにいた頃はよく男性に声をかけられていたのか、とか、もしや「困ります」と言っていたのは驚いたからであって、誘われたこと自体は悪く思っていなかったのではないか、とか。
(もちろんジュディさんほどの可憐な人なら声ぐらいかけられて当然だろう。俺はもしかして邪魔をしてしまったのか?)
そんな不安まで胸をよぎってしまう。
「リカルドさんはどうしてこちらに? お買い物ですか?」
問われて、リカルドははっとした。
「えぇ。夏物を買いそろえておきたいと思いましたので、繁華街まで出てきました」
リカルドが答えるとジュディは顔をほころばせた。
「もしよかったら、ご一緒させていただけませんか? わたしも靴とか買いたいなと思ってて。一緒に選んでいただけませんか?」
若い女性とともに買い物など、リカルドには思ってもみないことだった。
誘われたということが、なんだか嬉しい。
もちろんリカルドは即座にうなずいた。
「はい。私の服なども、見立てていただけるとありがたいです」
服などのセンスはあまりなくて、とリカルドが言うと、ジュディは「そんなことないと思いますけれど」と微笑んだ。
「ジュディさんは、お昼ご飯は? 私はこれからどこかで食べようかと思っているのですが」
「わたしもまだです。一緒に参りましょう」
こうして、リカルドはジュディと休日を過ごすことになった。
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