04-5 彼女には感謝しかない
どこかで、これが夢だと理解している。
とうの昔に失ったと判っている婚約者、ディアナがそばにいることに違和感を覚えつつ、リカルドはそれでも嬉しかった。
しかし夢は現実と同じ結末を迎える。
周りが一変し、ディアナが倒れているそばにリカルドが駆け寄る。
「わたしのこと、忘れて……、幸せに……」
ディアナの今際の言葉と、悲しそうな表情もあの時のまま。
いやだ、逝かないでくれ。俺を一人にしないでくれ。
あふれる思いは、しかし言葉にならず、リカルドは何も言えない。
ただ、命の灯が消え行く彼女を抱きしめることしか、できない。
リカルドが応えられないまま、やがてディアナのまぶたが閉じられ、全身が弛緩する。
ゆっくりと、確実に、ディアナから体温が失われてゆく。人であった彼女が、ただの躯に変わってゆく。
それがまた、彼女の死を如実に語る。
一人になってしまう。自分を理解してくれる者がまた誰もいなくなってしまう。
これから訪れる長い孤独を思って、リカルドの目から涙が溢れ出た。
まぶたをゆっくりと持ち上げると、視界が歪んでいる。涙がそうさせているのだと気づくのに時間はかからなかった。
その、歪んだ世界の中に、ディアナがいる。
まだ夢の続きなのかとリカルドは思った。
「リカルドさん」
呼びかけられて、リカルドははっとした。彼女はディアナではない。
「大丈夫ですか?」
問われて、自分が置かれている状況を、悪夢の前に何があったのかを、リカルドは必死に思い出した。
(……そうだ、あの薬を使ったからだ)
そう思い出すと後は早かった。思考が急速に正常に戻ってくる。
「大丈夫です」
応えながらリカルドは目をこすって涙をぬぐい、体を起こした。
ジュディは心配そうにリカルドの顔を覗き込む。
「まだ顔色があまりよくないです。もう少し横になっていてください」
自分を見つめてくるジュディの穏やかな表情に、リカルドは安堵を覚えた。
「あれから、どうなったのですか?」
ジュディは亮から事件解決だと説明されたことをリカルドに伝えてくれた。
「すごいんですね富川さんって」
すごい人だよ、なにせ裏社会に君臨しているその人なのだから、とは言えずにリカルドは思わず空笑いだ。
「リカルドさんも、ありがとうございました。わたしのために怪我までなさって、申し訳ありません。こんな大ごとだと知っていたら警察に相談していたのですが……」
こんな大ごとだから尚更、うちの事務所でよかった。警察では対処できなかっただろう、とも言えずにリカルドはただうなずくことしかできない。
「丸一日近く意識がなかったので心配しました。本当にありがとうございました」
ジュディは深々と頭を下げた。
「私のことはいいです。お守りすると約束したのに、お恥ずかしい限りです」
「そんなことっ。リカルドさんがいらっしゃらなければどうなっていたことか……」
ジュディが、リカルドの手をぎゅっと握って真剣なまなざしを向けてくる。
その必死の様にリカルドは微笑を浮かべて彼女を見つめ返した。
そこへ。
「おーい、ジュディ、そろそろ交代するぞー」
レッシュが部屋に入ってきた。
「おぉ、リカルド目ぇ醒ましてるじゃないか、っておれは邪魔か」
レッシュの視線はしっかりと二人の手元に向けられていた。
まるで漫画のお約束の展開のように、リカルドとジュディは慌てて手を引っ込めた。
「いや、これは……」
「そ、そんな意味では……」
リカルドとジュディの声が綺麗に重なったことにレッシュは愉快そうに笑った。
「ま、とにかくジュディは一度ゆっくり休むといい。メシを食う時以外は、ずっとついていたんだぞ、ジュディは」
レッシュの言葉にリカルドは驚いた。そして気恥ずかしくもあった。
「ありがとうございます、ジュディさん」
「いえ。わたしにできるのはそれくらいですから」
ジュディははにかんで笑った。
「さぞお疲れでしょう。事件は片付いたようですし、ゆっくり休んでください」
「はい。また改めて探偵事務所に挨拶にうかがいますね」
リカルドの言葉にジュディはうなずいて部屋を辞した。
「もっと敬遠されると思っていた」
後姿を見送りつぶやくリカルドに、レッシュはうなずいた。
「実は、さ。亮がちょっとだけ暗示をかけたんだ」
「暗示? どのような?」
「おれらのことを過去の出来事だけで怖がらないように」
正義感や恐怖から、二人のことを誰かに相談してしまったり、ということのないように予防策だと亮は言っていたそうだ。
「そんなに強い暗示じゃないからそのうち解けるだろうけど、そのころにはもう
「それだけにしては、すごく親身に心配してくれていたように思うが」
リカルドは再びドアを見やった。
「そりゃきっと、おれらは、特にあんたは命の恩人だからプラスの感情の方が大きくなるから、じゃないか?」
言われて、なるほどと思う一方で、厚意を無理やり押し付けたようで罪悪感のようなものも覚える。
しかし事務所へ依頼料を払ってしまえば縁が切れる相手だと気にしないことにした。
リカルドはレッシュに視線を戻して、リカルドが意識を失ってからのことを問うた。
ジュディから連絡をもらった亮は、すぐさまレッシュをリカルド達の元に送った。その時レッシュと信司、透はちょうど、退魔の依頼により妖魔との戦闘中だった。だがテレポートで現れた亮は問答無用でレッシュを引っつかんで、リカルドの隠れるマンションの部屋の前に文字通り放り込んだのだ。
ちなみに妖魔との戦闘は亮が現れるまでとても苦戦していたのだが、亮があっさりとやっつけてしまったのだとか。信司達は助かったのだが、信司は兄の手を借りる形になってしまったことに複雑な心境らしい。
「いつか兄貴の手助けがしたい、って信司頑張ってるもんなぁ。その兄貴に助けられたんじゃ、な」
「そうは言っても、亮君の実力は桁外れだからな……」
リカルドが言うとレッシュはうなずいてまた話の続きに戻る。
亮はジュディが電話していた時には、ちょうどオーウェンのボスと会っていたそうだ。個人的なことで首をつっこむのは気が引けたらしいが、乗りかかった船を途中で放り出すのは名折れ、ということで、ボスと取引をしたそうだ。
「ジュディが捜査資料を持っているのはガセだって説得はあっさりと受け入れられた。あと、オーウェンにちょっとだけ有利な情報を提供する代わりに、あんたとおれにオーウェンが二度と関わりを持たないようにって約束させたんだって。もちろん死亡説もそのまま継続だ」
「“アンタッチャブル”じきじきにこられたら、ボスもうなずかざるを得ないだろうな」
うなずかなければ組織の壊滅、そして、約束をたがえたらそれこそ構成員どころか家族まで皆殺し、という“アンタッチャブル”の過去の所業を知るならば選択の余地はないだろう、とリカルドはうなずいた。
「ってことで、ジュディの問題も、おれ達のことも無事に片付いたって訳だ」
レッシュはそう締めくくった。
事件解決。
リカルドはほっと息をついた。
彼の中ではずっとオーウェンのことが引っかかっていた。亮がうまく隠してくれているとはいえ、いつかばれるのではないか、と。亮のことは信頼しているが、どのようなきっかけで彼の目をすり抜けて自分達の存在が明るみになり、刺客がやってくるのか判らない、と思っていた。
それが、今、決着したのだ。
これで少なくともオーウェンが裏切り者としてリカルド達を狙ってくる可能性は皆無になった。もしもいるとするならばオーウェンは滅ぶだけだ。そうならないためにボスは今回リカルドに関わった“ジャック”には真相を伝えて、リカルド達に二度と手を出さないように言い渡すだろう。そして組織内ではリカルドとレッシュはやはりあの事故で死亡していたのだ、という情報が真実となる。
これで、完全に過去と決別できたのだ。
ふと、ジュディを思い出す。
彼女が来なければ亮が直接オーウェンに働きかけることにはならなかった。彼女には感謝しかない。
かつての婚約者にそっくりの女性が結果的に自分達の身の安全を確固たるものとしてくれたことに、リカルドは人の手を超えた働きかけのようなものを感じた。
ディアナの願う「幸せ」とは違うのだろうが、これで彼女も安心してくれるに違いない、とリカルドは思うのだった。
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