04-4 この部屋にいてもいいのか

「わたしの父がマフィア関係の捜査をしていたのですが――」


 ジュディの父親がFBIの捜査官であり、オーウェンの麻薬取引関連の捜査をしていたと聞いてレッシュは苦笑した。

 さらに、ジュディが捜査資料を持っていると言ってやって来た男の話をするとレッシュは露骨に眉を潜める。


「“ジャック”だな。余計なことをしゃべりやがって」


 彼のつぶやきで、ジュディはレッシュもマフィアの一員であったのだと察した。そしてリカルドを同僚と呼ぶのにためらった訳も。


「レッシュさんも、……マフィアの……」

「ああ。リカルドの部下だった」


 レッシュはリカルドをちらりと見やってうなずいた。


「おととしの年末に、信司達の協力で足抜けした」


 レッシュの返事にジュディはほっと安堵の息をついた。彼女の父が殺されたのもおととしの年末だからだ。


「ということは父の件とは無関係なのですね」

「そうだな。リカルド似の捜査官なんてのに関わってたら、おれトラウマになるわ。ジュディの親父さんが極めし者じゃなくたってリカルドに似てるだけで勝てる気がしねぇ」


 レッシュはあははと声を上げて笑った。


「リカルドさんは極めし者なんですね。実際に見たのは初めてですがすごかったです。体が輝いて、動きが目で追えませんでした」

「リカルドは極めし者の中でも強い部類だよ。闘ってた相手もだけど」


 マフィアの男を振り払ってジュディのところに飛ぶようににやってきたリカルドを思い出す。怖くもあったが、立ちすくんでしまった自分を抱きかかえてくれた彼はとても優しかった。


 男の人に抱きかかえられたことなど、子供の頃を除けば初めてだと気が付いて、ジュディの頬がほのかに上気する。


「にしても、極めし者を知ってる女の人って珍しいな。格闘技に興味があるとか?」

「いえ、職場で話を聞いたことがあって」


 ジュディがアメリカにいた頃は看護師だったと知るとレッシュは納得したようだ。闘いを生業とする者が多い極めし者は当然、医者の世話になる事が多いと知っているのだろう。


「それじゃジュディは今も病院で働いてるのか?」

「はい。日本に来た時に富川さんに紹介していただきました。奈良市の個人医ですが、観光地だから外国人も来るそうで英語が出来るて医療の事も知っていると助かると雇ってくださいました。さすがに看護師としてではなくて事務員ですけれど」

「日本語は? おととし来たわりにはうまいよな」

「学生の頃に外国語は日本語を選択してたのです。父の知り合いに日本人もいましたし」


 そうか、とレッシュが相槌をうった時、ベッドの上から呻き声が聞こえた。

 見るとリカルドが苦しそうな顔だ。強く食いしばっている歯の間から声が漏れている。額にうっすらと汗がにじみ出てきた。


「リカルドは薬を使った、って言ってたんだよな?」


 尋ねられたことに一瞬気づくのが遅れて、ジュディは「えぁっ、はい」と半端な返事が漏れた。


「多分あの薬だろうなぁ。“ジャック”強いから……。でもあれの副作用でこんな苦しそうにしたっけか……」


 レッシュが、呻き声を漏らし続けるリカルドを見てひとりごちている。


「リカルドさんは、大丈夫なのですか?」

「多分な。心配だけど、市場にない薬の副作用だから亮の許可なしで病院に運ぶわけにもいかないし、このまま様子見だな」


 市場にない薬とは?

 許可なしではということは富川亮の許可があれば病院に運んでもいいのか?

 聞きたいことはいろいろとあったが、ジュディが疑問を投げかける前に、リカルドの様子にさらに変化があった。

 目じりに小さな涙の粒がたまり、ぽろりと流れ落ちる。


「や、やめ……、やめてくれ……」


 とても小さな声だった。か細く、弱弱しくて、極めし者として闘っていた怖いほどに強靭なイメージとはかけ離れている。


「とても、辛そうです。起こせないのですか?」

「これは薬の副作用の昏睡だから無理だな。もしかしたら起こせるのかもしれないけど、それでどんな影響があるか判らないし」


 やっぱり昏睡なのねとジュディは胸の前でぎゅっとこぶしを握る。


「寝ている間にバッドトリップに近い感じになることがあるらしい。多分、昔の夢とか見てるんじゃないかな。でも今までと同じなら一日かもうちょっとで目を覚ますはずだから、大丈夫だよ」


 さっきは、大丈夫なのかという問いかけに多分と応えていたのに。

 レッシュが見せてくれた気遣いにジュディの口元に笑みがこぼれた。


 しかしその笑みもすぐに消える。

 過去を夢に見て辛そうにしているのは、つまり過去に泣きたくなるほどの、やめてくれと懇願するような出来事があったということだ。


 ジュディの、犯罪者に対するイメージは「傍若無人で、何をやってもなんとも思わない無頼漢」、あるいは「人としての感情など持ち合わせていない冷血漢」だ。彼女を捕まえに来たあの男がまさにイメージ通りと言っていい。


 リカルドやレッシュはあの男の仲間だったのだ。同じ部類の人間なのだ。


 だが彼らと接した限りの印象では、一年ほど前まで犯罪組織に属していたと思えない。


 どれが、彼らの本来の姿なのだろう。


 もしも今の温和なイメージはレッシュが自分をだまそうとして作っているものだったら。

 そう思い至ると、少し怖くなった。


 この部屋にいてもいいのか、適当に理由をつけて離れた方がいいのか。

 ジュディが悩んでいると、玄関の方で物音がする。続いて、誰かが入ってくる気配も感じられた。


「あ、亮かな」

 レッシュの表情が明るくなった。


「開けるよー」


 部屋の外から男の軽い声が玄関から聞こえてくる。レッシュの予想通り、亮の声だった。


「無事終わったよ」


 ドアを開けながら入ってきた亮がにこやかに言う。

 ジュディの父親、ランドルフが残した捜査資料がジュディに渡っているという誤った情報を得たアメリカのマフィア、オーウェンが追手をよこしていた、という。

 亮は裏社会に顔の利く知り合いに頼んでオーウェンと交渉し、情報が間違いであることを説き伏せたそうだ。


「もう彼らがジュディさんを追いかけてくることはありません。事件解決です」


 そう締めくくられて、ジュディは心底安心した。


「依頼料に関してはまた後日連絡させていただきますね」


 亮が笑うのに、レッシュがぼそりと提案した。


「支払いは振り込みにしてあげたら?」


 どきっとした。

 自分がリカルドとレッシュに対して抱いた不信感を、レッシュは感づいていたのか、と。


「え? どうして――、もしかして」

「あぁ、ばらされたみたいだ」


 レッシュの肯定の言葉に亮は「そうか」とうなずいてからジュディに向き直った。


「リカルドとレッシュがあなたのお父さんを殺害した組織に属していたこと、許せないでしょうが、彼らのことは口外しないでいただけませんか? 過去に二人がしてきたことは間違っているのはもちろんのことです。けれど彼らは更生して、今は人のためにと働いてくれています」


 面と向かって言われ、ジュディはどう応えていいのか、判らなかった。


「特にリカルドは、あなたを助けるためにまさに命がけでした。まだ完成しきっていない薬品を使用してまであなたを追っ手から逃がしたのです。そのことは、考慮していただければと思います」


 亮にじっと見つめられ、ジュディは全くその通りだと思った。


 今の彼らを見ないで過去にしてきたことだけにこだわるのはよくないことだ、と。


「判りました。……ごめんなさい、レッシュさん。あなた方を疑ったのを気づいていて、それでも気を使ってくださってありがとうございます」

「いや、いいよ。おれらが犯罪者だったのは事実なんだし」


 レッシュはジュディを見て、なぜか亮を見た。


「よかったじゃないかレッシュ」

「うん、まぁな。……ありがとう」


 なぜレッシュがそこで亮に謝意を表したのか判らなかったが気にしないことにした。


 それよりも、リカルドが無事目覚めることを心から願った。


 つい数分前に不信感を抱いていた相手に対する心変わりを、彼女が疑問に思うことはなかった。


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