04-3 つっこんで聞いてはいけない
ジュディはじっとリカルドを見つめていた。
意識を失うように眠ってしまったリカルドは、ジュディが声をかけても目を覚ます気配がまったくない。
これは睡眠というよりは昏睡だとジュディは思った。
アメリカにいた頃に看護師として働いていた彼女の経験からして、今のリカルドの状況は楽観視出来ないと思われる。
リカルドの言葉が正しければこれは彼が服用した薬品の副作用なのだろう。どうにかしたくても薬の正体が判らなければジュディにも手のほどこしようがない。
それよりも彼は頭を打ったと言っていた。せめてその手当てだけでもしたほうがいいと、ジュディはそっとリカルドの頭に触れた。
整髪剤で固められたライトブロンドは手触りが硬い。しかし指を髪の中へと忍び込ませるとふわりと柔らかい感触もある。
ぱらりと髪が額にかかる。元々父に似ていたリカルドだが、こうなるとますます似てくる。ジュディの胸に懐かしい顔がよみがえった。
仕事を離れた父は笑顔でいることが多かった。母を早くに亡くしたジュディを寂しがらせないように、と気遣ってくれていたようだ。
リカルドは父にそっくりだ。よくよく見ると似ていないところもあるが、特に微笑を浮かべた顔は父そのものといっていい。
優しい父に似たリカルドが、自分を守るために傷ついてしまった。副作用が顕著に表れるような劇薬に頼らなければ脱せない危機的状況に追い込んでしまった。
そう思うと罪悪感が込み上げてくる。
リカルドが小さな呻き声をあげて身じろぎをした。ジュディははっとなって、再び彼の頭部の傷を探しはじめた。
やがて後頭部に腫れた箇所があることを指先で確認した。ジュディはタオルに冷水を含ませて持ってくると、患部の下に敷いた。
本当なら病院に運ぶべきだ。いくら怪我をしてからここまで運転してこられたとは言え、頭蓋や脳にまったくダメージを負っていないという保証はない。
だがせっかくリカルドが追っ手から見つからない場所にかくまってくれたのに、彼の努力と忠告を無駄にしてまた彼らに見つかるような真似をしてはならないとジュディは思う。それならばリカルドが意識を失う前に言っていたように、富川亮かレッシュ・リュークに連絡を取るべきだろう。
ジュディはリカルドの携帯電話を操作して、探偵事務所の所長である亮にかけてみた。
『もしもしリカルドさん? そちらは、どうなっていますか?』
電話を取った亮の声は、探偵事務所で聞いていたものとは違った。一言で言い表すなら人間味のない声だ。声に温度があるとするなら氷点下。事務的に状況を尋ねているが一切の感情を廃しているといったところだ。
「あ、あの……」
思わずジュディは口ごもる。電話の向こうで軽く息を吐く音が聞こえた。先程の声には感情がないのに対して、その息は驚きを表しているようで、ジュディはなんだかほっとした。
『ジュディさん、ですか?』
若干温かくなった声が聞こえてきて、ジュディはうなずいてから簡単に状況を説明した。最初に聞いた亮の声が怖くて、つっかえながらだったが亮は相槌を返しながら最後まで聞いてくれた。
『では、レッシュをそちらに向かわせます。こちらは今交渉中ですので、これで切りますね』
亮はジュディの返事を待たずに電話を切った。
ジュディもそれにならったが、耳から携帯電話を離して、それをじっとみつめた。
レッシュという人がどのような人なのかを聞いていない。同僚だとリカルドは言っていたが……。
そこまで考えた時、玄関の方で大きな音が聞こえた。ドアに何かがぶつかったような音だ。
ジュディの体が驚きに跳ねる。
亮がレッシュを向かわせると言っていたがまさかこのような早い時間に到着するものでもないだろう。追っ手が来たのだろうか。
どうすればいいのかしら、とジュディは思わずベッドに横たわるリカルドを見つめた。
ジュディが息をつめて身を硬くしている中、インターフォンのベルが鳴らされた。
どうしよう、とジュディは心臓を鷲づかみにされたかのような恐怖と緊張で小刻みに震える。
やがて中から反応がないことに焦れたのか、ドアが何度も叩かれた。
そのせわしない音がますますジュディを縮み上がらせる。
少しするとその騒々しい音はやみ、ジュディはほっと息をついた。
と。
ドアが開く音がする。続いて、荒々しいとまではいかないが無遠慮な足音が近づいてくる。
亮との電話が終わってからものの数分も経っていない。レッシュが来られるような時間ではない。となるとあれは追っ手なのだろうか。どうしてあがってこれたのか。
ジュディの胸に様々な考えが去来して、彼女はパニック寸前だった。彼女は手で口をふさいで恐怖の声が漏れるのを必死に我慢した。
自分とリカルドのいる部屋のドアが思っていたよりも穏やかにノックされる。
「えーっと、ジュディさん、だっけ。レッシュ・リュークだけど、入るよ」
ドア越しに若い男の声。
快活そうだが何かに少しイラついている。ジュディはそう感じた。
彼女が何も答えられないでいると、相手はもう一度「入るよ」と繰り返してからドアを開けた。
そこに立っていたのは、糖蜜色が鮮やかな髪の男。
ジュディは息を呑んだ。レッシュと名乗るその男が、あまりにもぼろぼろだったから。服のあちこちが裂け、ところどころに覗く肌は土ぼこりに汚れ怪我もみられる。顔ももちろん泥だらけだ。
「あー、これな。ちょっと厄介なモノと闘ってて……」
レッシュは自分の姿を見下ろしてから決まり悪そうに笑った。
「しっかし亮のヤツ、いきなりここにすっ飛ばすからびっくりしたな、まったく」
この辺りは小声だ。ジュディには何のことだか判らない。
「あ、あの……」
なんと声をかけてよいのやら。ジュディはとりあえず判りやすい説明をレッシュに求めた。
「あぁ、そうだな。なにから話そうかな。とりあえずおれがレッシュだ。そこに寝てるリカルドの、……うーん、同僚? だ」
なぜ同僚、という辺りで疑問の響きが入るのだろうかとジュディは不思議に思った。そう言えばリカルドもレッシュのことを同僚と呼ぶのに戸惑っていた感があった。
レッシュは簡単に状況を説明してくれた。
彼は別件で信司という男性と一緒に戦闘の最中であったが、亮がこちらに行くようにとレッシュを送り込んだ。ジュディが抱える問題の細かいことは聞いてはいないが、とにかくリカルドが寝込んでいるので面倒を見るように、とだけ言われたのだとか。ちなみに、亮はジュディの事件を解決すべく動いてくれているそうだ。
「あの、でも、富川さんの電話を切ってからレッシュさんがこちらに来るまで、一分ほどでしたけれど……」
「それは、うーん、企業秘密だ」
「き、企業?」
「そうそう。探偵には守秘義務があってだな」
そう言いながらもレッシュは苦笑いをしている。きっとつっこんで聞いてはいけないのだろう、とジュディはとりあえずうなずいておいた。
「戦闘の最中だった、ということですが、その信司さんとおっしゃる方は大丈夫なのですか?」
「そうだよなぁ。大丈夫かなぁ」
レッシュはあさっての方を見た。
「ま、どうにかするだろ。それよりもそっちのことを教えてくれないか?」
信司のことをあっさりと切り上げて、今度はレッシュが状況を尋ねてきた。
それでいいの? と思わなくもなかったが、ジュディはとりあえず促されるままに、富川探偵事務所に駆け込んでからの話を始めた。
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