04-2 果たして誰に向けたものなのか
今までに味わったことのないような苦みが口いっぱいに広がってリカルドは顔をしかめる。
「まさか服毒自殺か?」
リカルドの顔を睨みつける“ジャック”がつぶやいた時。
彼が懸念するのと真逆の反応がリカルドの体に起こった。
リカルドの体から噴き出す闘気の勢いが、それまでとは比べ物にならないほど強くなる。
“ジャック”は驚きに息を呑んだ。中途半端に開かれた口から何か言葉が出ようとしている。
相手に冷静に判断する時間を与えるわけにはいかない。リカルドは闘気の刃を放出した。
ひるんだ“ジャック”を地面に叩き伏せ、苦痛に呻く彼を尻目にリカルドはジュディの元へと走る。五メートル近く離れていたが、彼女の元には瞬きひとつの間に到達していた。
ジュディの腕を拘束している男の腕を掴む。
男は驚愕の声を漏らして腕を引こうとした。
リカルドは相手の腹を殴って、軽々と投げ飛ばす。
狙ったわけではなかったが男は起き上がろうとしていた“ジャック”の横腹に激突した。二人はもつれるように壁際に転がり、意識を失ったようだ。
ジュディの手をできるだけ優しく握ってリカルドは彼女の名を呼ぶ。
だがジュディは放心状態に近く、どうしていいのか判らないといった顔でリカルドを見上げるだけだ。
怯えられている。そう思うとリカルドの胸が痛む。自分が元マフィアの一員であったこと知られ、体が空色に強く輝くほどの闘気の解放量と、きっと何をしたのかも視認できないほどの戦闘能力を見せてしまったのだから当然と言える。
それでも早くこの場から去らねばならない。ジュディを守ること。それが今のリカルドの責務であり、彼自身が望むことであった。
“ジャック”の言うようにジュディがディアナに似ているからかもしれない。しかし動機はこの際どうでもいい。
リカルドはジュディを抱き上げた。
「……え? あっ」
ジュディが戸惑いの声をあげるがリカルドはまずジュディの部屋に彼女を運んだ。
「ジュディさん。すぐにここを離れます。もしかすると数日戻って来られないかもしれないので、せめて施錠をきちんとしてください。必要なものがすぐに持ち出せるのであれば持ってきてくださって結構です」
急いでくださいとは言わなかったが、ジュディはリカルドのあせりを察したのか、素早く部屋の電気を消して玄関の扉に鍵をかけた。手には小さな薄緑の旅行鞄が握られている。リカルドが外を見回っている間に衣服を詰めていたのだろう。
今度は抱き上げて走らなくてもよさそうだ。リカルドはジュディの手を取って駐車場へ向かう。
幸いにも“ジャック”達は追ってこない。
車に乗るように、エスコートして促すと、ジュディは無言で従った。
リカルドは運転席に乗り込む。エンジンをかけ、ゆっくりと走らせる。
何かを尋ねたそうなジュディの視線を時々感じる。
彼女の不安を取り除くような話ができればいいのだが、自分から何を話していいのか判らずにリカルドは黙々と車を走らせた。
信号で停まった時、頭に鈍い痛みを覚えてリカルドは思わず小さく呻き声を上げて顔をしかめた。
「大丈夫ですか?」
ジュディが息を呑んで尋ねてくる。
「はい……。頭を打ったので、そのせいですね。たいしたことはないです」
そう応えながらも、頭痛は少しずつ痛みを増してくるように思う。しかし態度に出してしまってはジュディに余計な心配をかけてしまう。リカルドは痛みを意識的に抑えこみ、運転を続けた。
「あの、ありがとうございます」
ジュディが小さく礼を述べた。それだけでリカルドはなんだかほっとした。もちろんだからといってジュディが自分に気を許したわけではないだろうが、努力は報われた気分だ。
「仕事ですからね。あなたは私がお守りします。今から、彼らが知りえない安全なところへ向かいます」
にこりと笑うと、ジュディも控えめに笑顔を見せた。
今はとにかく、あの部屋までたどり着かなければ。
リカルドは運転に集中した。
目的地に到着するまで、リカルドはほぼ無言であった。意識を運転に集中させないと、どんどん増して来る頭痛に気を失いそうなのだ。
強く頭を打ったから、だけではなさそうだとリカルドは思う。きっとあの試薬の影響もあるのだろう。
運転に集中し、しかも早く安全な場所に行かねばならない。
リカルドには会話をする余裕などなかった。
ジュディも、時々リカルドに視線を投げかけてくるが言葉はかけてこなかった。リカルドの雰囲気が会話を受け付けないものと察したのかもしれない。
車は京都南部にあるマンションの駐車場に停まった。
ここは亮が“アンタッチャブル”として活動する際に使う隠れ家のひとつだ。この建物すべてが亮の所有物である。リカルド達が足抜けをした直後は、「オーウェン」が彼らの死亡を疑うようなそぶりを見せるたびにここに身を寄せていた。なのでリカルドとレッシュ、それぞれにひとつずつ部屋が与えられていた。
リカルドは車を降りてジュディをエスコートする。
落ち着いた様子でついてくるジュディも、時々周りを気にするそぶりを見せる。“ジャック”達が追いかけて来ていないのかが気になるのだろう。
リカルドが案内した部屋に入ると、ようやくジュディはほっとした顔になった。
「お疲れでしょうが、お頼みしたいことがあります」
頭痛がひどい。自分が意識を保っていられる残りわずかの時間を察して、リカルドは早口でジュディに話しかける。
彼女が相槌をうつと、リカルドは携帯電話を差し出しながら続けた。
「この電話で、所長に連絡をとって、事の次第を説明してください。繋がらなければレッシュ・リュークという男でも結構です」
電話の画面を見て気づいたが、亮から一度着信していた。調査で何か進展があったのかもしれない。
「レッシュ、さん、ですか」
「はい。探偵事務所の所員です。私の……、同僚です」
リカルドはレッシュと自分の関係ををどう言えばいいのか、一瞬言葉に詰まった。元は部下であった者を同僚と呼ぶには複雑な思いがある。
しかし今は、伝えるべきことを伝えてしまう方が先だ、リカルドは携帯電話の使い方をジュディに説明する。
「このようなことをお願いして、申し訳ございません。しかし私は、もう少しすればきっと、深く眠ってしまいます。恐らく半日から一日は目覚めない、と思います」
「それは、なぜ?」
「今は詳しく話している時間はありませんが、先程、とある薬を服用しました。その、副作用です」
リカルドが戦闘中に噛み割った薬品は、闘気の内包量と放出量を一時的に高めるというものだ。戦闘力が格段に跳ね上がり、自身の持つ力以上の力を発揮することができる。
体に無理を強いる薬品を使用すれば当然、副作用が現れる。この薬の副作用は効力が切れると昏睡状態になるというものだ。アメリカにいた頃、最後に使用した時は三日間ほど眠り続けた。
日本に来てからも亮の了解を得て研究を続けていて、昏睡状態の時間を短縮することに成功している。ただ実戦の最中にダメージを負った状態で使うのは初めてで、他にどのような弊害があるのかは未知だ。これからリカルドが身を持って知る事になるだろう。
リカルドはふらふらと寝室のベッドに歩いていく。
ジュディが後ろからついてくるのを察しながらも、急激に重たくなってくる体を制御するのに必死で、彼女に言葉をかける余裕がない。
ベッドに身を投げるように横たわると、改めてジュディを見上げた。
彼女がとても心配そうな顔をしていることに、リカルドは驚いた。
「……ここは追っ手には見つけられない、でしょう。しかし、念のため……、外には出ないで、ください。迎えが、来るまでの、辛抱ですから……」
急速に眠気が襲ってくる。闇の底に引きずり込まれるような感覚だ。
心地いい。このまま目覚めないかもしれないと思うが恐怖はない。
目を閉じ、浮遊しているかのような不安定な意識の中でリカルドが見たのは、探偵事務所にやってきた依頼人のジュディではなく、かつて愛した女性、ディアナだった。
「すまない……、君を、守ると……、言ったのに……」
リカルドはもう自分の言葉すら聞き取れなくなっていた。無意識のうちに吐かれた謝罪は、果たして誰に向けたものなのかも理解できていない。
誰かが何かを言った気がした。だが意識を失ったリカルドには届かなかった。
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