04 絡み合う過去

04-1 できるなら知られたくなかった

「まさか本当におまえだとはな、リカルド」


 驚きに目を見張るリカルドに、人影が話しかけてきた。


 リカルドは何も答えない。ここで自分がリカルド・ゴットフリートであると肯定する言葉を吐いてはいけないと思う一方で、どのようにごまかしたところで、かつての同僚は聞く耳を持たないだろう。


 男、ロサンゼルスを拠点とするマフィア「オーウェン」ファミリーの幹部である“ジャック”が、ゆっくりとリカルドに近づいてくる。


 “ジャック”は組織間抗争や、組織内で問題を起こした構成員の排除などを請け負う部署の者だ。

 ジュディを追ってきたのが彼なのか、それとも自分が足抜けをして日本で生活をしていると知って来たのか。

 どちらにしても危機的状況だとリカルドはじっと“ジャック”を見つめる。


 赤に近い、短く切りそろえられた茶髪、鋭い目つき、リカルドよりも少し若いが威厳のある顔つきは相変わらずだ。一年以上会っていないが、最後に見かけた時と変わっていない。相手からすれば自分も変わり映えしていないのだろうが。


「部下から、おまえらしき人物を見かけたと聞いた時は驚いた。おまえともあろう者が、まさか足抜けなど信じられない、と」


 “ジャック”の言葉を聞きながらリカルドは考えていた。とにかく今はジュディが無事ならばいい。“ジャック”の狙いが自分であるなら速やかにこの場を離れ、彼女の安全を確保しなければならない。

 それは、ジュディに自分の過去を知られたくないという思いからも出た考えでもあるが、今のリカルドにそこまで考える余裕などない。


「あの事故はおまえが仕組んだものか? レッシュと、自分そっくりの何者かを事故に巻き込み、自分だけ日本に逃亡したのか、リカルド」


 厳しく問い詰める“ジャック”の声に、はじめてリカルドは反応を示した。


「ご明察です。父が死んだ時からずっと、どうやって抜け出そうかと狙っていたのです。レッシュには申し訳ないことをしましたが、彼とてマフィアの仕事をこなすのは本意ではなかったのです。死して自由を得たのですよ。……ようやく勝ち得た平穏な生活を壊さないでいただきたいものです」


 平然と答えると、“ジャック”は眉間のしわを一層深くした。


「堕ちたものだな、リカルド。マフィア幹部カポ・レジームの地位を捨てて探偵稼業とは。おまえには制裁を加えねばならない。……楽に死ねると思うな」


 “ジャック”が闘気を解放した。白熱色のオーラが彼の体を包み込む。


「なぶり殺しにあいたいとは思いません。失礼させていただきます」


 リカルドも闘気を解放して、その場を離れようとした。

 しかし。


「リカルド、さん……?」


 なかなか戻ってこないリカルドの様子を見に来たのだろう。ジュディがアパートの入り口から姿を見せた。

 なんてタイミングだとリカルドは思わず舌打ちをしていた。


「ジュディさん、部屋に戻ってください」


 リカルドが強い口調で言う。予想外の反応だったのだろう、ジュディは驚いた顔をして立ちすくんだ。


 “ジャック”がジュディを見て、にやりと笑った。


「思いもよらぬ再会をさせてくれたターゲットのお嬢さんには感謝をしなければな」


 つまり“ジャック”の狙いはジュディだということだ。自分のことはメインの仕事上の「おまけ」だったか。リカルドが事態を理解した時にはもう、闘気の剣を手にした“ジャック”が襲い掛かってきた。

 “ジャック”の激しい攻撃に、リカルドは反撃するチャンスをつかめない。


「ジュディさん、部屋へ!」


 敵の攻撃を何とかやり過ごしながらもう一度リカルドが言うと、やっとジュディは硬直が解けたかのようにその場を離れた。


 これで彼女を巻き込む心配がなくなった。

 だが事態が好転したわけではない。

 リカルドだけが逃げることは可能だ。しかしそうすればジュディを“ジャック”の手に渡してしまう。ジュディを守るにはリカルドがこの「始末屋」を返り討ちにしなければならないのだ。


 さすが相手は高レベルの極めし者。リカルドが今まで闘ってきた中で一、二を争う腕の持ち主だ。

 “ジャック”の攻撃をしのぎながら、リカルドは戦法を必死に探る。


 二人の拮抗した闘いのバランスを崩したのは、部屋に戻ったはずのジュディの悲鳴だった。


 なぜ。そう思った瞬間、リカルドの体を強い力が持ち上げた。

 しまったと思う間もなく、頭から塀に叩きつけられる。

 目の前が一瞬真っ暗になり、意識が朦朧とする。どうにか視界が元に戻ってきた頃には、“ジャック”に胸倉を掴まれ、塀に押し付けられていた。


 ジュディが小さく悲鳴をあげたのが聞こえた。息苦しさにあえぎながら、リカルドはジュディの声の方を見た。

 彼女は“ジャック”の部下と思しき男に腕を取られている。リカルドからの距離は三メートルほどか。目の前の男の手を振りほどいて彼女の元に向かい、無事に救い出すには少し遠い距離だ。その前に、彼の手から逃れることが出来るかどうかが大問題なのだが。


「や、やめてください……」


 ジュディのか細い声がする。怖いと全身で語りながらも、ジュディはリカルドの身を案じている。


「では、君が持っている我々の麻薬取引に関する捜査資料を渡していただこうか。父親を失ってまた、父親に似た男を目の前で殺されたくはないだろう?」


 “ジャック”は手を緩めることなくリカルドを強く塀に押し付けながらも視線をジュディに向けた。


 今の彼の言葉で、少なくともオーウェンがジュディの父、ランドルフの死に関わっていることが察せられる。

 ジュディは男の言葉に細かく震えながらも、精一杯首を左右に振った。


「そ、そんなもの、わたし、持ってません」


 リカルドの目から見て、彼女が隠し事をしているようには見えない。それは“ジャック”も同じらしい。


「では父親が何かに隠して娘に渡したということか」


 “ジャック”はジュディを掴んでいる部下に目配せをした。彼はうなずいてジュディを連れて行こうとする。


「……やめろ」


 リカルドは“ジャック”の腕を掴み、逃れようと身じろぎをした。


「おまえは自分の身を案じたらどうだ。まぁ案じたところでどうにもならないがな。裏切り者の末路がどのようなものか、よく知っているだろう」


 あざけるように“ジャック”が笑う。


「裏切り、者」


 ジュディが息を呑む様子がリカルドにもはっきりと見えた。信じられないというようにリカルドを見つめてくる彼女の視線に、リカルドは目を伏せた。できるなら知られたくなかった。


 だが今はそんなことよりも、ジュディを守らねばならない。それが今のリカルドの仕事だ。


「連れて、いかせません。彼女は私が、守ります」


 リカルドは“ジャック”の手を押し返そうと力を入れるふりをした後、自分の方へと引き寄せた。

 前へ重心をかけていた“ジャック”はバランスを失う。

 膝蹴り一つで相手をひるませ、拘束を逃れた。


「……それは探偵としての責務ゆえか? それとも昔の婚約者に似た女を守りたい私情か?」


 “ジャック”が皮肉に笑う。リカルドの心を揺さぶろうとしているのだろう。

 事実、ディアナのことを持ち出されて胸がざわめいた。だがリカルドは迷わない。


 ジュディが、抵抗しながらも力でかなうはずもなく男に連れていかれようとしている。彼女を取り戻すには、手段を選んでいられない。


(あれを、使うしかないか)


 リカルドはスラックスのポケットに手を突っ込んで、薬入りの小さなケースを取り出し、口に放り込んで噛み割った。

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