02-2 表情をなかなか読ませようとしない男が
ややあって事務所の扉がノックされる。受付嬢の富川
現れたのは、青井
IMワークスという私設諜報組織に属する彼とは過去に対立したことがあり、私事でもレッシュとひと悶着あった。
リカルドが結と会うのはおよそ六年ぶりか。
かっちりとスーツを着込んだ三十代の真面目を絵に描いたような男は、あの頃とさほど変わらない。
一見、特徴なくその辺りに普通にいそうな雰囲気なのに隙がない挙動も相変わらずだ。
「……なっ」
リカルド達と目が合うと、さすがのベテラン諜報員もあんぐりと口を開けた。
「おまえ達……、生きていたのか。なぜここに……」
ロスではリカルド達は死亡したことになっている。かの地に本拠を置くIMワークスの諜報員である結の驚きは当然のものだ。
しかし、亮がリカルド達のことを結に伝えていなかったことにリカルドは苦笑を浮かべた。きっと彼の「茶目っ気」だろう。
「いろいろと、ありまして……。君がここに頻繁にいらっしゃるなら、これからも会うことになると思いますよ」
「それは、一体どういうことだ」
「これから説明いたします。あぁ、その前にご挨拶をしなければなりませんね」
リカルドは透をちらと見やった。透がうなずくので、リカルドは日本語で一言、述べた。
「もうかりまっか?」
一瞬の沈黙。
そして、亮、信司、透とレッシュの大爆笑が部屋の空気を揺るがした。
挨拶をされた結は、引きつり笑いを浮かべて固まっている。
「……ん? 発音が正しくありませんでしたか?」
「いや、……あってる」
結が頭を抱えて肩を震わせている。どうやら彼も笑っているようだ。
なぜ正しく挨拶を述べたのに笑われるのだろうかと、リカルドは首をかしげるのだった。
「ひどいですね透君。だますなど……」
透のいたずらのおかげで和気藹々とした雰囲気になった事務室の中で、リカルドだけが少々不機嫌であった。
「すみません。でも、ほら、こうして和やかになったでしょう?」
確かに、結が自分達を一目見た時は、警戒心をありありと出していて、あのまま話を進めていても、もしかするとギスギスとしたムードだったかもしれない。だからと言って笑い者になったこととは別だとリカルドは思った。
それでも、いつまでも苦言を申し立てても仕方のないことだとリカルドは気を取り直した。
結は、亮が“アンタッチャブル”であると判ってから、こうして時々探偵事務所を訪れている。IMワークスで扱った事件の中で、暴力団や外国の犯罪組織が絡んでいたものに関する資料を持ってくるためだ。
以前は彼の父親がその役目を担っていたようだが、裏社会の中心的存在を本格的に結に託すために譲ったのだろう、と言うことだ。
亮からリカルド達が足抜けをしたのだと、その経緯を簡単に説明されると、結はかなり驚いていたようだ。あの表情をなかなか読ませようとしない男が、目を見開いてまじまじと自分達を見つめてくる。その表情の中に、いささか不信感が漂っているのも、リカルドは感じていた。
「それでは、俺はこれで失礼します。その資料の件で捜査してきますので」
亮にこのたびの来訪の目的である資料を渡すと、結は頭を下げて事務所を後にした。
受け取ったそれを早速開きながら、亮は所長室に引っ込んでいった。
「青井、警戒してるな、やっぱ」
「今までの経緯を思えば、至極当然の反応だ。亮君の手配でなければ話を最後まで聞こうとも思わないだろう」
レッシュがひとりごちるのにリカルドは肯定した。
「ちょっと敵対しただけなのに」
「……彼にとっては『ちょっと』ではないのだろうな」
そう言ってやるとレッシュは何か思い当たったのか頭を掻いて「そっか」などとつぶやいた。
結が帰ってからは、何も特別なことはなく、リカルドはまた信司達と話しながら日本語の勉強をする。
「しっかし、相変わらずここ依頼人こないよな」
「そうだね。でも先週に一人来てたよ。外国人の女の人が」
レッシュが言うのに信司が応えている。
「めっずらしいなぁ。何の依頼?」
「住居の――、っと、だめだめ。お客さんのことを勝手にしゃべったら守秘義務違反だ」
シュヒギムイハンとは何だろうか。
リカルドが疑問に思って尋ねるとレッシュが英訳してくれた。
こうやってボキャブラリーを増やしていく。知らない言葉を知るのは知的好奇心が満たされてリカルドは嬉しかった。
どれぐらいの時間が経っただろうか、亮が所長室から難しい顔をして出てきた。
「さっき、青井さんが持ってきた資料……。どうもガセだな……。青井さん、大丈夫かな……」
亮がつぶやいたのに、信司が食いついた。
「え? 兄貴、どういうこと?」
どうやら結の持ってきた資料の情報の出所は、彼の元上司である加藤という男らしい。
彼はいうなればIMワークスのお荷物だ。
以前、結に嫉妬し彼を追い落とそうと企てて失敗し左遷されたのだが、今でも時々大阪支社にやってきては結に偉そうに接しているそうだ。
「なんで青井に敵対してんの?」
「青井さんや黒崎さんが親のコネで地位を得た、って思いこんでるみたいだね。実際は超ブーメランなんだけど」
加藤自身が警察のお偉い方とコネを持っていて、それだけで大きな顔をしていたのだ。
「つまんねぇことに拘ってんな、そいつ」
レッシュが吐き捨てるように言う。
「クロサキ、というのは確か、トラストスタッフの社長のご子息でしたね」
リカルドが問うと亮はうなずいた。
黒崎
章彦は和彦の後継者となるべく育てられたのだとか。
少し自分の境遇に似ているなとリカルドは感じた。
もっとも、章彦は父親に殺意を抱くほどの扱いは受けていないであろうところが大違いなのだが。
「で、今回の資料。青井さんが捜査に行くといっていたところ、極めし者が四人いるんだ。レベルは青井さんよりも低いけれど、数で攻められるとね……。それが、この資料では極めし者は一人、となってる」
「その、加藤ってヤツが青井を陥れるためにわざとそうしたのか?」
「いや、多分、彼独自の頼りない情報網で手に入れた精一杯の情報なんだろう。それをそのまま青井さんに渡したんだ。なにせ無能だからね」
「しかし、それが本当なら、青井は……、かなり危ないのではないですか?」
リカルドが尋ねると亮はうなずいた。
「そうですね。でも俺が行くわけにはいかない」
「立場的に、どこの組織に対しても中立を保たねばならないから、ですか」
「そうです」
そこで亮はじっとリカルドを見つめた。
リカルドは、亮の意図を瞬時に察した。リカルドに、いやリカルドとレッシュに結を助けに行け、と言いたいのだ。だからわざわざ、資料の情報がガセであると伝えたのだ。
「その場所はどこですか?」
亮は微笑を浮かべて場所を教えてくれた。
「レッシュ、行くぞ」
「え。でも足は?」
「おれのバイクを使うといいよ。レッシュ、運転できるだろう?」
信司がバイクの貸し出しを申し出る。
「あぁサンキュ。やってみる」
「気をつけて。……急ぐからって違反や事故のないようにな」
探偵事務所の皆の見送りを受けて、リカルドとレッシュは結の危機を救うべく、立ち上がった。
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