02 新たな人間関係
02-1 窮屈ですね
リカルド達が日本にやってきて一週間が経った。
その間、ずっと二人は神尾家にいて、ほとんど外出もしていない。リカルドはやらねばならないこと――例えば日本語や習慣の勉強などがあるので、退屈どころか気を張っていたが、レッシュはそろそろ外に出たいと思っているようだ。
「ロスの方は、お二人の死亡が少しずつ浸透してきました。対立組織との抗争か、単なる事故かというところでうやむやになってますがそれで捜査は打ち切りになるはずです。こちらでの戸籍の方も用意できましたので、お二人とも外に出ていただいてもいいですよ」
夕食の席に訪れた亮が、軟禁生活の終わりを告げた。リカルドはまだ外に出て行く気にはなれなかったが、レッシュは素直に喜んでいる。
「あとは住むところの手配と、仕事についてですが……」
亮はリカルドとレッシュの顔を交互に見た。
「リカルドさんが日本での生活に慣れるまで、レッシュと一緒に住む、という方向でいいかな。仕事は、うちの探偵事務所を手伝ってもらおうと思ってるんだ」
「おれは、それでいいぞ」
レッシュは即答した。リカルドを思えばそれがベストだと彼も思っているのだろう。かつての部下にそこまで気を遣わせることに、リカルドは申し訳なく思うと共に、少しだけ、プライドが傷つけられたとも感じる。
「私も異存はありません」
リカルドがうなずくと亮も笑ってうなずき返してきた。もしかすると彼にはリカルドの心情も筒抜けかもしれない。
「では明日から、うちの事務所に来てください。特にリカルドさんは実際に外に出てみたほうがいいでしょう。頭で考えるのと実際の生活は違いますからね」
亮の言葉にリカルド達はありがとうございますと頭を下げた。
「お話は済んだ? それじゃ、夕食にしましょうか」
信司の妻、
黒髪の美しい、まさにヤマトナデシコと呼ぶにふさわしい女性だとリカルドは評している。
だが、以前から時々レッシュに聞いていた話だと極めし者としてとても強く信司の師匠でもあるとか。
「……あれ、リカルドさん、お箸使えるようになった?」
リカルドの前に置かれた割り箸を見て、亮が興味深そうに尋ねてくる。
「リカルド、頑張ったもんなー。塗り箸はまだ無理でも、割り箸なら結構うまくなったんだぞ」
「へぇ、すごいですね」
「そりゃ、暇な時間に――」
「レッシュ、余計なことを言うな」
「ん? 暇な時間に?」
リカルドがレッシュを止めたが亮に促されたとあっては話さないはずがない。
「豆をつまんでボウルに入れる練習ばっかり、ずーっとしてたもんな」
「……ぷ」
その様子を想像したのだろう。亮が軽く噴いた。リカルドは二人から目をそらす。
「まぁ、それだけポジティブに物事に取り組んでいたら、すぐに日本での生活にもなれますよ」
亮がフォローを入れたが、リカルドは恥ずかしくて顔を背けたまま、手を合わせて「いただきます」とつぶやいた。
翌日、レッシュにつれられてリカルドは初めて日本の電車に乗った。
亮が気を遣ってラッシュの時間を避けて出勤するようにと言ってくれたとはいえ、ロスではほとんど電車に乗ることなどなかったリカルドは、人の多さに驚いた。
日本の建物や乗り物は、当然のことだが日本人の身長にあわせて造られている。日本人の平均身長をはるかに超えるリカルドは、いちいち頭を下げて出入りをせねばならない。加えて、ものめずらしげにちらちらと投げかけられる視線もあり、非常に居心地が悪い。
電車と地下鉄を乗り継いで目的の駅に着いた時に、ようやく解放されたとリカルドは大きく息をついた。
そこから富川探偵事務所までは徒歩だ。どちらかというと田舎に近い景色も手伝って、リカルドは少しずつリラックスしてくる。
探偵事務所は雑居ビルの二階にある。あまり目立たない所にある事務所に「亮は探偵を趣味でやっているんだぞ」というレッシュの言葉があながち間違いではないのかもとリカルドは思った。
「おはようございます」
挨拶と共に事務所に入る。いたってシンプルな部屋の中で、亮と信司、透が既に出勤している。
「おはようございます。どうですか? 本格的に外に出た感想は」
亮が尋ねてくる。リカルドは少し言いよどんでから「窮屈ですね」と答えた。
「そのうち慣れますよ。生活に慣れたら車の免許も取られるといいですよ。……レッシュは慣れてるし、すぐに教習所にも通えそうだけれどね」
「ああ。できるならそうさせてもらうよ。それよりも亮、おれはジョージだよ。ここでもそう呼んでおいた方がいいだろ?」
「あ、そうだったね」
レッシュ達が笑うのに、リカルドも微笑を浮かべた。
「……さて、ここでの仕事ですが。リ……、マイケルさんは午前中、俺の仕事を手伝ってください。午後からは信司達と過ごして、日本語の勉強をすればいいと思います」
「判りました」
「それと、夕方にお客様がいらっしゃいます。マイケルさんとジョージには、一緒に会ってもらいます。ここで頻繁に顔を合わせることになる方なので、友好的にお願いしますよ」
亮の言葉に、リカルドとレッシュはうなずいた。
「それじゃ、マイケルさんはこちらにお越しください」
亮が手招きをするので、リカルドは奥の所長室に入っていった。
事務室の中の簡素で片付いた部屋とは違い、所長室はさまざまな書類が山積みになっていた。それでも乱雑というわけではなくて、きちんと種類別に整頓して積まれてあるあたりが亮の性格なのだろう。
「リカルドさんには、私のサポートもお願いします。足抜けをしてもらったのに申し訳ございませんが、あなたになら安心して任せられそうなので」
それは、“アンタッチャブル”としての亮の手助けということなのだろう。リカルドは表情を引き締めてうなずいた。マフィアに属している身分なら自分を捕らえる、あるいは排除する立場にある“アンタッチャブル”の仕事を手伝うことになろうとは、夢にも思わなかった。
書類の整理だけで、午前中はあっという間に過ぎていった。午後からは信司達と談笑することで、日本語を少しずつ勉強する。
リカルドは頭の回転のいい方だが、それでも日本語は難解だと思う。
「大丈夫。時間をかけりゃおれでも話せるようになったんだから。それに言葉が思い浮かばなきゃボディランゲージも使えばいい。日本人は結構親切だからな。『外人さん』が困った顔をしていたら、頼みもしないのに手助けされることもあるぞ」
レッシュの励ましに、リカルドは素直に礼を述べた。
「そろそろお客様のいらっしゃる時間だよ」
亮の声に、リカルドとレッシュは表情を引き締めた。これからもたびたび関わる相手とは、どのような人物だろうかとリカルドは考えた。
「そうそう、マイケルさん。ビジネスの相手には、この挨拶を使うといいですよ」
透がこっそりと寄ってきて耳打ちしてきた。
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