01-3 どうしてもいるものだけ

 先の電話から一時間程が経って、亮から電話がかかってきた。


「準備できたよー。今から迎えに行くからね」


 相変わらず軽いノリの口調だとリカルドは思いつつ、「今から?」と相手の言葉を復唱した。


「はい、今」


 一瞬、ざぁっというノイズが耳を突いたが、すぐに亮の声が聞こえた。


「到着」


 その声は、電話の向こう側と、すぐそばから直接耳に聞こえてきた。

 え、とリカルドは息を呑む。自分のそばに一人、人間が増えている。


「うわ、兄貴」


 信司が驚きの声をあげたが、リカルドのように声をなくすほどびっくりしたというふうでもない。透は苦笑を浮かべていた。


「りょ、亮! どうやって来たんだっ」


 レッシュがリカルドの質問を代弁するように問いかける。


「どうって、瞬間移動ー」


 リョウと呼ばれた男はこともなげに応えた。


 これが、気の力を闘い以外に使った「魔術」かとリカルドは驚き以上に感心した。なるほど彼が“アンタッチャブル”であることが、これで納得できた。少なくとも能力の面では。


 しかし裏社会で触れることのできない者とまで言われている存在が、こうも軽いノリでいいのだろうか。言葉も、先ほどよりは少し聞き取りやすくなったとはいえ、まだ酔った人のそれだ。


 リカルドは亮をまじまじと見つめる。

 二十代ぐらいかと思われる男、亮は頬どころか耳までも真っ赤にしてしまりのない笑顔を浮かべている。足取りもふらふらだ。しかしなるほど、さすが信司の兄というだけはあって二人が並んで立つと顔つきが似ていると言える。


「あー、兄貴、おっちゃん……、お義父とうさんに付き合ってたのか?」

「そうだよぉ。もう神尾さんは相変わらずだなぁ」

「人にも勧めるのが困りものなんだよね」


 兄弟でなにやら話しているのを、透がまた律儀に通訳してくれた。


「あの……」


 リカルドが遠慮がちに声をかけると、亮が笑顔のままに向き直った。


「はじめましてーリカルドさん。富川とがわ亮でぇす。早速ですが、日本に行きましょう」

「今からですか?」

「そうですよー。もうそろそろ事故として取り上げてくれてるはずだし。早く行ったほうがいいからねー」

「事故?」

「足抜けするんでしょお? だからその準備でぇすよ。――レッシュ、テレビつけてよぉ。ニュース番組のチャンネル」


 亮がテレビのそばにいたレッシュに声をかける。レッシュは「え? あぁ」と応え、テレビのスイッチを入れた。


 最新ニュースとして、どこかの事故現場が映し出されている。周りの景色からしてダウンタウンのようだ。車がひしゃげ、炎上して焦げている。


「発見された二人の遺体は、貿易会社『M&Dトレード』社長、リカルド・ゴットフリート氏と、彼の秘書のレッシュ・リューク氏と見られています。現在警察で身元の確認が急がれています」


 ……なんだって?


 リカルドは口をぽかんと開けてテレビを凝視した。いつの間に自分達が死んだことになっているのか。


「ほらねー。……さぁ、早くしないと警察が来ちゃいますよ。不慮の事故だからぁあんまり身の回りのものを持っていけないからね。どうしてもいるものだけ用意してくださいねー」


 相変わらず軽い口調で亮が言う。


「まぁ、おれはこのままでいいけど……」

 さすがのレッシュも戸惑い気味につぶやいた。


 他の面々がリカルドを見つめる。


 どうしてもいるものだけ。

 リカルドは咄嗟に、机の引き出しからペンダントを取り出した。かつての婚約者、ディアナに贈ったものだ。


「私も、これで結構です」


 身一つで足抜けすることがなぜか強制的に決まってしまったのだ。もともと未練のある生活ではないし、こうなったら腹をくくるしかない。

 ディアナの形見をしっかりと握り締め、リカルドは決意を固めた。


 見知らぬ地で、新しい生活を始めるのだ、と。


「それじゃ、行きましょうか」


 亮がそばに寄れというのでリカルドは彼に近づいた。この、自分よりも十歳は若くて、二十センチは小さい、へらへらした男が“アンタッチャブル”だとは本当に信じがたいことだ。

 だが魔術や短時間での足抜けの準備を見せつけられては信じるしかない。


 信司や透、レッシュも来ると、亮は目を閉じろと指示してきた。

 その言葉に従った瞬間、彼の体から発せられたすさまじい気の力に、思わずリカルドは小さく呻き声をもらした。


「はぁい、到着ー」


 相変わらず軽いノリで亮が言う。それに伴って空気が冷たくなっていることに気付いて身震いを覚える。目を開けるとそこは自分の家の部屋ではなく、見知らぬ家の前であった。古い建物で、ロサンゼルスではまず見られない建築物だ。リトルトウキョウに行けば見られるのかもしれないが、訪れたことのないリカルドには判らないことだ。


「あ、ここ、おっちゃんとこ」


 レッシュがなにやら漏らしているのに、亮達がうなずいている。

 信司が当然のように家に入っていく。亮、透と続いて、レッシュも彼らを追う。


「リカルド、来いよ。ここは信司のうちだ」

「信司君の?」

「そうだよ。……ほら、そんなとこにつっ立ったままだと風邪をひくぞ。ロスと違って日本は寒いんだから」


 レッシュは、このいきなりの状況変化に順応しているようだ。まさか彼が“アンタッチャブル”の正体や能力を知っていたわけではあるまいに、なぜそのように平然としていられるのだろうかとリカルドは首をひねった。


「呆然としてんな。まぁ無理もないな。おれも信司の能力の影響を受けた時は硬直したもんだ」

「信司君も、このような力を持っているのか?」

「信司は、退魔師なんだよ」

「タイマシ?」

「……説明は中でしてやるから」


 レッシュに腕をつかまれて、リカルドは半ば強引に家の中に連れて行かれた。


 日本の家屋は靴を脱いであがらねばならないことや、草で作った床、畳の上に薄いクッション、座布団に座ることなど、異国の習慣に戸惑うばかりのリカルドに、英語を解する者が丁寧に説明してくれた。


 家の中にいたのは、リカルドとそれほど歳が離れていなさそうな豪傑肌な男と、彼の妻である同じ年頃の女性、そして信司の妻だという黒髪の美しい若い女性だった。


「これからのことだけどぉ、ロスの方が落ち着くまでーしばらくはぁ、二人ともここでぇ厄介になるといいよー。リカルドさんは特にぃ、日本は初めてだし、慣れていかないとだしー、ね」


 まだいろいろと聞きたいことがあったが、亮がしらふの時にでもとリカルドは思いなおした。


「ご厄介になります」


 リカルドが頭を下げると、信司の義父は豪快に笑った。


「亮くんの頼みだからね。まぁ堅苦しいのはなしだ。ささ、歓迎の酒盛りを始めようぞ」


 武が酒の入っているであろう細長い器と、小さなコップを掲げた。


 厄介になる家の当主の、せっかくの誘いだ。リカルドは素直にうなずいた。

 後ろで、信司や透、レッシュまでもがコソコソと別部屋に逃げていくのにも気付かないで。


 そしてリカルドは思い知った。彼の酒に付き合ったから亮があれだけ酔っていたのだと。

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