01-2 アンビリーバボー

 素っ頓狂なことを言う青年に、リカルドが言葉を返すことなく、いや、返す言葉を見つけられずに見つめていると、彼はどんどん話を進めていく。


「つまり、二人一緒に安全に抜ければいい、と。あー。じゃあ兄貴に相談してみようかな」

「なんでそこでりょうが出てくんだよ」


 レッシュがリカルドの顔色を伺いながらも信司に尋ねている。

 そのやり取りも、透という青年は律儀に英訳してくれた。彼の、表情を変えずに淡々とニュアンスまで汲み取って訳す態度にも驚かされる。


「だって兄貴、裏社会には顔が利くんだよ。なんってったっけ、異名があるんだよ。えーと、あ、……ア……、そうだ、“アンビリーバボー”だっ」

「信司さん、それを言うなら“アンタッチャブル”です」


 透が信司の言葉を英訳する前に訂正したようだ。リカルドに判ったのは“アンタッチャブル”というフレーズだけだったが、話の流れでそれが何を指しているかは簡単に想像できる。


 “アンタッチャブル”が身近にいるのか。そう思うと思わず一言が漏れた。


「……信じられないunbelievable

「すみません、“アンビリーバボー”ではなくて“アンタッチャブル”でした」


 信司が笑っている。


 そうではなくて。と言いたいがリカルドはうまく言葉にできない。今日で一生分の驚きを体験した気分だ。


 裏社会で“アンタッチャブル”と呼ばれる男がいると言われているのはリカルドも知っている。ある程度の地位より上に行くと必ず知らされる存在だ。


 いわく、格闘に長けた異能者「極めし者」にして、それ以上に強力な技を使う「魔術師」である。

 いわく、彼の身内に手を出せば組織ごと潰される。構成員どころか家族までもを。

 いわく、絶対に彼に敵対してはならない。


 そのように謳われる者が、まさか目の前の若者の兄だなんて。

 リカルドは表情を隠すことも忘れて呆然と信司を見た。

 どう反応してよいのか判らずリカルドは何も返せない。

 レッシュも「え、おい、嘘だろ?」とつぶやいている。


「ということで、兄貴に連絡を取るので、ちょっとまってくださいね」


 信司はリカルドが応えないのを了承と取ったのだろう、携帯電話を取り出した。

 信司は電話でなにやら一生懸命に訴えているようだ。


 リカルドがじっとその様子を見ていると、透が信司の言葉を英訳してくれた。


「だから、うん、そう。マフィアの二人を足抜けさせてよ。どんな、って。レッシュと、上司のリカルドさんだよ。……あぁ、判った、ちょっと待って」


 信司が電話をリカルドに差し出してきた。


「兄貴がリカルドさんと話したいって」


 リカルドはすぐに電話に手を伸ばすことが出来なかった。信司の言うことが正しいなら“アンタッチャブル”が今、この電話の向こう側にいるのだ。緊張しないほうがおかしい。


「どうぞ」


 信司がリカルドの手を取って携帯を握らせた。

 とにかく話をしなければならないようだ。リカルドは生唾をごくりと飲み込んで、電話を耳に当てた。


 耳に届いてきたのは、騒がしい物音、いや、どうやら複数の人の声らしい。言葉は解さないが、陽気な雰囲気なのは判る。


「リカルド・ゴットフリートです」


 声が震えそうになるのを何とか抑えて名乗ると、とてもシラフではなさそうな男の声が返ってきた。


『あぁ、リカルさんれすねぇ。えーとぉ、“コールド・ゲイル”って異名の、「オーウェン」ファミリーらっけぇ?』


 ろれつが回らない、若い男の声だ。本当にこの男が“アンタッチャブル”なのだろうか。しかし自分の異名や所属ファミリーをすんなりと口にする辺りに信憑性がある。


「はい」

『足抜けしたいんれすよねぇー。まっかせてくださーい。ちょちょいのちょいっと抜けさせてあげますからぁ、おぉぶねに乗ったつもりで、まぁっててくださいねー』


 とても酔いそうな船だ。いや、そういう問題ではないのだが。


「……は、はい」

『あー、疑ってますねぇ? もう、ウワサにたがわず慎重サァン』


 いや、今のあなたの言葉で信頼しろと言うほうが無茶だとリカルドは返してやりたかったが、酔っていても相手は“アンタッチャブル”らしいのだ。口が裂けてもそんなことは言えない。もしかすると、こうして酔った振りをしてこちらの反応をうかがっているという可能性も考えられる。


「よ、よろしくお願いいたします」


 リカルドが応えると、“アンタッチャブル”らしき男は陽気に笑った。

 弟に代わってくれというので、信司に携帯電話を返した。

 程なく、信司は電話を切った。


「やれやれ、神尾家うちの酒盛りに付き合わされて、兄貴も相当酔ってるよ」

「あぁ……、おっちゃんザルだもんなぁ。アレに付き合わされたらそりゃ潰れる。大丈夫なのか?」

 レッシュが問うのに信司は笑う。

「大丈夫。仕事となるときっちりとしてるから」


 とにかく、亮からもう一度連絡があるまで、皆、リカルドの家に待機することになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る