episode 11. 再会と、後悔と

 木こり夫婦の小屋とその墓に姿がなかったことから、ペルルグランツはここにはいないだろうと、騎士団長トォオーノ・グラウディは言った。

 しかし、トレフル・ブランには確信があった。ここ以外のどこにも、ペルルグランツが心の行き場所を求められないことを、トレフル・ブランは知っていた。

 そこで、キーチェとともに魔力を探知サーチする。白い世界に、水の波紋が広がるように、トレフル・ブランとキーチェの薄く引き伸ばされた魔力が染みわたって行く――そして、キーチェが金褐色の双眸を開いた。その視線は、東の森を向いている。

「ありました。人間の持つ魔力と、ほかにいくつかのぼんやりとした魔力……魔導人形ゴーレムを従えているのかもしれませんわ」

 ソーカルが剣を抜いた。

「俺たちが先頭に立つ。国王陛下には、すみませんがしばらく身を隠していただきます。騎士団長どの、そちらはお願いします」

「あい分かった」

 重々しくトォオーノは頷き、コラルグランツも異は唱えなかった。


 雪深い針葉樹林を進んだ。

 それは、麓の町へ通じる林道だった。ザクザクと雪が音を立て、トレフル・ブランたち四人の足跡を描いていく。ときおり重みに耐えかねて小枝が折れたり、雪の塊が降ってきたりと、薄暗い森の中は思いのほか静寂だけに満たされているわけではなかった。どこからともなく、聞きなれない鳥の声が響く。

 少し遅れて、国王一行も姿を忍ばせつつ着いてきているはずだった。彼らには、キーチェの得意な『水の屈折結界』のほか足音を目立たなくする魔法をかけてある。


 しばらく進むと視界が開けた。

 森の中にぽっかりと、鈍い輝きを反射する空間がある。半ば凍てついた湖だ。

 その湖にせり出した岩場の上に、目的の人物を見つけた。

 銀色の髪と青い瞳を持つ繊細な容姿の少年。トレフル・ブランたちが追う白い無法者ヴィート・ギャングを操る犯罪者。王国への復讐者――ペルルグランツだ。

 しかし今、彼は巨悪を背負った犯罪者ではなく、拠り所のない頼りなさげな存在として、池のほとりに座り込んでいた。トレフル・ブランたちの接近には気付いているだろうに、視点を遠くに投げやったまま、振り返りもしない。

 彼のまわりでは、雪だるまたちが遊んでいた。左手に手袋をはめたもの、マフラーを巻いたもの、帽子をかぶったもの。それぞれが、不格好に雪を積み上げたり、小さな雪玉を投げ合ったりして、幼い子どものように楽しそうに、しかし無言で雪遊びをしている。ペルルグランツの関心の外で無心に遊ぶ彼らの姿は、いたいけなようでいて虚ろな印象を与えるものだった。


 ざくざくと雪を踏みしめる足音がしっかりと届く距離になって、初めてペルルグランツは口を開いた。視線は、なお余人にはわからない遠い世界を見つめている。

「トレフル・ブラン、って言ったっけ」

「……そうだよ」

 トレフル・ブランは一歩前に出た。片手に銀の万年筆を握り締めていたが、あまり警戒する必要はないのではないかと感じる。以前に出会った時のような禍々しい圧力を感じなかったからだ。その表情にはなんの感情も浮かんでおらず、命令を受けて動く魔導人形ゴーレムたちと同じような、奇妙に虚ろな雰囲気をまとっていた。

 ぼんやりと氷の張った湖面を見ながら、彼は言った。

「父の日記を見た。お前の言うことが、どうやら正しかったみたいだ」

 父王の命令で殺されそうになったが、当時近衛兵の一員であったトォオーノが命を救ってくれたこと。生みの母が、弟王子の処遇に悲しみ精神を患ったこと。そしてなにより、養父母が心からペルルグランツを愛し、無名の市民として幸せな人生を送って欲しいと願っていたこと――そういうさまざまな事柄と思いが、日記帳には綴られていたそうだ。

「僕は、僕を殺そうとした奴らがのうのうと生きているのは、とんでもない罪悪だと思っていた。それに復讐するのは、僕の正当な権利だとも思っていた」

 トレフル・ブランは返事をしない。黙って、ペルルグランツの独白を聞いている。

「ところが、蓋を開けてみると憎んでいた騎士団長は命の恩人だった。僕に直接害を与えようとした男は、頑迷で偏屈な王だと国民に軽蔑されながら死んでいった。僕にはもう復讐の対象がいないし、なにより、それは愛してくれた父母の願いに背く行為だ」

 父母、というのは、当然トォオーノの遠縁だという木こり夫婦のことを指すのだろう。

「お前も孤児だと言っていただろう。お前は、世間を恨んだことがないのか?」

 さてどうだろう、とトレフル・ブランは腕を組んだ。

 十五年というのは、さほど長くないようでいて、決して短くはない人生だ。その中で、恨みとか憎しみとか、そういう感情は薄かったように思う。なにより人生の後半は、先生に振り回されて忙しかった。

 トレフル・ブランは小さく笑った。表情の選択に迷わなかった。

「施設の人たちも、一時は俺の養父母だった人たちも、俺には無関心だった。だから、俺も彼らに関してはあまり関心がなかったかな……それよりも、書物に描かれる魔法使いの偉業に憧れた。それが運を呼び寄せたのが不運を招いたのか、魔法使いの師匠に拾われてからは、師匠についていくのに精一杯で、他人を恨んだりうらやんだりする余裕はなかったよ」

 ペルルグランツは、初めてトレフル・ブランの顔を見た。そこに浮かぶ真偽を見定めようとするかのように。

 やがて彼は何も言わず、視線をもとに戻した。

 そして、大きくもない声で彼の兄弟に呼びかけた。

「いるんだろう? コラルグランツ」

 一同に緊張が走った。それを制するように、ペルルグランツは「安心しなよ。もう戦う意思はない」と付け足した。

 背後から、ためらいの気配を振り払うように、コラルグランツが姿を現した。トォオーノたちを従えている。


 風になびく細い銀髪、すらりとした体つき、複雑な感情をたたえた青い瞳――まるで鏡を見ているようだ、と互いに思ったことだろう。生まれて初めて、兄弟が対面した瞬間だった。

 白い世界に、沈黙が漂った。どちらも、一言も発さず、鏡合わせのような互いの姿をじっと見つめている。

 今日はじめて、ペルルグランツの表情に感情が浮かんだ。悲しみと後悔と怒りとやるせなさと、色んなものがブレンドされているように、トレフル・ブランには感じられた。その青い双眸は、湖の光を反射して頼りなく揺れている。

「どんな気分だ、コラルグランツ。弟の愚行を前にして、お前は何を思う?」

 コラルグランツは唇を開きかけ、しかし何も言わずに閉ざした。言うべきことが見いだせなかった、あるいは整理できなかったのだろう。

「僕は間違いなく愛されていた。父母と暮らした時間は、たしかに幸福だった。それなのに僕は、彼らの願いを踏みにじって平和な生活を壊し、この国の人たちの命を生活を奪い、恩人であるトォオーノの命まで狙おうとした。僕には僕の幸せを心から思ってくれる人たちがいたのに、なんて愚かな、取り返しのつかないことをしてしまったんだろう……!」

 ペルルグランツの青い瞳に、涙がうっすらと光った。それはやがて雫となって頬を伝い、ほどなく冷気にさらされて白く凍りつく。

 コラルグランツはぎゅっと唇を引き結び、首を左右に振った。

「ペルル、君は遅かった。気付くのが遅かった。今さら悔いても、なにも戻ってこない。失われた人たちの命、君のご両親との幸福な時間――君はもっと早くに、そのことに気付くべきだった」

 トレフル・ブランは、やるせない気持ちでふたりのやりとりを眺めていた。

(国王の言うことは正しい。でも、それこそ今さら無益な話だ)

 だがしかし、とコラルグランツは続けた。

「君以上に、私自身がもっと早く、君のことに気付くべきだった。母の病から目を背けず、父の罪をあがなうべきだった……」

 トォオーノやイオディスの制止も聞かず、コラルグランツは再会した弟に、一歩また一歩と歩み寄った。

 潤んだ瞳で、ペルルグランツはその様子を見守っている。

 すぐに動けるようソーカルなどは外套の下で剣を抜いていたが、この兄弟は今、そんなことに関心はなさそうだった。

 同じく青い瞳から、一筋の涙が伝った。ペルルグランツの顔に驚きの色がよぎる。

「すまない……長いこと君ひとりに、王族の罪を背負わせてしまった。本当にすまない。ペルル、やっと出会えた、私の弟……」

 静かにたたずむコラルグランツの前で、ペルルグランツは思い切り表情を歪めた。そして、拳で地面を叩く。ボスンと音がして、その拳は雪に埋まった。その瞳からは透明な涙があふれ、喉からはとぎれとぎれの嗚咽が漏れ出していた。

「……ごめ……っ! コラル、せっかく出会えたのに、こんな、情けない僕でごめん……」

 

 トレフル・ブランは、大きく息を吐いて、肺に溜まった重苦しい空気を体外へ追い払った。

 自然と、顔をあげ、鈍色の空を見上げる。

(ペルルグランツの憎しみがほどけて良かったと思う。ご両親の愛情を思い出せて、良かったと思う)

 それでも、すべてが遅すぎる。

 町や村は時間とともに復興できたとしても、奪った命は、二度と戻らない。ペルルグランツの犯した罪は、あまりに大きい。今さら後悔しても、どれほどの涙を流しても、それは罪を償うことにはならないのだ。

 空を旋回する黒い鳥が、人間たちを見下ろして鳴いた。

 それがまるで鳥葬を待つ執行人のようで、トレフル・ブランには気味悪く感じられた。

 

 

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