episode 10. 復讐者の起源

「遅かったか」

 到着したソーカルがため息まじりに呟くのを聞き、「本当に、遅かったですね」と言おうとしたトレフル・ブランだったが、さすがに大人げないと感じてやめた。救援が遅れたのには、それなりの事情があったであろうことぐらい察しがつく。

 後ほど、キーチェから聞いた話によると、北の港には雪男の戦士が大挙して押し寄せたらしい。あちらでも満足に魔法の使える兵士が少なく、苦戦したそうだ。

 

 というわけで、トレフル・ブランは戦力の底上げを試みることにした。

剥離ディクリイ! ……あ、成功した。案外出来るもんだね」

 ユーリにも、トレフル・ブランが考案した、相手の耐性を引き剥がす術式を伝授したのだ。キーチェの作った雪のゴーレム相手に練習していたユーリは、満足のいく結果に笑顔を見せた。

 教官に頼んで、この魔法を王国側にも伝えてもらっている。これで末端の兵士の幾人かも、『剥離』が使えるようになるはずである。

「で、これも渡しておくね」

 トレフル・ブランは、巾着袋の形をした第二のポケットセカンドポッケに融雪剤を詰め込んで、ユーリとキーチェのふたりに手渡した。

「防御力強化の耐性さえ弱らせてしまえば、効くはずだから」

 魔法の対策はいたちごっこだ。こちらが何か手を打てば、向こうはそれを上回る、あるいは回避する、あるいは無効化する手立てを考える。それを見てこちらも対応する。だが最低限できることはやっておかなくてはならない。

(今度は、衝撃や炎だけじゃなく、水や電気に対しても耐性を付与してくるかな……いや、すべて対策するには、魔導人形ゴーレムの数が多すぎる。ふつうの雪だるま兵に、そこまで手をかける余裕はないだろう)

 となれば、雪だるま系のゴーレムはなんとか兵士たちに対応してもらい、主力となる強力なゴーレムを、王国の騎士たちや魔法騎士アーテル・ウォーリアであるトレフル・ブランたちが引き受けるほかない。

(問題は、あの六つ目の魔犬なんだよね。敏捷性が高い。ブランカたちをあてるにしても数が多い。どうやって対応するかな……)

 外出していたソーカルが会議室へ戻ってきたことに、トレフル・ブランはまったく気付かなかった。

 ソーカルが視線で問うと、キーチェが「きっと、ひとり脳内作戦会議ですわ」とやや拗ねたように答える。彼女は、自分が蚊帳かやの外に置かれることがお気に召さないらしい。

「まぁまぁ。トレフル・ブランには、脳内で考えを熟成させる時間が必要なんだよ。食べ物で釣ってみたら現実こっちに戻って来るんじゃないかな」

 とのんきに笑っているユーリの後頭部に向かって、アーモンドを一粒投げつけるトレフル・ブラン。

「途中から聞こえてる。教官、王国側の反応は?」

 ソーカルはドサッとソファーに身を沈ませ、ナッツを口に放り込む。

「歴史から抹消されたはずの現国王の弟がご乱行ってんで、葬式みたいな雰囲気だぜ。報告するこっちまで気が滅入っちまう。まぁそれはお国の事情ってやつで放っておくにしても、こう魔導人形ゴーレムの種類が多いんじゃ、対策立てるのも一苦労だ。どうせ、お前さんの考え事もそのたぐいだろう?」

 ホットミルクの湯気をあごにあてながら、「まぁそんなところで」とトレフル・ブランは応じる。

 ユーリも熱心に頷いた。

「まるで魔導人形ゴーレムの見本市だもんなぁ」

「雪ばかりですけどね」

 キーチェも応じ、紅茶をひとくちすすった。

 ユーリにせがまれてミルクの入ったコップを渡すと、彼はそれを自分のマグカップに注いだ。カフェオレが作りたかったらしい。

 ソーカルは憮然とその様子を見ていた。

「お前らホントになぁ。俺の分も用意してやろうっていう気づかいは?」

「少々お待ちを」

 キーチェがコーヒーを淹れているところだった。

 ソーカルは礼を言ってそれを受け取り、トレフル・ブランとユーリに意味ありげな視線を寄越した。

「無粋な男どもと違って、気が利くね」

 キーチェの頬が赤く染まった。嬉しそうだ。

 ユーリは苦笑してソーカルの発言を受け入れたが、素直にそうしないのがトレフル・ブランという少年だった。

「無粋な男の筆頭が何を言ってるんですか。この中で一番むさくるしいの、誰だか知ってます?」

「……言うねぇ」

 別に否定するつもりはないのか、ソーカルは開き直ったように肩を竦めた。


 ここは王国の北部に位置する、移動用魔法陣テレポーターが設置された町である。ソーカル一行は、ベレル駅襲撃の翌日からこの町、キルリクに滞在していた。昨日は別の町が襲われ、この町への被害はなかったため、一行の休日となったが、移動用魔法陣テレポーターというものは大掛かりな魔導装置なので、設置された町の数はそう多くない。いつ襲撃があってもおかしくない状況だ。


「それで、ペルルグランツの行方は?」

 トレフル・ブランが本題に切り込む。

 ソーカルは首を横に振った。

「見失った。代わりに、お前らがとっ捕まえた、特別な魔導人形ゴーレムの分析結果が出たぞ」

 以前捉えた、手袋をつけた雪だるまのことだ。

 ちらり、とソーカルの視線がトレフル・ブランのほうをかすめた。

「トレフル・ブランの予想通り、小型の雪だるまを作る機能が備わっていた。しかも、命令しない限り、自動で毎日一定量を生産するしくみだ」

「……げ。じゃ今もどこかで、ぽこぽこ雪だるまが生まれてるってこと?」

 嫌な想像だが、ソーカルは頷いてそれを肯定した。

「どうやらこれと同じ機能を持った雪だるまは、あと三体あるようだ。まぁ、同時期に作られたもの限定で、ということだが。当面の目標は、こいつらの破壊だな」

 ユーリが、腕組みをして「うーん」と唸った。あごに手をやる仕草は無意識のようだ。

「それはそれとして、俺としてはあの六つ目がある雪の犬も気になっています。なぁ、あれは結構な強敵だったよな?」

 水を向けられたトレフル・ブランは、カップをソーサーに戻した。

「俺も、アレの対策どうしようかと思ってたとこ。けど、俺たちのほうには現れて、教官たちのほうには現れなかった……つまり、ペルルグランツ自身が操作する必要のある、精巧な造りの魔導人形ゴーレムなんだと思う。彼にさえ出会わなきゃ、戦わずに済むと思うけど。とりあえずはね」

「そっちの対策は、王都の魔導士協会でも考えてるところだ。兵士がひとつ、無傷の真珠を拾っていたそうだ。それを分析にかけている」

 ひとまず六つ目の犬の対策は魔導士協会に委ねるとして、明日からは再度襲撃予想地点の警備にあたる。

 そう決定し、その日はお開きとなった。


 観光シーズンから外れているため、キルリク駅にほど近いこのホテルでは、ひとりにつき一室、部屋が割り当てられていた。

 トレフル・ブランがシャワールームから出てくると、ユーリが椅子に腰かけて待っていた。

 嫌な予感がしたので見なかったことにしたいが、簡素なベッドがひとつ、テーブルと椅子が一脚ずつおかれているだけのこの狭い部屋で、訪問者を完全にスルーすることは難しいだろう。

 というか、何故いるのだろう。確かに鍵はかけていなかったが、ふつうは一声かけるものではないだろうか。

「トレフル・ブラン! これ、飲んでみてくれ!」

 と差し出されたのは、ガラスケースに入った黄色い粉末。それが何なのかは、尋ねるまでもなく理解できる。

「つまり、嘔吐薬が完成したんだね?」

「そうだ! ちゃんと出来ているか、飲んで欲しいんだ!」

「いや、なんで寝る前にそんなもの飲まなきゃなんないの。飲むわけないでしょ」

 正しく作られた嘔吐薬ならば、約十分間の間、胃の中のものを吐き出し続けなくてはならない。

 トレフル・ブランは、ユーリからガラスケースを受け取ると、その黄色い粉末を分析魔法アナリティクスにかけた。これは魔の審美眼マージュ・ホルスとは異なり、魔法の術式ではなく、物質の素材・組成を調べる魔法である。

 トレフル・ブランの見たところ、原材料は過不足なく揃っており、製法も誤ってはいないようだ。

「まぁたぶん大丈夫だと思うけど。どうしても効果が気になるなら、教官のコーヒーにでもこっそり混ぜてみたら?」

 ユーリはひきつった笑みを浮かべた。

「……さすがに冗談だよな?」

「まぁね。でも、俺より詳しく分析できると思うから、見てもらうのはアリだと思う」

「分かった、そうする!」

 ユーリの黒い瞳がらんらんと輝き、「ありがとう、トレフル・ブラン!」と両手を握って揺さぶられた。

(眠気が吹き飛んで、いいか)

 と、トレフル・ブランはあえて肯定的に捉えることにし、ユーリの背中を押して、ドアの外へ追いやった。


 結局この日も襲撃はなく、それどころかそれから三日間、どの町も襲われることはなかった。


『どういうことなのでしょう。諦めてくれたのなら、ありがたい話ですけれど』

 炎の中に、イオディス・トーレの姿がゆらゆらと揺れている。ソーカルが銀のライターで受信した立体映像である。

「そりゃないんじゃないですかね。相当の憎しみを持って、王国に仕掛けてきているようですから。それで、行方は分からないんですか?」

『えぇ……。完全に痕跡を絶っています。そうでなくても雪深いこの季節、特定の人物の追跡は難しいものです』

 王都にいるイオディスとの間に開かれた通信を、トレフル・ブランたち三人も隣に座って聞いていた。

 重苦しいため息で、炎が揺れた。騎士団長トォオーノ・グラヴィティだ。

『一体、“彼”はどこへ消えたというのだ。行く場所など、もうどこにもないというのに……』

 その声には、深い悔恨と苦悩が感じられる。

 トレフル・ブランは、この台詞に引っかかりを覚えた。

 ソーカルに合図を送ると、彼は軽くあごをしゃくった。「話せ」ということらしい。

「横から失礼します。トレフル・ブランです。彼が生まれ育った、木こり夫婦の住んでいた家は、もう捜索しましたか?」

『……なんだと? 彼は、あそこにいると言うのかね』

 トレフル・ブランは頷き、それだけでは相手に伝わりにくいと思い直して「えぇ」と声に出した。

「孤児である彼の帰る場所は、この世にたった一つしかありません」

 大人たちが、顔を見合わせる気配がした。

 軽く咳払いして、「当たってみても良いのでは?」とソーカルが言った。

「見当がないなら、とにかくそれらしいところを当たってみるのもいいでしょう」

『あぁ……そうじゃな。イオディス、手配を』

『はい、かしこまりました、閣下』

 そこへ、パタンという扉の音が響いた。

 ソーカルたちはイオディスが退出した音ではないかと思っていたが、違った。

『陛下!!』

 トォオーノの太い声が響く。

 ソーカルは炎の陰を白い壁に投影し、見える範囲を広げた。古い映画のようにちらちらと点滅しながら、イオディスたちの様子が映し出される。

 立ち尽くすトォオーノ、イオディスの前に、ひとりの身なりの良い少年が立っていた。

 コラルグランツ・エーレパゴニア。若干十五歳の、パゴニア王国の現国王。

 状況から考えて、その人でしかない。

 トレフル・ブランは、緑の双眸を見開いてまじまじと少年王を観察した。

(なるほど、たしかに双子だ……)

 線の細い体、繊細に流れる銀の髪、そして青い瞳。ペルルグランツと名乗った少年と瓜二つだ。ただひとつだけ、その瞳には曇りがなく、晴れた日の海のような美しい青色をしていた。

 少年王――コラルグランツは、一同を見渡して微笑んだ。

魔法騎士アーテル・ウォーリアのみなさん、初めまして。私の名はコラルグランツ・エーレパゴニア。この国の王です』

 でしょうね、とも言えず、トレフル・ブランたちはその場に立ち尽くした。


 ある晴れた朝。

 前日に積もったまっさらな雪の中を、二台の緑色に金銀の装飾が施された馬車が往く。通常より体も大きく毛足の長い品種改良されたであろう馬は、魔法の力で雪に埋まることなく、力強く馬車を牽引する。

 その馬車の前方車両に乗り込んだトレフル・ブランは、いささか不機嫌な面持ちで、

「たぶん、教官の日ごろの行いが悪すぎる。もしくは、何かにたたられている」

と呟いた。

 隣に座ったユーリが「まぁまぁ」と苦笑まじりに言った。

「今日はご機嫌斜めだね。そんなに嫌だったのかい?」

「……とても、ね」

 真っ白な雪と青い空の美しいコントラストは、トレフル・ブランのささくれだった心をわずかに慰めてくれたが、機嫌をなおすまでには至らなかった。

 ソーカルは紫煙をくゆらせつつ「だからってな、俺に八つ当たりすんなよ」とぼやいている。

 ソーカルの隣、ユーリの真向かいに腰かけたキーチェは、両腕を組んで呆れたように首を振った。

「まったく、ただでさえ扱いづらいのに、機嫌を悪くされると手に負えませんわ」

「同感だねぇ」

 うんうんと頷きあっている二人。ユーリはほろ苦い笑いを浮かべている。

「……もしかして、俺ってちょっとめんどくさいやつだと思われてる?」

「自覚ねぇのか。重症だな、おい」

 ソーカルがにやりと人の悪い笑みを浮かべる。

 ユーリもキーチェも視線で同意した。

 心外だ。薬草音痴の熱血漢と、家無しお嬢様にまでそんな風に思われているなんて。

 彼らよりは、自分のほうがよっぽどマシだと信じているトレフル・ブランは、一冊の本を開いた。気を紛らわせるために『魔法分類学』の勉強に専念しよう。

「あ、ヤバイ。俺もテスト勉強しなくっちゃ」

 というユーリの慌てた声が、どこか遠くから聞こえた気がした。


 やがて、二台の馬車がたどりついたのは、雪深い山村だった。

 真っ白な雪が目にまぶしく、その上を横切るわだちだけが生き物の存在を感じさせる。青く澄んだ空の下、ゴツゴツした山と針葉樹林にも白い雪が降り積もり、あたりは一面の銀世界。遠く山奥から、長く尾をひく鳥の声が響いた。

 一台目の馬車から降り立ったのは、ソーカル一行。そして二代目の馬車からは、騎士団長トォオーノ・グラウディ、その側近のイオディス・トーレ、そして現国王コラルグランツ・エーレパゴニアと、さらに二名の兵士が降り立った。

「こちらです、陛下」

 トォオーノが厳めしい顔つきと声で、少年王コラルグランツを案内する。

 そう、このたびの目的地は、ペルルグランツが生まれ育った山小屋だ。

(遭遇する危険が高いって言ったのに。なんでついてくるかな)

 トレフル・ブランの不機嫌の原因はこれだった。

 国王を守りながらの戦い――はっきり言って面倒くさいの一言に尽きる。ソーカルやトォオーノがいるとはいえ、万全の体制とは言い難い。コラルグランツはいったい何を考えているのやら。

 その時、肩にポンと大きな手が置かれた。ソーカルだ。

「お前さん、国王がのんきに物見遊山に来たんだろうと思っているんだろうが、たぶん違うぜ。なんにしても、眉間にしわが寄ってるの、どうにかしときな」

 トレフル・ブランは、我知らず唇をとがらせて抗議した。

「だって、ペルルグランツがいる可能性が高い、危ない場所だって忠告したのに」

「だから、じゃねぇか。直接会ってみたいんだろう、十五年前、生き別れた弟に」

 そう言われて、トレフル・ブランは黙った。

 自分に生き別れの兄弟がいたとしたら、やはり会ってみたいと思うだろうか。そしてその兄弟が悪事を働いていると知ったら、どうにかして止めたいと願うだろうか。

 わが身に置き換えてみると、コラルグランツの苦悩が少しは理解できるような気がした。つまり、まだまだ他人の立場を思いやることができない、自分は未熟者だという証でもある。

 先ほどまでとは異なる意味でやや憮然としているトレフル・ブランに、ユーリが声をかけた。

「大丈夫だよ。屋外だから、俺もキーチェも大技が使える。六つ目の犬の対策だってしてきただろう?」

 そう、王都の魔導士協会と連携しつつ、ペルルグランツが使役する俊敏な魔導人形ゴーレムについても対策済みだ。

 たったひとりで王国と戦わんとするペルルグランツと、トレフル・ブランたちの違いはここにある。トレフル・ブランたちは、チームで情報を共有し、それをもとに対策し、役割を分担することができるのだ。

(けどきっと、ペルルグランツはそんなことを知らずに育ったんだろう。俺も、ひとつ歯車が違えば同じ道を歩いていたかもしれない……)

 トレフル・ブランは、ユーリに控えめに頼みごとをした。

「戦いになっても、なるべくこの小屋を破壊しないで欲しい。彼の帰る場所は、きっともうここしか残っていないから」

 トレフル・ブランが、故郷はどこかと問われれば、先生と暮らした湖のほとりの塔を思い浮かべるだろう。生まれた国や、それまでの経緯に関係なく。

 故郷とは、最後の心の拠り所ではないかと、この時トレフル・ブランは感じていた。

 ユーリは快諾し、二人とも先を進むソーカルたちの後に続いた。


 木こり夫婦の小屋には、誰もいなかった。

 それなのに、今にも小屋の外から「ただいま」と年取った夫婦が戻って来そうな、そんな雰囲気が残っていた。

 角の欠けたテーブル、暖かそうなクッションが置かれた椅子、使い込まれた台所、ところどころうっすらとシミの付いたラグ――暖炉に火をともせば、すぐにでもつつましやかな暮らしが甦りそうな、懐かしさを覚える空間。

「ペルルグランツは……弟は、ここで育ったんだ。十五年間、真っ白な雪と、優しい両親に囲まれて」

 コラルグランツの瞳に映った光は、曖昧に揺らいで見えた。

 トォオーノとイオディスは、静かにコラルグランツの傍に控えている。


 ソーカルたちは外の見張りをしていたが、トレフル・ブランはなんとなく国王一行について山小屋の中に入った。自分の目で、ペルルグランツの育った場所を確認したいと思ったからだ。

 『記憶の再生』魔法をかける。

 すると、そこには在りし日のつつましく穏やかな、しかし幸せに満たされた生活が映し出される。

 陽気な父がたくさんの雪だるまの魔導人形ゴーレムを動かす。幼いペルルグランツの遊び相手になればと作った力作だ。ペルルグランツは、動く雪だるまたちと戯れながら、雪原を駆けまわる。そこに、母のやさしい声が響く。「夕飯のシチューができましたよ」と。ペルルグランツは大喜びで、粗末な山小屋に駆け込んでいく――。

 トレフル・ブランはそっと瞳を閉じた。

(あぁ、やっぱり。ペルルグランツの故郷は、ルーツはここにあったんだ)

 再生した映像にしみじみ見入っていると、ふと視線を感じた。目を開けると、コラルグランツの深い青色の瞳がこちらを見つめていた。

 彼はゆったりとした足取りでトレフル・ブランのところへ歩み寄ってきた。

「君と、一度話がしたいと思っていた。少しいいかな?」

「……まぁ。俺でお役に立てるようなことなら」

 コラルグランツは、トォオーノたち護衛を外に出し、トレフル・ブランとふたりで質素なテーブルについた。

 人の家の台所を勝手に借りる気にはなれず、飲み物もなく無言で向かい合う。

 やがて、コラルグランツがぽつりぽつりと話し始めた。

「私の母は、私が物心つくころにはすでに心を病んでいた。私を見ても何の反応を示さないときもあったし、ある時は私を抱きしめて『ペルル、ごめんなさいね』と言って涙を流すんだ。そんな状態だったから、母と私の双方のためにと周囲が気を遣って、私たちはあまり一緒の時間を過ごしたことがない。最期まで症状は回復せず、母は逝った」

 トレフル・ブランはコラルグランツの顔色をうかがった。そこには、寂し気な笑みを浮かべた、同い年の少年がいた。

「父は……これは国民にも広く知られていることだから言うが、頑迷で偏屈な男だった。母のほかに寵姫を持つこともなく、ならば母を愛していたのかと言えばそれもよくわからない。息子である私のことも、どう思っていたのかわからない。父とも、公式の場以外で顔を合わせることがほとんどなくてね。そんな父も、母の後を追うように二年前に亡くなった」

 私は魔法が使えない、とコラルグランツは言った。

「この国の人間は、魔法使いとそうでないものが半々だから珍しいことじゃないけどね……それでね、トレフル・ブラン。魔法使いである君に訊きたい。ペルルグランツは、弟は、ここで過ごした時間をどう思っていたのだろう。彼にとって、この場所はどんな意味を持つのだろうか」

 トレフル・ブランは、しばし反応に迷った。

 今の話を聞く限り、どうやらコラルグランツは家庭的に平穏な環境で育ったとは言い難いようだ。

 彼が何を聞き出したいのだろうかと考え、やはり素直に弟の境遇を知りたいのだろうと結論付けたトレフル・ブランは、少し言葉を選びながら、それでも正直に答えた。

「ここには、彼の幸せな時間がつまっています。優しい父と母に温かく見守られ、育まれた記憶が残っています。間違いなく、彼にとってのふるさとでしょう」

「……そうか。私がここを訪ねたことを知ったら、彼は気を悪くするだろうか」

「さて。でもそうですね……心の中の神聖な場所には、あまり誰も立ち入らせたくないと、考えるかもしれません」

 コラルグランツは静かに目を伏せた。

「ありがとう、トレフル・ブラン。話を聞けて良かった」


 小屋を出たふたりは、トォオーノたちとともに木こり夫婦の墓に手を合わせた。

 特にコラルグランツは、いつまでも熱心に、まるで祈るように、墓に手を合わせ続けていた。その横顔が、トレフル・ブランの印象に強く残った。


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