episode 7.オーロラの下で

 白い無法者ヴィート・ギャングによる一連の襲撃の首謀者とみられる少年の名を告げると、パゴニア王国騎士団長トォオーノ・グラヴィティの顔色はみるみる蒼白に変わった。彼は努めて声の震えをおさえながら「その名に、間違いはないか? 少年の背格好は? 年齢はいくつぐらいだ?」と矢継ぎ早に尋ねる。

 トレフル・ブランは、見たまま、感じたままを答えた。

「ハッキリ名乗ったので間違いありません。姿を見たのは短い時間でしたが、肩まで伸ばした銀髪と灰色がかった青色の瞳で、一見するとふつうの村人に見える少年でした。年のころは、だいたい俺と同じくらいかと」

 トレフル・ブランの証言を聞いたトォオーノは、一気に老け込んだ声で「そうか……」と呟き肩を落とした。やがて、彼は一部の部下を連れ慌ただしく去って行った。王宮へ報告するためだ。

 イオディスもひどい顔色で、それでも一部壊れた橋の修復や、予想される次の襲撃地点へ情報伝達など、処理に追われていた。

 ソーカルが、トレフル・ブランたち三人に向けて言った。

「休めるときに休むのも、魔法騎士アーテル・ウォーリアの仕事のひとつだ。特にトレフル・ブラン。お前、自分の顔色の悪さ、自覚してるか?」

 トレフル・ブランは青銅の鏡を手に取り、自分の顔を映してみた。もともと青っぽい光を放つ鏡の中で、見慣れた自分の顔がこちらを見つめていたが、顔色までは判別できない。

 キーチェがそっとトレフル・ブランの片腕をひいた。

「とにかく、いったん小屋に戻りましょう。温かい飲み物を淹れてあげるわ」


 食事を摂ってひと眠りしたが、それほど時間は経っていないようだった。窓の外はまだ暗く、ユーリとキーチェのふたりは、規則正しい寝息を立てて眠っている。

 トレフル・ブランも寝なおそうともそもそと寝返りをうったが、かえって目が冴えてしまい、眠ることを諦めて小屋の外へ出た。一気に寒気が襲ってきたので、白い獣を呼び出す。トレフル・ブランの意をんだらしい獣は、体を大きくして寒波を遮り、ふさふさの毛皮のクッションを提供してくれた。

 地に伏せた獣のあたたかな毛皮に埋もれながら、「俺は、自分で思っていたよりずっと衝撃を受けていたみたいだ」と語るトレフル・ブラン。

「ねぇ、ブランカ。俺、いつのまにこんなに弱くなったんだろう」

 自分で“ブランカ――白”と名付けた獣によりかかり目をつむると、雪の塊に閉じ込められた時のことを思い出す。

 閉じ込められたことが怖かったのではない。雪の外から鳴り響く、人間の狂気、飛びぬけた悪意の波動が肌を打つ感覚が恐ろしかった。

 思い返せば、自分に悪意をぶつける人間と出会ったことは少なかったように思う。たいていの人間が自分に向ける感情は“無関心”であり、そうではなかった先生は、魔法の素晴らしさ、世界の素晴らしさを教えてくれた。先生と出会って以後、自分に悪意を向ける人間は、先生がなんらかの方法で排除していたのではないか、と考えついた。

(そうか。つまり、俺は弱くなったんじゃなくて、最初から強くなんてなかったんだ)

 誰か助けて――そう願うことが、トレフル・ブランの人生で極めて少ない経験であり、それがいっそう恐怖をあおった。

 今までは、自分でどうにかすることが当たり前だったのに。

 ひとりでいることが、当たり前だったのに――。

 トレフル・ブランは激しく首を振った。

(いや、違う。ひとりじゃなかった。前は、先生がいた、フォ・ゴゥルがいた。今は、ユーリやキーチェたちと旅をしている)

 短くはない人生の中で、たくさんの人たちと関わってきた。施設の人々、自分を養子に迎えた家の人々、旅先で出会った人々、魔導士協会を通じて関わった人々……良い出会いばかりではなかった。だとしても、自分はひとりきりではなかったのだ。

 人間は、ひとりきりで生きているのではないと知ること。

 それはトレフル・ブランにとって新鮮な衝撃だった。

 やわらかな毛皮に包まれながら、膝を抱え、宝石箱をばらまいたような星空を見上げる。トレフル・ブランには、それが砕けた自分の心の破片のようにも感じられるのだった。


 足音がした。身を竦ませて銀の万年筆を取り出したトレフル・ブランだったが、ゆったりとブランカが尾を振ったことで、相手が誰だかを知る。

 予想通りの人物、くわえ煙草のソーカルが「よぉ、不良少年。こんな時間に何してんだ?」とうそぶきながら現れた。

 トレフル・ブランは万年筆を懐にしまい込みながら答える。

「こんばんは、不良中年。こんな時間にほっつき歩いてるから、三人も子どもができたんじゃないんですか?」

 ソーカルは嫌そうに顔をしかめた。

「お前、今そういう冗談言う雰囲気じゃなかったろうよ」

 言いながら、「しっし!」と手を振る。

 トレフル・ブランはしぶしぶ位置をずらし、一人分のスペースを空けた。ふかふかの特等席に、「よっこらせ」とソーカルが並んで腰かける。

 しばらくどちらも星空を見上げていたが、最初に口を開いたのはトレフル・ブランだった。

「……俺、冗談言う雰囲気に見えませんでした?」

「そうだな。もうちっと、深刻そうに見えたよ」

 満天の星空の下、紫煙を細くくゆらせながらソーカルが答える。

 トレフル・ブランは、耳飾りの片方を取り外した。材質不明の金属でできた球体を、手のひらで転がしてみる。かつては、先生が身に着けていた品だった。いわく、「完全な球、完全な円には、大いなる力が宿る」。ゆえに、先生から与えられたもうひとつの品、青銅の鏡も美しい円形だ。

「俺、自分で思ってるよりずっと、何にもできない人間なんだなって、考えてました」

 そうか、とソーカルは煙を吐き出した。そして言う。

「俺だって、ひとりじゃ大したことはできないよ。誰だって、ひとりでできることはたかが知れてる。大きな魔法は、大人数で運用するのが基本だろ? 同じだよ、それと」

 トレフル・ブランはしばらく躊躇ちゅうちょしていたが、新しい自分を発見したことによる好奇心がまさったので、ここはひとつ年長者の意見を参考にしてみようと考えた。

「いま、ユーリやキーチェたちといっしょに旅をしているけど、彼らは旅の仲間? それとも、友達?」

 一瞬の沈黙ののち、ソーカルは遠慮なしの大声で笑った。静かな波の音だけが聞こえる雪の世界で、その声はひどく響く。近所から苦情が来やしないかと、ありもしない心配をしてしまった。

 ソーカルは片腕を伸ばすと、トレフル・ブランの髪をくしゃくしゃに掻きまわした。

「お前、器用な魔法使いのくせに、対人関係は不器用だったんだなぁ。その発言、『今まで友達いませんでした』って宣言してるようなもんだぜ」

 トレフル・ブランは体がカッと瞬間的に熱くなるのを感じた。が、ソーカルの言葉を否定することはできなかった。連れでも仲間でも友達でも、表現がなんであれそういうを持つことが人生初めての経験なのだから仕方ない。

(あ。恥ずかしいっていう感情が、こういう感覚なのか)

 今日まで書物でしか知らなかった感情をたくさん体感し、脳みそが沸騰ふっとうしそうだ。

 何がそんなにおかしかったのか、ソーカルはしばらく笑い続けたあと、ポンポンとトレフル・ブランの肩を叩いた。親しみを感じる触れ方だった。

「ま、今から色々体験していけばいいさ。そうすれば、答えは自ずと見つかる」

 トレフル・ブランは小さく頷いた。

 今日一日でこれだけのことを知ったのだ、これから先の長い人生の中には、どれほど心をゆさぶる感情が待っているのだろう。楽しみなような、自分が自分でなくなる不安のような、よくわからない気持ちが胸の底からじわじわと込み上げてくる。

 新しい煙草を取り出したソーカルが言った。

「あれだな。お前の先生は、ずいぶんお前を大事にしていたんだな」

 どうだろう、とトレフル・ブランは首をかしげた。その意見には、すぐには賛成しかねる。

 以前、このパゴニア王国を訪れたとき。このシンセンスディート橋で無理やりバンジージャンプをやらされた記憶がよみがえる。両足に括り付けた紐の先端を、先生が笑いながら握っていて、笑いながら突き落とされた。きっと魔法で強化された紐だったのだろうと思うが、その辺で買ったふつうの紐だったらと考えると、今でも空恐ろしい。でも結局のところ、何かあれば、最後には助けてくれただろう、先生は。

 トレフル・ブランは、もう一度星空を見上げた。

 緑色の帯が広がり始めた。星空をまたぐオーロラだ。この光の帯の下、どこかの大地を、先生も旅しているのだろうか。そして、また出会うことがあれば尋ねてもよいだろうか。「先生は、俺のことが大切ですか?」と。

 そう考えて、さすがに恥ずかしすぎる、と頬を掻いた。

 ソーカルがにやにやしながらこちらを見ているのが腹立たしい。それでいて居心地がいいのだ。何故だろう?

 やがて、ソーカルが静かに立ち上がった。

「そろそろ戻るぞ。ゆっくり眠って、経験を自分の中に落とし込め。そうしたら、明日は、今日よりひとつ大人になった自分に会える」

 ソーカルに続いて歩きながら、トレフル・ブランは言った。

「教官。今夜はずいぶん教育者めいたことを言いますね……ちょっとキモチワルイかな」

 後半は小声だったのだが、波の音しか聞こえないこの橋のふもとでは、丸聞こえだったようだ。

「調子が戻ったようで何よりだが、お前、もうちょっと俺への対応について考えろよ」

 くすっと、自然に小さな笑みがこぼれた。

「考えるくらいは、考えてみてもいいですよ」

 ソーカルは両肩を竦めたが、何も言わずユーリたちの眠る小屋の扉を開けた。


* * * * *


「まだだ。まだ強さが足りない」

 ペルルグランツは、銀色の髪がほつれるのも構わず、雪の上に魔法陣を描き続けていた。その指示通りに、雪だるまの形をした魔導人形ゴーレムたちがせっせと雪を積み上げていく。静かにまたたく星空の下、暗い執念の灯が刻一刻と形を成していった。

 昼間に、計画を外国人よそものに邪魔されたことで、彼はひどく気が立っていた。

「あいつらにも、誰にも邪魔されない、強力なゴーレムを作るんだ。見ていろ、次は騎士団長に正義の鉄槌を食らわせてやる…!」

 林に響き渡る哄笑を聞くものは誰もいなかった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る