episode 5. 王国をつなぐ橋

 キーチェ・アウロパディシーという少女は、トレフル・ブランと同い年の十六歳。きちんと結い上げられたややくせのある輝く金髪、赤みを帯びた金の瞳、きりりと結ばれた薄い唇が印象的な、華奢な少女だ。

 彼女は大財閥として有名なアウロパディシー家の非嫡出子であり、そのため、先代当主が亡くなると、その立場は非常に危ういものとなった。親族にうとまれた結果、見習い魔導士試験を受験するための推薦状を書くことを条件に、アウロパディシー家から絶縁された。ゆえに現在、一時的にではあるが、ソーカル・ディーブリッジが後見役を務めている。

 呪術(魔法のコントロール)に優れ、水の操術士としての才能にめぐまれた彼女は、シンセンスディート橋のある島嶼とうしょ群に到着すると、海水を使って『水の屈折結界』を作ってくれた。光の屈折をコントロールし、遠方から拡大スコープで監視を受けても見つかりにくくする、魔法の保護色だ。

「ほう、こりゃ便利だ」

 ソーカルに言われ、キーチェは誇らしげに微笑んだ。

「とはいえ、お前ら橋の上には立つなよ。橋を壊された時、足場を失うからな」

 ソーカルの風の魔法があれば空を飛ぶこともできるが、三人はそれほど風の操術が得意ではなかった。地に足をつけて戦うほうが無難である。

 近衛兵と話していたユーリが戻ってきた。

「拠点は、あそこ……本来は船の往来を監視するための小屋だそうですが、あれを使っていいとのことです。食料もわけてもらいました。それと、騎士団長がおみえです。教官、お願いします」

 その言葉の背後から現れたのは、筋骨たくましい、灰色の髪とひげをたくわえた巨漢だった。平均より背の高いソーカルより、まだ背が高い。落ち着いた光をたたえる目元が、沈毅な性格を思わせる。彼は不器用に笑顔を浮かべて、大きく厚い右手を差し出した。ソーカルがそれを受け、握手を交わす。

「挨拶が遅れて申し訳ない。パゴニア王国騎士団長トォオーノ・グラヴィティだ。ようやく、陛下のおそばを離れて戦場に出る許可をいただけてな。ご覧の通り、王宮のやわらかなソファーより、戦場のゴツゴツした岩のほうが似合う無骨者です」

 分厚い唇から流れ出る言葉は、意外にも流暢りゅうちょうだ。礼儀として、ソーカルも冗談で返した。

「ご丁寧にどうも。俺も、本来は一匹狼の風来坊なんですが、見ての通り、今は子持ちでしてね。上司命令に逆らえず、柄にもない、見習い連中の教官なんぞやっとるわけです」

 お互い大変ですなと、ふたりの間にはなにか通じるものがあったようだ。

 トォオーノの視線が、ソーカルから順に四人をめぐる。彼はまた不器用な笑顔を見せ、「しっかり頼むぞ、貴公ら」と、やや堅苦しい挨拶を残して去って行った。

 ユーリがうらやましそうにその後ろ姿を見送っていた。

「いいな、すごいな。俺の筋肉はまだまだ足りていない。筋トレ頑張ろう」

 トレフル・ブランはげんなりした。

(ユーリの目指してるところはアレなのか……)

 そういえば、暑苦しい彼の趣味は、「ご当地名物食べ歩き」のほかに、もうひとつ「実用的筋トレ」というものがあった。実戦で使える、見た目ではない本質的な筋肉を鍛えるのが目標だそうだ。トレフル・ブランにとってはさっぱり興味のない筋トレ方法を、一晩熱く語られたことがある。二度と、筋肉の話題は振るまいと決めていた。


 使用を許可された小屋はこじんまりとして埃っぽい雰囲気だったが、キーチェは魔力と人力の両方であっという間に居心地のよい空間をととのえた。

 傷んでいる木材を補修して壁のすき間をふさいで落ち着いた色合いに塗りなおし、崩れたレンガを規則正しく積み上げた後、室内の適切な位置に道具を配置する。その間、ユーリは騎士団から分けてもらった薪を使って、暖炉に火を起こしていた。

「ねぇ、トレフル・ブラン。あなたの手持ちの中に、テーブルになりそうなものはない?」

 小屋の中にはいくつか古い椅子があり、それらはキーチェが修復したのだが、机らしきものがなかった。

 少し考えたトレフル・ブランは、第二のポケットセカンドポッケから大きな影を引っ張り出した。

 ドシン!

 重々しい音を響かせて小屋の南半分をほぼ占領したのは、直径が大人が三人でやっと一抱えできそうな大きさの切り株だった。もちろん、断面はきれいに研磨してある。美しい木目を存分に楽しめるように。

「……あなた、こんなものまで持ち歩いてたの?」

 第二のポケットセカンドポッケに入れてしまえばかさばらないし、重量も加算されない。とても便利なこの魔導具、旅人ならだれでもいくつかは持っているが、トレフル・ブランは、外套の裏にびっしりこの巾着を縫い付けていた。気に入ったものをなんでもそこに収集するのが、彼の趣味だった。

「樹齢二百年を超える大木だよ。立派でしょ?」

 いとおし気に年輪を撫でるトレフル・ブランを、ほかの三人はやや気色悪そうに眺めていた。

「ま、まぁテーブルとしての用途には使えるし、よしとしましょう」

 キーチェは最後に、魔法の水瓶を配置した。これに保管されている水は腐ることがない。意匠も見事なもので、おそらくはアウロパディシー家から持ち出した品だろう。

 ユーリが支給された水を入れようとしたのを遮り、トレフル・ブランは魔法で海水をみあげると、水瓶に注いだ。文句を言おうとしたキーチェも制し、そこに一石を投じる。

 透明にきらめくそれは、昨晩作った『濾過ろか結晶』、トレフル・ブランが出された課題の製作物であった。名前の通り、海水や泥水などを濾過し、真水にする効果を持つ。むろん、凝り性のトレフル・ブランの魔法はそこでは終わらない。もうひとつ、これも昨晩作っておいた『毒消しの粉(水)』も一緒に入れて、それらの効果を魔法で融合させる。

「これで、煮沸しゃふつ消毒しなくてもそのまま飲めるよ」

「お前、魔法騎士アーテル・ウォーリア向きだよ」

 ソーカルが、呆れたように苦笑する横で、青ざめているのはユーリだ。

「あれ? ひょっとしなくても、試験の課題ヤバいの、俺だけ……?」

 キーチェの独自課題は『光の結晶』(ただし、12時間以上持続して一定以上の光を発するもの)で、彼女はとっくにこれを作り終えていた。トレフル・ブランの『濾過結晶』も完成したのなら、残る課題はユーリの『嘔吐おうと薬』だけということになる。

 トレフル・ブランは笑顔でソーカルに柄杓ひしゃくを差し出した。

「まぁ、まだちゃんとできているかは分からないよ。教官、確認お願いします」

「お前な……まぁいい、見てやろうじゃないか」

 ソーカルは、先に黄色い粉末を飲み込んだ。おそらく毒消しのたぐいだろう。それから柄杓の水をじっと覗き込み(今度は『分析魔法アナリティクス』を使っていると思われる)、ぐいと一気にあおった。

 いくばくかの時間をおいて、「合格だ」とお墨付きをもらった。

「大したもんだ。濾過はまぁいいとして、生水の毒消しはけっこう難しいんだぞ」

「ありがとうございます。教官が体を張ってくれたから、自信を持って提出できます」

「……無理やり体を張らせたんだろうが。おい、ユーリ。しおれてないで、お前も平和な間に、課題やっちまえよ」

 ユーリは「はい……」と消沈した声で答えた。


 ひとまず、これで一通り泊まり込みの基地ベースが出来上がったので、交代で見張りをしつつ、任務にあたる。

 まずは、ソーカルが見張りに出た。三人はそれぞれふたりずつで当番をこなすよう言われたので、残ったひとりが休息と食事の支度など基地ベース管理を担い、ソーカルが当番のときだけ課題に取り組むことに決めた。

 今は、ユーリの課題の真っ最中である。

「うぅ……嘔吐薬なんて、思いっきり草を使わないとできないやつじゃないか。俺もなにかの結晶が良かったな」

 ユーリはぼやきつつ「新薬草学分類図鑑」をめくっている。めくっているだけで、読んではいないようだ。

 トレフル・ブランは退屈を持て余しながらその様子を見ていた。

(作り方、載ってるんだけどなぁ)

 ページを読み飛ばしているせいでユーリが気づかないものだから、話が先に進まないのだ。

 嘔吐薬は、異物・毒物を飲み込んだ時、それを素早く吐き出させるための応急処置の薬である。ユーリの苦手な薬草の調合が必要だが(おそらく、苦手だと分かっているからこの課題が割り当てられた)、必要な薬草は三種類だけで、調合自体は難しい作業ではない。正しい原料を選び、乾燥させ、正しい配合で調合すれば完成する、比較的やさしい課題であるといえる。

 唸っているユーリに聞こえないよう、トレフル・ブランはキーチェに話しかけた。

「ねぇ。どの程度までならヒント出してもいいと思う?」

 キーチェは厳めしい顔を作り、

「全部自分で!」

と言ったが、すぐ破顔した。

「助け合うことも、研修の目的のひとつですものね。きちんと教官の許可を得て、不要なものも含めて十種類ぐらいの薬草を並べてあげるっていうのはどうかしら? 今は任務の途中だし、原材料を買いに行く余裕がないんですもの」

 ソーカルも了承したので、トレフル・ブランはキーチェの提案に乗った。第二のポケットセカンドポッケから、今度は薬草・植物の種を乾燥させたものを取り出し、ユーリの前に並べる。

 ユーリは絶望的な表情で、「この葉っぱと実はなにかな?」とトレフル・ブランを見上げてくる。

「この中の三種類が、嘔吐薬に必要な原材料です。すでに乾燥させてあるから、すぐにすりつぶして調合できる。正しいものさえ選べば、三日間もあれば完成するよ」

「そーかそーなのかあああぁ! それで、トレフル・ブラン! 正しい材料はどれなんだ!?」

 ユーリが両肩を揺さぶってきたので、トレフル・ブランは、そのすねを蹴っ飛ばした。

「イタイ」

「教えるわけないでしょ。あとは自力で頑張ってね」

 と言いながら、銀の万年筆を取り出し、こっそりとユーリの「新薬草学分類図鑑」に折り目をつけておいた。調合方法の載ったページである。

 キーチェは気づいていたようで、あとから「あなたって、意外とおせっかいよね」と耳打ちされた。

 褒められたのかどうなのか、判断に迷うところだ。トレフル・ブランは、頬を掻いてごまかした。


* * * * *


 弧を描いて、冬の海に浮かぶ島々を縫うように走る石橋。そのたもとに、煙草をふかしつつ佇むソーカルの姿を見つけた。『水の屈折結界』がきちんと作用しているため、トレフル・ブランは彼を見つけるために、『温度検知魔法』を使わねばならなかった。

 ゆっくり歩いて近寄る。むろん、トレフル・ブラン自身も『水の屈折結界』をまとっていたが、足音と気配で自分だと認識されるだろう。

「教官、少し話があるんですけど」

 ソーカルはトレフル・ブランを一瞥いちべつしたが、すぐに視線を前方に戻し「なんとなく、嫌だ」と子どもっぽく言った。

 トレフル・ブランは携帯食料を渡すと、「話っていうのは……」と、ソーカルの発言を無視して話を進めた。想定の範囲内だったのか、文句を言わずソーカルは耳を傾けている。

魔導人形ゴーレムたちのことですが、ひとりで作っているにしては数が多すぎると思いませんか?」

 ヴェイネス村を襲った魔導人形ゴーレムは、ざっと三十体ほど。それより以前に襲撃された村ではもっと数が少なかったというし、本日襲撃を受けた町では五十体を超えていたという証言も出ている。つまり、数が増えていると推測できる。

「組織的な犯罪だって言いたいのか?」

 ソーカルの問いに、トレフル・ブランは耳飾りをもてあそびながら「表現が難しいんですが……」と前置きをして話し始めた。

「雪だるまの、見た目だけ想像してください。素朴で、本当にそのへんの子どもが作ったものと変わりないでしょ? それって、そういう姿かたちに思い入れがあるから、その見た目になったんじゃないかと思うんです」

 魔導人形ゴーレムは土や岩で作るのが一般的だが、それ以外の材料もむろん使用可能だ。たとえば、森林で育ったトレフル・ブランが製作するなら、植物を使った「植物人間」に近い見た目の魔導人形ゴーレムが出来上がりそうな気がする。

「単に雪でゴーレムを製作するのだとしても、ふつうならもうちょっと怖そうな見た目にしますよ。あのちょっと不格好な雪だるまを作っているのは、少なくともひとり、だと思います。ただ、映像見てて、ちょっと気になるものがあって」

 話しながらふたりは移動し、橋桁はしげたの陰で最新の映像を再生した。

 ある場面で「止めて」とトレフル・ブランが合図した。そして、静止した画像の中でそれを示す。

「まず、これ。俺たちが見た、ボタンのついてる雪だるま。こいつが司令塔の役割を果たしているんでしょう。たぶんボタンで、製作者の指示を受け取って、ほかの雪だるまに命令を伝達してるんだと思います」

「確かにな。単純な命令なら長時間動かせる雑魚ゴーレムでも、数が増えればコントロールは難しくなる。ある程度複雑な命令をこなせる個体を作っておいて、他のを操作させている可能性はあるな」

 ソーカルは答え、「それで?」と続きを促す。

 トレフル・ブランはかすかに笑った。

「これだけの数、動かすの面倒くさいじゃないですか。で、思ったんですよ。これだけの数、作るのも面倒くさいなって」

 ソーカルが肩眉を跳ね上げた。

「まさか、ゴーレムにゴーレムを作らせてるって言うのか?」

 トレフル・ブランは「自信があるわけじゃないけど」と言いつつ頷いた。

「俺ならそうします。一般兵……ボタンのないふつーの雪だるまだけなら、ゴーレムに作らせることも可能だと思うんですよね。すっごい職人気質で、ひとつずつ自分の手で作らなきゃ気が済まない、っていうならともかく、そのほうが効率的でしょ。襲う場所も増えてる、そのたびにゴーレムの数も増えてる。実際、コツコツ作ってる時間とかないと思うんですよ……もっかい再生してもらっていいですか」

 次に再生を停止した場面には、手袋をつけた魔導人形ゴーレム映っていた。

「こいつは、破壊活動に参加していない。そして、特別なアイテムを身に着けている」

「手袋……これが呪具になってるってことだな」

「こいつだけか、他に何体かいるのかは分からないけど、とりあえずゴーレムだと思うんですよね」

「なるほどな」

 ソーカルは「よく気付いた」と、トレフル・ブランの肩に手を置いた。

「襲撃があったら、お前たち三人はこのとりあえずゴーレムを見つけ出して捕縛しろ。それと、ボタンをつけた司令塔の役割を果たしていると思われるタイプ。これも、一体捕縛しておけ」

「分かりました」

 トレフル・ブランは呪具をしまい、「ところで教官、ちょっと話があるんですが」と言いながら第二のポケットセカンドポッケをまさぐった。

「げ。ちょっと待て、今度こそ本気で聞きたくないヤツのような気がする」

「まぁそう言わず。エサをあげるのも、飼い主の責任です」

 トレフル・ブランが引っ張り出したのは、例の白い獣――の変化した姿だった。ソーカル用に作り出したもので、黒い革の首輪、黒い瞳をしている。最も変化した部分は、体毛の色。もとは真っ白だったものが、今や黒色になっている。大きさもトレフル・ブラン程度しかなく、まるで本物の野生のオオカミのようだ。

 キーチェに頼んでこれの分も『水の屈折結界』を作ってもらっていたので、さっそくかぶせて背景と同化させる。そして、ソーカルの手に干し肉を握らせた。

「さぁ、ごはんの時間です。あと、名前決めてくださいね」

「おい、これ、例のアレか? 何がどうしてこうなった? 色からして違うじゃねぇか!」

 慌てるソーカルに、トレフル・ブランは先ほど小屋の中で起こった出来事を順を追って説明した。


 亜生物というものは生物の性質を持っている、つまり生きているのだから食べ物を与えなくてはならない。

 トレフル・ブランは、第二のポケットセカンドポッケから四体の獣たちを取り出した。そして、驚いた。自分の三倍はありそうだった身の丈が、せいぜい自分たちと同じくらいの大きさに縮んでいるではないか。

「え、ごめん。食べ物あげなかったから小さくなったの?」

 心なしか恨みがましい目つきで見られているような……トレフル・ブランが戸惑っていると、うちの一体、緑色の目と首輪をした個体が、小さく吠えた。すると、みるみる体が盛り上がり、トレフル・ブランが最初に見た巨大なオオカミのような白い獣の姿となった。

「まぁ! 大きさを自在に変えられるのね」

「みたいだね……キーチェ、これ、キーチェの子にあげて」

 そう言って干し肉を手渡す。「青色の首輪の子ね」と、キーチェがその個体に干し肉をやると、待ってましたとばかりに飛びつく。ほかの三体もそわそわと尻尾を振った。

「なんだか、普通の犬? オオカミ? と変わらないね。俺もやりたいな」

 ユーリもやってきて、赤い首輪の個体に干し肉を与えた。トレフル・ブランは、緑色の首輪の個体に、同様に餌をやった。黒い首輪の個体は、悲しげにその様子を見ていた――そう、瞳の色と連動させたカラーで、それぞれ首輪を与えている。そしてそれこそが、トレフル・ブランが獣たちを操るための呪具なのである。

 彼らはトレフル・ブランが先生の力を借りて生み出した、立派な聖獣イノケンス・フェラたちだった。魔導士たち、特に召喚を得意とする魔導士たちにとって垂涎の的になるほど貴重な存在である。生み出した以上、きちんと育ててやらねばならない。

 トレフル・ブランひとりでそれを行うのは大変だったし、教育が行き届かないことも考えられた。生まれたばかりの聖獣イノケンス・フェラ、特に個性を付与された上位種は、外部の影響を受けやすい。

(ちゃんと世話してやらなきゃ。あぁ、なんか面倒見るものがどんどん増えてきたな――先生のところにいたころは、俺自身の面倒だけ見ていればよかったのに)

 ぼんやりと、トレフル・ブランが物思いにふけっていると、やわらかな毛皮が手の甲に触れた。緑の首輪の個体が、身をすり寄せて、新しい餌をねだっていた。

 キーチェはおそるおそる毛皮をなでながら餌をやっていた。獣は、満足げなそぶりで、キーチェの白い手に身を預けている。

 ユーリと赤い首輪の個体は、食事だか遊びだか分からないにぎやかなコミュニケーションを取っていた。ユーリがゆったり背中をさすってやると、獣は楽し気に小さく吠える。

 そして相変わらず、黒い首輪の個体は悲しげにそれらを眺めていて、それでも唸り声をあげたりはしない。

(本当に、それぞれ個性がある。ひとつひとつ、違う生き物、異なる個別の生命いのち――)

 その思いが芽生えたとき、トレフル・ブランは立ち上がり、銀の万年筆を構えた。

「みんな――聖獣イノケンス・フェラのみんな。俺たちは、君たちといっしょに白き闇と戦いたい。君たちを、対等なパートナーとして扱いたい。今は使った“核”のほかに見た目の個性がない状態だから、自分の意志で、個性を選んで。答えは、君たちの中にある!」

 そう宣言し、床に魔法陣を描く。魔法陣の中には安定を象徴する五芒星も組み込まれており、その頂点に五本の銀の短剣を刺し、陣を完成させた。完成の証、淡い光が小屋の中を包む。

 キーチェが、そっとランタンの灯を落とした。小さな世界は、トレフル・ブランが描いた魔法陣の光と、聖獣イノケンス・フェラたちの魔力で満たされた。

 一体の獣が歩み出て、魔法陣の中心で立ち止まった。

 黒い瞳と首輪、ソーカルをイメージして生み出した個体である。

「君のパートナーは、ソーカル・ディーブリッジ。世に名の知れた魔法騎士アーテル・ウォーリアだ。彼とともにある、自分の理想の姿を想像して、この陣の中で、魔力を解き放て!」

 獣は身震いした。と同時に、魔法陣の中にみるみる魔力が充満していくのを感じる。

 トレフル・ブランは、空中に魔法陣と獣の魔力を融合させる術式を展開した。魔法陣と獣が一体となり、強い光芒を放つ。とても目を開けていられず、全員が腕で顔を覆った。

 光がしずまったころ、トレフル・ブランたちはそろりそろりと目を開いた。

 そこには、一匹のオオカミとも野犬ともつかぬ生き物が座っていた。黒に近い褐色の毛皮と痩せた体、そして黒い首輪。あの獣が選んだのが、この姿だったのだ。おそらくは魔法騎士アーテル・ウォーリアの連れとして目立つことのない、この姿を。

 トレフル・ブランはそっと歩み寄り、その耳の後ろを少しだけ撫でた。獣は、軽く尾を振って応えた。

 新しい魔法陣を描くと、今度は赤い首輪の個体がそこに収まった。魔力を融合させた姿は、明るい褐色の豊かな毛皮、特に首の周りに立派なたてがみをまとっていた。大柄で、どこか陽気さを感じさせる表情の獣は、真っすぐユーリの腕の中に飛び込んで、その顔をなめまくった。

 その次の魔法陣には、青い首輪の個体が入った。光が鎮まったあとに優雅に座っていたのは、木漏れ日をまとったような薄い金色の毛皮を持つ美しい獣だった。歓声をあげて駆け寄るキーチェの前で、ひらりひらりと、見せびらかすようにしなやかに、豊かな毛皮の尾を振った。

 最後は、トレフル・ブランが自分のパートナーとしてイメージした、緑色の首輪の個体だ。その獣は、真っ白な毛皮のまま、特に見た目うえでの変化はない……そう思ったら、尾が二股に分かれていた。白い獣はトレフル・ブランに歩み寄ると、宝石のような緑の瞳で彼を見上げ、そっと体をすり寄せて来た。

 その背を軽く撫でてやりながら、トレフル・ブランは少し昔のことを思い出していた。

(フォ・ゴゥルも、こんな風にふさふさした毛皮だったなぁ)

 フォ・ゴゥルというのは、先生が連れていた知性ある獣の名前だ。おそらくは、あれも聖獣イノケンス・フェラだったのだろう。常識人とは言い難い先生に代わってトレフル・ブランの実質の教育係を務めたのは、七つの尾を持つこのフォ・ゴゥルだった。彼(彼女)とも、もう長いこと会っていない。

 世の中に、白き闇の眷属はあふれている。その中からトレフル・ブランは無意識のうちに、幸福な思い出を求めて、草原を駆ける四足歩行の獣を聖獣イノケンス・フェラに選んだのかもしれなかった。


「そんなわけで、こいつは教官のために変化した、教官のパートナーです。ちゃんと餌をやって、名前をつけて、世話をしてやってください」

「実際に接するのは初めてだが、不思議なもんだな、聖獣イノケンス・フェラてのは。ほらよ、食うか?」

 ソーカルは若干戸惑いつつも、干し肉を差し出した。黒い獣は、ゆったりと尾を振りながらそれを受け取る。食べ終わると、静かな視線で次のものをねだった。

 トレフル・ブランは、そっとその背を撫でながら微笑した。

「ちょっと悔しい気もするけど、たぶん、こいつはアタリですよ。四匹の中で、一番おとなしくて、なんていうか大人っぽい性格です」

 ソーカルは銜え煙草のまま、ニヤリと意地悪そうに笑った。

「そりゃ、俺の日ごろの行いの賜物なんじゃねぇか?」

「偶然でしょ」

 トレフル・ブランは取り合わず、「じゃ、特別なゴーレムの件は、ふたりにも伝えますんで」と言って、小屋に戻って行った。

 夕日の沈んだ橋の袂、ひとりと一匹の影が、夜の闇に溶け込むように並んでいた。

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