episode 3. 雪に閉ざされた港町
魔法のすべてをここで語ることはできないが、魔法体系には四つの種別があり、うちひとつが四元素――いわゆる地火風水に類するもので、他方に光陰という考え方が存在する。この言葉は、「光と闇」および「時間」を意味する。前者よりも後者のほうが格段に術式の難易度はあがり、理論上でしか存在しない魔法も多い。俗に言う「
白い闇の
これらを討伐するために組織されたのが魔導士協会の平和維持局であり、二~三名の少数チームから、三十名程度の団体まで、班として編成された
今回現れた
トレフル・ブランたちが案内された村は、王都からはかなり距離が離れていたが、近くにあるそれなりに大きな町までは、
「どうぞ、こちらへ。ここからは馬車でご案内いたしますわ」
イオディスに導かれ、四人は緑色に金銀の装飾が施された馬車の横まで歩いた。
じっとその馬車を観察するトレフル・ブラン。
二頭立て、通常より体も大きく毛足の長い、品種改良されたであろう馬は、ふつうの生き物のようだ。車体は木製のようだが要所に金物の装飾があり、王家の紋章が刻まれている。トレフル・ブランは、『
この馬車には、御者の視界の確保を助ける、衝撃に耐える、内部の温度を調節する、車輪が雪に埋まらないようにする、など走行の安全性と快適性を守る魔法がかけられているようだった。
トレフル・ブランの様子を見ていたキーチェが、横にやってきた。厚底のブーツにでも着替えたのか、いつもより少し視線が近い。
「あなた、見るものすべてホルスを通して、面白い?」
キーチェは、イオディスのほうを気にしていた。なるほど、あまり念入りに調査していると、魔導士協会の
「足を止めて悪いね。新しい魔法を見ると、とりあえず詳しく調べてみたくなるのが、悪いくせなんだ」
トレフル・ブランは、ソーカルと話しているイオディスにも聞こえるよう言った。
内容については、完全に真実だ。トレフル・ブランは、世界中の魔法を見て回りたくて
キーチェにつつかれるようにしてトレフル・ブランは馬車に乗り込み、それを追うようにキーチェ、ユーリも乗り込んだ。話し込んでいたソーカルとイオディスも後に続き、馬車は目的地へ向かって走り出した。
* * * * *
暖かい馬車の中から見る荒野は、より
トレフル・ブランは頬杖をついて流れゆく灰白色の景色をぼんやり眺めていたが、ユーリがもそもそ居心地悪そうにしているのに気付くと、球体の耳飾りをひとつ外して、彼に握らせた。
「……? あ、涼しくなったよ、ありがとう!」
この耳飾りも、トレフル・ブランの呪具のひとつである。これを通じて、ユーリに渡した魔法の効果をコントロールしてやったのだった。
この町に来る前、宿泊施設の部屋で、
ソーカルは別の意味で冷ややかな視線を向けていた。
「お前、俺にはそういう親切してやろうって気にならねぇんだな」
「思い出してやってあげようとしたら、教官、もう準備終わってたんで」
「俺は忘れられてたのかよ!」
ユーリとキーチェは笑った。イオディスは、無表情を装いながらやや驚いているようだ。
そんなやり取りを三十分ほど続けたころ。馬車の速度が緩くなった。
「もうすぐですわ。みなさん、お支度を」
全員が頷き、それぞれすぐに臨戦態勢に入れるよう、武器を手に取った。
ソーカルは長剣。わりとシンプルなデザインだが、これも立派な呪具である。
キーチェは白金の錫杖、ユーリは合金の
「イオディスさん、あんたは?」
ソーカルが尋ねた。
「わたくし、実は戦闘はあまり。こちらで援護させていただきます」
彼女が握っているのは、黒く短い杖だった。装飾も控えめで、いわゆる“魔女の杖”に近しい雰囲気を持つ呪具である。「そりゃ構わないけどよ、あんた、近衛兵って言ってなかったか?」という重ねての問いに対する、イオディスの返答は。
「正確には、近衛兵団所属の事務員ですわ」
ちょうど馬車が停車したので、ソーカルは何も言わず、御者が開けてくれた扉から馬車を降りた。
まず、粉雪が視界を
まだ昼下がりだというのに太陽はほとんど見えず、風雨にさらされたゴツゴツとした岩に真っ白な雪がこんもりと積もっている。低木と
イオディスが白い息を吐きながら言った。
「ここヴェイネスは漁村です。住民が三百人余りの小さな町……たとえば強盗目的でこの町を襲ったとしても、わずかな利益しか得られないでしょう。こちらへどうぞ、襲撃者は村の北東から侵入しました」
五人は村を北上した。もともと豊かには見えない建物が、哀れにも破壊されていた。厩舎に動物の姿はなく、凍った血の跡が見受けられる。村人と出会うことはなく、すれ違うのは警備兵か、復興支援の関係者だ。
「それは、襲撃から何時間も経っていないんですから、当然のことでしょう」
キーチェは言い、なにやら魔法を使ってあたりの痕跡をつぶさに観察しているようだった。
ユーリのほうは、風雨よけの風の障壁のコントロールがうまくいかないらしく、ときどき彼の周辺だけ小さな雪の竜巻が発生したように風がうずまき、ゴウゴウと唸る。
ソーカルが銀のライターに火をつけると、ユーリの障壁は一瞬にして散った。彼はユーリの頭を殴り「いま、住民たちは雪の動きに敏感になってるとこだから、気を付けろ!」と叱って、一本のマッチを手渡した。「火を消さなければ、適度な状態の風の障壁を保ってくれる。これなら使えるだろ」というアイテムだそうだ。なるほど、ユーリは魔法のコントロール――これを魔導士協会はこれを
フラームベルテスク家は、創世の新歴史にもその名を残す由緒ある家柄で、その家系は火の元素と強い結びつきを持っている。
逆にキーチェのほうは、水の元素と相性の良い魔導士でありながら、他の三元素の操呪も難なくこなす。彼女は呆れたように「あなた、相変わらずやることが大雑把ね」と言って、ユーリを恐縮させていた。
トレフル・ブランは、『探知の魔法』と『時間の再生魔法』を使い分けて、当時、起こったことを探っていた。ホルスのほうは、捜査の基本なのでおそらくソーカルがやっているだろうし、事前に調査を行った王国関係者から聞き取りを行っても良い。まずは自分の目で、何が起こったのかを確かめたかった。
(これは……イオディスの言うとおり。政府の作った宣伝映像に、誇張はひとつもないな)
むしろ、大怪我をして動けなくなった人や亡くなった人をフレームアウトし、住人の識別ができないよう顔を見えなくするといった処理をほどこしただけの、ほとんどリアルな映像を既定の時間に編集して製作した宣伝映像のようだ。
襲撃時間は長くなく、おそらく三十分未満だろう。その間にこれほどの人的・物的被害を出したのだ。悪意と破壊力は相当なものと推測された。
* * * * *
一行は、襲撃者が侵入したという村の北東部までやって来ていた。雪原かと思われたものは、雪との境目が曖昧な海だった。波が不規則にゆらゆらと押し寄せ、白っぽい飛沫を立てる。その飛沫さえ凍りつきそうな小さな港の外側に、雄大な暗青色の海が水平線を描いて広がっているのだった。
その時。めずらしく気弱なキーチェの声が響いた。
「ねぇ……あれ、雪だるまが立ってるみたいなんだけど。本物、かしら……?」
キーチェは『
と同時にそれは、お世辞にも華麗にとは言えない様子で体を反転させ、その場を逃げ出そうとした。
「ド阿呆! ホンモンなわきゃねーだろ、追うぞ! 用心してついてこい」
風をまとったソーカルが、もの凄いスピードで海岸線を突っ切って飛ぶ。彼は呪具である外套と巻き起こした風を操ることで、自在に飛ぶことができるのだ。
トレフルは、急いで
「コントロールは俺がやる。
そうして、三匹の白い獣は、ソーカルの後を追って走り出した。もともと草原地帯を走り回っていた、犬の姿かたちを借りた眷属から作った獣である。かなりのスピードで雪原を駆け抜ける。
(あ、イオディス置き去りにしちゃった。まぁ仕方ないか)
今さら戻ることはできないし、前方でソーカルが衝撃波を放ったのが見えた。
それは波打ち際に着弾し、バシャーンと大きな水飛沫をあげる。雪だるま、いや、
「大きい…!?」
ユーリが呟いた。
映像で見たものよりも、それは巨大だった。成人男性くらいの背とその倍ほどの横幅がある。両手だけでなく、太めの枝を使って両足まで作られていた。見た目はアンバランスだが、放つ雰囲気は不気味そのものである。
「
トレフル・ブランは、魔法を通してそれを見た。やはり、イオディスの映像と、先ほど村で集めた“村の記憶”から組み立てたは推測は正しかった。
ソーカルは剣を振り、第二撃を放った。正面から放った一撃だったが、なんと、受け止められた。枯れ枝と落ち葉の盾によって。
「……? 魔法じゃなく、呪具ではじくのか?」
「
これはトレフル・ブラン自身が術式を成立させたもので、耐衝撃・耐火炎魔法などの「耐性」を引き
雪に書いた文字に指向性を付けておいたため、魔法は一直線に
「ユーリ、燃やせ!」
ソーカルの指示で、ユーリは楽しそうにに銃を構えた。なんだかんだで、彼は派手な魔法が好きなのである。
「
銃口から放たれたそれは、三発のうち二発が対象に着弾、
ソーカルがそれを拾い上げる。
「ボタン、だな……」
洋服についているアレである。トレフル・ブランは、ホルスを使った。魔法の痕跡が色濃く残っている。ソーカルと目が合うと、彼も静かに頷いた。
遠くに雪煙があがっているのを見て、ソーカル一行は臨戦態勢に入った。
イオディスが、警備兵を率いてやってきたのだ。彼らは二人一組で、雪上用バイクにまたがって到着した。ほかの三名は、近くの大きな町から派遣された警備兵だという。燃え残った、正確には燃やすことができなかったボタンを、ソーカルはイオディスに手渡した。
「これは……呪具ですね。白き闇の眷属が呪具を使うと?」
イオディスが思案げな表情でボタンに触れている。「違うな」とソーカルが言った。
「眷属が呪具を使うなんて、聞いたことがねぇ。
驚いて息を呑むイオディス。
「
一般的に、
ソーカルは言った。
「どういう方法でかは分からんが、大量生産したゴーレムに『破壊』や『
ソーカルの視線を受けて、トレフル・ブランが引き継いだ。
「眷属の耐性は、無効化することは出来ても引っぺがすことはできない。それができるのは、後付けで魔法を施されたものだけだ」
キーチェも言葉を重ねる。
「村を見て回ったとき、感じました。光の魔法の気配はありませんでしたわ」
どうやら、キーチェは使われた魔法の種類を探っていたようだ。その中で、光の魔法が使われた痕跡のないことに気付たのだろう。
イオディスが戸惑ったように、「では、白き闇の眷属ではないというのは、事実なのですね……」と呟く。
「可能性大、ってとこだな。王都に、大きな魔導士組織があるだろう。そこへ送って分析してもらえ。ハッキリ結果がでるはずだ」
「分かりました。すぐに手配いたしますわ」
イオディスは兵に命じて、一組を
「では、この後はどうされますか? あれは単体だけでしたし、あなたがたの報告では様子をうかがっていただけのようですから、宿舎へお帰りいただいても良いかと思うのですが」
イオディスの提案に、ソーカルは少し考えて了承した。
「そうだな。宿舎に帰らせてもらって、今後のことを検討したい。
「えぇ、そちらも手配いたしますわ。では、いったん村へ戻りましょう」
イオディスは、雪上用バイクの後部にまたがった。
トレフル・ブランたちは、それぞれここに
こらえきれず、トレフル・ブランはかすかに笑った。
「大丈夫、教官の分もあるよ。言ったでしょ、いい道具貸してあげますって」
トレフル・ブランは
それにしても、とトレフル・ブランは思う。
(この吹雪の中、キーチェの髪型がぜんぜん乱れないのは……)
どんな素晴らしい魔法を使っているのだろうと、ホルスを使おうとしたトレフル・ブランの頭上から、ぼたぼたと雪のかたまりが降ってきた。
キーチェが白金の錫杖を振っている。
「女の子の秘密は、
トレフル・ブランは少しがっかりしたが、おとなしく魔法の探求を諦め、白い獣を操ることに専念した。
そのおかげか、一行は無事ヴェイネス村に戻り、さらに中継地点から王都へと帰り着いたのだった。
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