episode 2. 雪の大国、パゴニア王国

 一般人が指すところの「移動用の魔法陣」というものは、大きく分けて2種類ある。物質(非生命体)を移動させるための転送用魔法陣トランジスタと、人間などの生命体を移動させるための移動用魔法陣テレポーターである。ソーカル・ディーブリッジ率いる一行は、むろん後者を使ってパゴニア王国に降り立った。

「さ、寒い! 寒い、寒い……」

 重い雲が垂れ込める灰色の町の中、とことん暑苦しい性格だが寒さは苦手なユーリが、大きな体を縮こませて繰り返す。キーチェも同様に寒いらしく「よしなさいよ。余計寒くなるでしょ!」と叱りつけていた。ユーリが意図しない限り寒いと呟いたぐらいで気温が下がるはずはないが(加えて、広範囲に影響を及ぼす魔法はかなり高度な術式が必要)、まぁ聞いていて暖まるものでもないし、黙ってもらうのが賢明だろう。

 トレフル・ブランは無言だった。吐き出した吐息が、白いきらめきとなって吹き散らされていく。喋ると肺の中に冷気が入り込むため、余計な会話で体力を消耗するつもりはない。

 ソーカルは、本格的な準備はこちらへ来てからと言っていたが、やはり事前に眷属狩りを行い、純白の毛皮を手に入れていたのは賢明な判断だったと自画自賛する。

 眷属というのは魔王の魔力によってこの世に顕現したであり、生命体ではないため解体の処理も必要なく、知識さえあれば適切な魔法で素材に分解することはそう難しいことではなかった。そしてその知識を蓄えている専門家が「魔法騎士アーテル・ウォーリア」、白き闇を祓うことを生業とする魔導士である。トレフル・ブランたち三人はその見習いとして、各地を転々としながら経験を積んでいるのだった。


「ちょっと、お前ら。なんでお前らだけいい毛皮着てんだよ!」

 ローブの下に着こんだ毛皮を見つけたらしいソーカルが眉をいからせている。

「パゴニア王国は雪国だから、白い野犬から素材をとるのがちょうどいいって……」

舌の根があわないのか若干ろれつのあやしいユーリが答え、ふたりがトレフル・ブランを見た。

「もうすぐ、冬だし」

 トレフル・ブランの最小限の言葉に、「そりゃな。旅先のことを自力で調べて対策すんのも、魔法騎士アーテル・ウォーリアとしての修行の一環だから、そこは評価するけどよ」そう言いながら、ソーカルは力を込めてトレフル・ブランの両肩に自分の両手を食い込ませた。

「先生の分も準備してやろうってやさしさがねぇのか、お前には」

「先生なら、準備できてて当たり前じゃないんですか?」

「……」

 なお、トレフル・ブランの発言にそれほどの悪意はない。

 ソーカル・ディーブリッジと言えば、見た目はものぐさな中年男だが、白き闇祓い魔法の使い手としてはけっこうな有名人だ。魔導士協会から、複数の勲章を授与されるほどの。旅から旅へ、各地の白き闇に関するトラブルを解決してきた彼は、トレフル・ブランたちよりよほど多彩な旅の心得を持っているはずである。

 なお、トレフル・ブランにこの手の心得があるのは、先生に引っ張りまわされて世界を旅した経験があるからだ。観光名所を外れた辺鄙へんぴな土地ばかりだったので、旅というより、トレフル・ブランが驚くのも見て楽しむ、という余興感覚だったのかもしれないが。

 それはともかく、「俺だけ仲間外れにされたようで、気に食わん」というソーカルの主張も分からないではなかったので、

「あとでいい道具貸してあげますから。まぁそれで勘弁してください」

と、トレフル・ブランにしては比較的素直に融和を求めた。

 もちろん、ソーカルも本気で腹を立てていたわけではないので、「ま、お前さんがそう言うからには、期待してるぜ」と、軽く肩を叩いてトレフル・ブランの傍を離れていった。

 代わりに、やってきたのはユーリである。自慢の赤髪に白いものを積もらせた彼は、無言でぎゅっとトレフル・ブランを抱きしめた。

「まぁ!」

 キーチェが驚きとわくわくの入り混じった声をあげて、興味津々観察してくるのが腹立たしい。

「……ユーリ。これはなんなの?」

「君で、暖を、とりたい」

 それ以上話す気力がないらしい。本当に寒さが苦手なようだ。

「分かったよ。あとで、外套の下に暖気を巡らせる魔法かけてあげるから、離れてくれないか」

 ため息まじりのトレフル・ブランの言葉に、ユーリが食いついた。

「今すぐ! 今すぐその魔法をかけてくれ!!」

「今すぐ? じゃ、今すぐ外套それ脱いで」

「……あとで、いいよ……」

 おー便利な魔法知ってんなぁと、のんきに高みの見物を決め込んでいるソーカルも腹立たしい。あちらにも等しく災厄が降り注ぐべきである。

「ユーリ、キーチェで暖を取ったらどうかな?」

「いや、女の子にそれは、ちょっと……」

 想定内のリアクションである。

「じゃ、教官で暖を取ったら? 女の子じゃないんだから、なんの問題もないでしょ?」

 対岸の火事を決め込んでいたソーカルは、うっかり煙草を取り落としかけた。

「おい、お前、教官おれをなんだと思ってんだ!?」

「教官は、俺たちの面倒見るのが仕事でしょ。ユーリ、ゴー!」

 犬にでも号令するように、トレフル・ブランはけしかけた。

 寒さのため、少し思考が低下していたユーリは「教官……筋肉質、暖かい」と呟いている。ソーカルは慌てて、ユーリから距離を取った。

 結局、わずかな時間でも湯たんぽを手放すのがイヤだったらしく自分から離れようとしないユーリをべったりと背中に張り付けたまま、トレフル・ブランは別のことを考えることにした。現実逃避とも言う。


(さて。俺たちが暇つぶしの漫才をやっている間、パゴニアの案内人はどうしているのかな)

 そう、トレフル・ブランたちとて、好き好んで強風で不規則に雪が舞う戸外に出ているわけではない。移動用魔法陣テレポーターはきちんと屋内に設置されていたのだが、王国の案内人が迎えに来る約束の時間となったので、戸外へ出てそれらしき人影を探していたのだった。

 その時。タイミングよく、雪を舞い散らしつつ進んできた黒い大きな車が、トレフル・ブランたちの前に停車した。見た目は、旧暦の時代から使われていた乗用車に似ているが、魔法を動力として動く、人を乗せて移動させるための魔導自動車である。現代においては、集団移動用の魔導具や装置、その経路が発達しているため、個人が車型の魔導具を持つことは珍しい。これもむろん一般人のものではなく、ボンネットにパゴニア王国の紋章がデザインされていた。

 車から、ひとりの人物が降り立った。

 スッと背筋の伸びた、すらりと背の高い女性だった。長い黒髪、紫がかった黒いコートに、ひらひらと雪が舞い降りる。色白のおもてにかけられた銀フレームには雪がついておらず、「これはなにか、便利な雪よけの魔法がかけてあるな」とトレフル・ブランは見た。

 ソーカルが一歩前に出て、右手を差し出した。相手も応え、なめらかそうな手袋をはいた右手を差し出し、「遅れて申し訳ありません。イオディス・トーレと申します」と名乗った。パゴニア王国において、軍部の最高位を表す騎士団長の命で派遣された、近衛兵のひとりだということだ。

 代表者同士が軽く自己紹介を済ませたところで、一行は迎えの魔導車に乗り込んだ。


「遅れたことの言い訳ではありませんが、本日もまた、雪だるまとおぼしき存在による、山間部の村の襲撃事件が発生しまして」

 車の中で、さっそくイオディスは状況の説明を開始した。

 彼女の話によると、約束の二時間ほど前、山間部の小さな村が、雪だるまの集団に襲われ、多数のけが人が出たということだ。幸い死者は出なかったが家屋や家畜の被害も大きく、医療魔導士、護衛の兵士、土木関係の応急処置に関わる魔導士などの手配に追われていたのだという。

「なるほど。しかしその、雪だるまとおぼしき存在ってものが、我々にはピンとこない。もう少し詳しく話してもらえるとありがたいんだが」

「それはご覧になったほうが早いでしょう。みなさま、受信できる呪具はお持ちで?」

 全員がうなずいて、それぞれの荷物からそれを取り出した。


 呪具じゅぐ、というのは魔法の操作を補助する、それ自体になんらかの術式が込められた道具を言う。材質も形も様々だが、人間の意志が伝わりやすい銀などの金属をベースに、魔力を封じるのに適した宝石類、呪文・呪術的紋様などで装飾されているものが一般的だ。

 一昔前まで、魔導士協会で推奨されたのは木製の杖だった。現代においては、各々自分に合った“杖の代わりとなる”アイテムを所持して、自分のスタイルに応じて魔法を使用することを基本とする。木製の杖を呪具――つまり魔法を扱う際の補助媒体――として使っているのは、相当な年寄りの魔法使いくらいのものだ。呪具なしでも魔法は使えるが、その有無によって、効果・威力・範囲・魔力消費量に歴然とした差が現れるので、魔導士協会でも積極的に開発に励み、民間での生産も奨励している。

 当然、トレフル・ブランたちも複数そういったたぐいの呪具を所持していた。 

 キーチェは持ち手のついた楕円形の手鏡を、ユーリは折りたたみ型の四角い鏡を取り出し、トレフル・ブランはいつも首から提げている正円の青銅製の鏡を手に取った。先生から門出の品としてもらった呪具のひとつである。

 三人が鏡の形をした呪具を取り出したことには理由がある。それは、凹凸のない平らな面が、魔力によって発信された動画・静止画などを映像化するのに適しているからである。少し細工を施せば、音声の再生も容易い。

 ソーカルだけは、鏡を使うのでなく、複雑な紋様の描かれた銀色のライターに火をつけた。ゆらゆらとオレンジ色の炎が立ち上がる。これは鏡より一歩進んだ情報の受信方法で、炎の熱の届く範囲に、立体的に情報を映し出すことができる仕組みとなっている。

 それぞれ準備ができたことを確認し、イオディスはコートのポケットからすらりと光沢のある精緻な細工の万年筆を取り出した。これが彼女の呪具、魔法での情報伝達を助ける道具なのだろう。

 イオディスが、万年筆を軽く振ると、装飾品の一部が淡く発光した。その光はスゥと四本の帯を描いてそれぞれの手元に飛び、手にした呪具に「村を襲う雪だるま」の映像を映し出す。


 見た目は、トレフル・ブランのよく知る、子どものころ作って遊んだアレと変わりない。雪でできた球体の上にやや小ぶりの同じような球体が乗っていて、木の実や葉っぱや小枝で、顔のパーツが作られている。胴体部分に突き刺さった大きめの枝は、いびつな両腕に見える。全長は、せいぜいがトレフル・ブランの腰に届かないくらいか。

 しかしその数、数十体ともなると、薄気味悪いものを感じる。

 これらが大挙して押し寄せ、村の柵や門を破り、村人から鍬や鎌を奪って村人を襲い、暖炉を荒らして家屋に火を放ち、通り道すべてにあるものを破壊しつくして進軍する。彼らの通った後には、破壊され燃え続ける家屋、逃げることができずに殺された厩舎の家畜、けが人の怨嗟えんさのうめき、恐怖に泣きわめく子どもの声……そういったものだけが残された。


「これは……これは雪だるまなんて、子どもたちの夢のつまった代物しろものじゃない。こいつらは、雪国の無法者ギャングだ!」

 ユーリの声が、寒さ以外のもので震えた。彼は五人兄弟の長男で、弟妹たちをとても可愛がっている。映像の中には、逃げ遅れて大怪我を追った子どももいた。怒りのボルテージが急上昇したのは無理からぬことだ。

「同感ね」

 キーチェも冷たく言い放った。むろん、その冷たさは雪国の無法者たちに向けられている。

 何も言わなかったが、トレフル・ブランも同様に熱い何かが臓腑ぞうふを焼く感覚を味わっていた。ソーカルは黙りこくって、もう一度映像を再生している。対策を考えているのだろうか。

 イオディスが「なるほど、そのネーミングは良いですね」と静かに言った。

「正直なところ、『雪だるまのようなもの』では恐怖の表現に限界がありまして……王都の人間など、事実として受け止めない者もいるくらいなのです。今後、彼らのことは『白い無法者ヴィート・ギャング』と呼ぶことにいたしましょう」

 この名称は王国に報告され、以降、王国の公式な記録に白い無法者ヴィート・ギャングの名称が登場することとなる。

 ソーカルが疑問を発した。

「王都には信じない者もいるということだったが、王都に被害は出ていないのか?」

「今のところは。しかし、山間部から徐々に、町を伝って被害が拡大しています。ゆえに、騎士団の手が足りず魔導士協会に協力を要請し、民間の魔法使いにも自衛策を講じるよう、通達を出しているところです」

 先ほどの映像は、事の重大さを伝えるために、パゴニア政府が製作したものだということだった。もっとも、「事実を一部隠匿した」だけのリアルな映像であるということだったが。

 イオディスは、被害状況の地図を画像化し、ソーカルに渡した。彼は、ライターの火を絶やさず、じっとその地図を眺めている。やがて、重い声で言った。

「被害が、王都に向かっているな」

「はい、そのとおりです」

 イオディスのいらえも重い。

 住民の少ない山間部から都市部へと白い無法者ヴィート・ギャングが手を伸ばすなら、これまでの何倍、何十倍の被害を出すだろう。パゴニア王国が他国の援助を求めたのもむ無し、という状況がありありと理解できた。

「状況はあらかた分かった。襲われた現場を見てみたい。案内してくれるか」

 ソーカルの依頼に、イオディスは頷いた。

「準備もありますし、みなさんご到着されたばかりですから、まずは宿泊施設へご案内いたします。その後、もっともここから近い現場へご案内いたしますわ」

「あぁ、それでいい」

 その後、石造りの宿舎に着くまで、車は重い沈黙を乗せたまま走り続けた。

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