episode 1. 指令、雪だるまを討伐せよ

 トレフル・ブランは、分厚い参考書を左手でおさえ、右手に持ったペンで書き物をしていた。約一ヶ月後に迫った初級魔導士認定試験の課題の一つ、小論文「時計塔の魔女が新世界史に与えた影響について」の仕上げ作業に入ったところだった。

 硬めの褐色の細くとがった髪は秩序と調和をもってカッティングされ、長い文字の羅列を追う深緑の双眸と相まって知的でやや堅苦しい印象を与えるが、本人は自分のことを面倒くさがりの不平屋だと客観的評価を下している。魔法に対する探究心があればこそ、魔導士認定試験を受け、現在魔導士の身分となったわけだが……最近の自分が、勉強熱心で身なりのスッキリした少年に見られがちなのは、間違いなく同行者に多くの責任があるだろう。

 そのうちのひとり、ユーリ・フラームベルテクスが参考書を片手に部屋へ駆け込んで来た。

「トレフル・ブラン! 時計塔の魔女が作った薬草学の分類について、何を調べたらレポートが埋まるかな?」

 真っ赤な髪、たくましい長身の彼は、見た目通りの暑苦しい男だった。トレフル・ブランより3歳年長の18歳。彼の名誉のために言っておくと、彼は決して頭の回転が鈍いわけではないのだが。

「おつかれ、ユーリ。それなら、『新薬草学分類図鑑』を見ればいいじゃないか。第一、君がその手に持っているのが、その本じゃないか」

 ユーリは、苦いものを飲み込まされたような表情をした。

「分かってる、分かってるんだ。しかし、俺の手はこの図鑑を開くことを拒否するんだ……!」

 そう言って、彼は本を開こうとして開けない、という動作をする。本当に開けないのではない。ただ、開くのがイヤなだけである。

「ユーリ、気持ちはお察しするけど、時計塔の魔女と薬草学は切っても切り離せないよ……現代医学の母とか言われている魔女だもん」

「やはり、見なくてはダメなのか?」

「ダメだろうね」

 おそらく予想していたであろうトレフル・ブランからの冷たいいらえに、彼は盛大なため息をついて、表紙をめくって見せた。

「うぅ……どこを見ても草ばっかり」

 当然だ、薬草学の図鑑なのだから。トレフル・ブランに言わせれば、詳しく図解説明されたかなり親切なたぐいの図鑑である。

 先生いわく、「薬草の効果は、自分の体で確かめなさい」。

 トレフル・ブランの魔法の先生はそういう人だったから、様々な味、薬効、あるいは毒となる植物や調合薬を、死なない程度に経験させられた。もちろん、その薬草あるいは毒草についての図解説明などしてもらったことはない。

 そんなわけでトレフル・ブランは親切な図鑑を重宝していたが、ユーリにとってそれは鬼門に違いなかった。彼は、他の分野の成績は決して悪くないのだが、「薬草なんて言われても、全部ただの葉っぱに見える」という壊滅的な薬草学における知識の欠如で、魔導士認定試験に落ち続けた人物である。今年の見習い認定試験に受かったのは、トレフル・ブランの助けが功を奏した――と言っても、誇大表現にはならないだろう。

 ユーリは、長い赤髪を揺らしながら、常の彼らしくもないふらふらとした足取りで机に近付いてきた。

「トレフル・ブラン、ヒントだ。ヒントをくれ!」

 はぁ。

 トレフル・ブランは小さくため息をつき、ユーリの持っている「新薬草学分類図鑑」の83ページを開いた。

「この薬草について、薬効と、彼女が『画期的な止血剤』を開発するに至った経緯と、その後の世界への流通についてまとめてみたら?」

 それは特に珍しい植物ではなかったが、俗に言う「時計塔の魔女」に見出され、現在世界中で使われている止血剤の主原料となった。これと魔女の関係についてまとめれば、かなりの尺を取ることができるはずである。

 ユーリの表情が、分かりやすくパァァっと輝いた。

「ありがとう、トレフル・ブラン! 君はほんとうにすごいヤツだ!」

 ユーリにバンバンと力強く両肩を叩かれ、トレフル・ブランは、椅子が少しだけ床にめりこんだのではないかという気がした。実際にはそんなことはなかったが、不平に口元をゆがめでユーリを見上げているところへ、部屋にもうひとり客が訪れた。

 キーチェ・アウロパディシーという名の、トレフル・ブランたちと同じく見習い魔導士の少女である。彼女は、トレフル・ブランとユーリの格好を見とがめると、器用に片方の眉を跳ね上げて抗議の意を表した。

「あなたたち。お日さまはとうに東の空に昇っているというのに、そのだらしのない格好はなにかしら?」

 トレフル・ブランとユーリは、寝間着にガウンを羽織っただけの格好だった。それでも、洗顔を済ませているトレフル・ブランはまだマシなほうで、立派な赤髪が見事に爆発しているユーリに比べればだいぶ見栄えがした。彼女も、ユーリのほうに目をつけたようだ。

「まずは顔を洗っていらっしゃい! それと、もうすぐ朝食の準備が出来るそうだから、服装をととのえて降りてきてちょうだい。トレフル・ブラン、あなたも、本ばっかり読んでちゃダメよ」

 たしかにトレフル・ブランは読書が好きだったが、今は課題のために仕方なく分厚い本と格闘しているのである――という言い訳はしなかった。言えば最後、三倍になって返って来るのが分かっていたからである。

 トレフル・ブランは両手を上げて了承の意を示すと、いつもの服装に着替え、全身鏡の前に立った。

 せいぜい、キーチェのお眼鏡にかなうよう、細部まできちん身なりをととのえなくては。


 三人の見習い魔導士たちは、ヴァルト共和国で大量発生している白い野犬――魔王の眷属けんぞく――討伐任務の指令を受けていた。宿舎は、魔導士協会が提供した、町の魔導士協会支部の一角である。ここを拠点として、国が提供する闇の眷属たちの出現情報に基づき駆除を行いつつ、並行して次回の「初級魔導士認定試験」の課題と試験勉強をこなす生活が続いていた。

 この拠点では、朝食のみだが無料で提供してもらえるのがありがたく、味も申し分なかったので、三人は朝食の時間を楽しみにしていた。

 トレフル・ブランが一階の食堂へ降りて行くと、古い木製のテーブルに先客はおらず、ここ数週間ですっかり定位置となった窓辺の席に腰かけた。すでに、食卓にはサラダとミルクが用意されている。

 そこへ、ひょいと身軽に、協会支部の管理人兼料理人の男性が顔を出した。壮年にさしかかる年頃の、グレーの髪と、ととのった口髭と、陽気な笑顔を持っている人物で、みなから親しみをこめて「おじさん」と呼ばれている。

「おはよう、トレフル。もうすぐパンが焼けるから、もう少し待っておくれよ」

 人のよさそうな顔をくしゃっとゆがめて笑うおじさんに、「ありがとう」と返したトレフル・ブランだったが、注釈を入れるのは忘れなかった。

「俺の名前、トレフル・ブランだから。省略しないでね、おじさん」

 おじさんは「年を取ると、長い名前は覚えられなくなっていくんだよ」と笑いながら厨房へ引っ込んでいった。入れ替わりで、キーチェと、彼女に引っ張られるようにしてユーリが現れる。

「あらためて、おはよう、ふたりとも。ユーリ、見違えたね」

「そりゃ、どうも」

 ボウボウだった髪をととのえて首の後ろでひとつくくりにまとめ、前髪と眉をきちんとととのえたユーリは、町の女の子が思わず黄色い歓声を上げる好青年だった。クセの強い髪もワイルドな雰囲気をかもしだすスパイスとなり、対照的に黒く穏やかな瞳は理性と落ち着きをうかがわせる。髪の色と同じ、赤いマントを颯爽さっそうと着こなした姿は、さすがは名門フラームベルテクス家のご令息と、誰もが感心するものだった。

 その仕上げに腐心したキーチェは、最近すっかりユーリとトレフル・ブランの専属コーディネーターになっている。彼女は満足げに自分の作品を眺めると、「ま、こんなものでしょう」と呟いて、これまた定位置に着席した。ユーリは彼女に分からないようにトレフル・ブランにだけ肩を竦めて見せ、彼女の向かいの席に座った。

 もうひとり、いつもトレフル・ブランの向かいの席に座る人物が現れないが、彼が時間にルーズなのはよくあることなので、焼き立てのパンと熱々のシチューが運ばれてきたことを合図に、三人は若く食欲旺盛な胃袋を満たすことに熱中した。特にユーリは「ご当地名物食べ歩き」を趣味としているだけあって、かなりの健啖家けんたんかだ。食卓からは、どんどん食べ物がなくなっていく。その都度、おじさんがタイミングを見ておかわりを運んでくれるので、三人は心ゆくまで食事を楽しむことができたのだった。

 デザートの木の実を食べる段になって、ようやく四人目が姿を現した。

 ソーカル・ディーブリッジ。なかなか渋いハンサムの中年男性だが、髪はボサボサ、無精ひげは剃らない、外套がいとうもつぎはぎだらけという有様で、しかもそれがポリシーだと公言し、いつもくわえ煙草をふかしている。美容と礼儀にうるさいキーチェですら、彼を更生させることは諦めざるをえなかったようで、いつもの格好で食卓にやって来た彼をちらりと非難を込めた眼差しで見たが、口に出してはなにも言わなかった。

 ソーカルは、三人の見習い、つまりひよっこ魔導士たちの指導にあたる教官である。魔導士としての大先輩であり、本来、三人にとっては頭の上がらない相手であるはずだが(初級魔導士認定試験を受験する際、推薦状ももらわなくてはいけないので)、当人が「堅苦しいのは嫌いだ。フツーにしとけ」と言うもので、現在のところわりとフランクな関係を築いている。


 その彼が、トレフル・ブランの木の実を横取りしながら言った。

「おい、お前ら。雪だるまを倒しに行くぞ」

「「「……はい?」」」

 三人、息の合ったリアクションだった。

 コホン、とキーチェが儀礼的な咳ばらいをする。

「教官、やはり煙草の吸いすぎは健康に良くありませんわ。少々控えられるのがよろしいかと」

「煙草の吸いすぎでアホになったんじゃねぇっての。見ろ、これだ」

 そう言って、ピラリと彼が指先でつまんで示したのは、一枚の黄色い紙片である。

 ユーリが眉をしかめた。

黄色い指令書イエローリーフ⁉」

 ソーカルが手にしていたのは、魔導士協会からの指令書、それも緊急を示す、通称黄色い指令書イエローリーフだった。

 キーチェも不安げに、「本来なら、見習いの私たちのところに来るようなものじゃ……」と呟いている。

 トレフル・ブランとしては、別のところに着目したかった。

「それで、教官。まさか、その指令書が、『雪だるまを倒せ』なんて非常識なこと命令してるんじゃないでしょうね」

「そのまさかだ。いや、話が早くて助かるな。さて、移動の準備をするか」

「待って! まず、事情の、説明をっ!」

 そそくさを席を立とうとするソーカルの袖を引っ張り、トレフル・ブランは説明を促した。


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D113班 殿


緊急指令


パゴニア王国北東部で多発している、雪だるまと思しき存在による事件を解決せよ。なお、これはパゴニア王宮からの緊急要請である。至急、現地へ赴かれたし。


魔導士協会本部 平和維持局局長 ノーマン・セルディーライ


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 それが、指令書の内容だった。

 ユーリが戸惑ったように発言する。

「えーっと、これを読むと、たくさんの雪だるまに襲われて困っているから助けてほしいと、パゴニア王国から要請があった……ってことになるんですよね」

「あぁ、そうなるな」

 ソーカルは煙草をもみ消し、どこからか取り出した新しいもう一本に火をつけた。キーチェが咳払いしたが、ソーカルが気にするそぶりはない。

 トレフル・ブランは、指令書を手に取った。そして、『透視』『あぶり出し(火・水)』『隠滅の復活』の魔法を試み、最後になんらかの『隠蔽いんぺい魔法』の形跡がないかの調査も行ってみた。簡易的な調査だったが、現段階での結論は、これはただの紙片でしかないということだった。つまり、文字の内容がそっくりそのままの意味を示している。隠された指令が潜んでいないかなど、時間と道具があればもっと詳しく調査することができるのに……。

 その様子を見ていたソーカルが、「お前、相変わらず用心深いねぇ」と、ちょっと呆れたように言った。

 頭を掻いた彼は、ようやく指令書の内容を補足してくれる。

「つまりだな、要請元がパゴニア王国ってとこがミソなんだよ」

 パゴニア王国は二年前に先代が崩御して、まだ15歳の若い王が、摂政と騎士団長と議会に支えられながら国事行為を行っている。つまり、政情が不安定な国なのである。この混乱に乗じて国の実権を握ろうとする国内勢力、領土や権勢の拡大を目指す国外勢力――内憂外患の状況で、他国に首を突っ込む口実を与えるのは正直なところ避けたいだろう。本来ならば、この「雪だるま」という連中も自国で片を付けたかったはずだが、多数の死傷者が出るに至って、他国に援助を要請せざるを得なくなったようだ。

 かと言って、他国の正式な軍隊は招くべからず、強力な魔法使いに国の内情を探られるのも困りものだ――そこで白羽の矢が立ったのが、中級魔導士率いる見習い魔導士の魔法騎士研修班、というわけだ。


「まぁ、一応納得はできましたけど」

 トレフル・ブランは、隣に座るユーリに指令書を手渡した。心得た彼は、一瞬でその紙切れを灰にした。指令書は、正当な開封者が読み終えた後は破棄する決まりになっているからである。

 トレフル・ブランは、にっと口の端を持ち上げた。

 滅多に見ない“トレフル・ブランの笑顔”に、ユーリとキーチェはやや居心地悪そうに椅子に座りなおした。さすがにソーカルは動じない。

「僕たち、まだ見習い魔導士なんです」

「あぁ、知ってるよ。だから俺がお前たちのおもりをやってんだろうが」

「じゃあ、教官としては、俺たちに次の認定試験、なんとしても受かってほしいですよね?」

「……」

「試験まで、あと一ヶ月と少しなんですけど」

「……」

「課題もあるし、試験勉強にも身を入れないと」

「……」


 トレフル・ブランの笑顔の圧力に、ソーカルは無言で耐えきった。

 しばし視線で戦っていたふたりだが、やがてトレフル・ブランが折れる。

「……断れないんですね」

「たりめーだ。正式な指令書だぞ。ほれ、さっさと準備に入れ」

 しっしっ、と犬でも追い払うようなその仕草に、トレフル・ブランの中でひらめいた計画があった。

「教官。今日の予定地に行って、眷属を倒してきていいですか? 午前中には戻りますから」

 その言葉に、ソーカルはじっとトレフル・ブランを見つめた。

 トレフル・ブランは視線を逸らさなかった。おそらく許可されるだろう、という見通しがあった。この数週間の滞在でトレフル・ブランたちも討伐任務に慣れ、手こずるような大物も現れてはいなかったからだ。

 ソーカルは頷き、「三人で行け。旅支度もととのえろよ。本格的には、パゴニアに行ってから準備するが」と言って、食堂を出て行った。


 旺盛おうせいな食欲で残された果実を詰め込んでいたユーリが「なんで、魔王の眷属狩りを続けるんだ? 次のは緊急案件だぞ」と尋ねる。キーチェも頷いている。

「ま、素材集めだとでも思ってくれればいいさ。ふたりとも、パゴニア王国は雪国だ。寒さ対策、しっかりしないとダメだぞ」

 かつて、先生に一度だけ連れられて訪れた土地を、ぼんやりと思い出す。

(あの時は、夏だったから……夏の気候から、夏って言ってもほぼ冬のパゴニアの風土は、本当につらかった。今回、もう秋も終わろうとしているだけ、前回よりマシな旅になるかな)

 準備物をあれこれと想像しながら、まずは白き闇の眷属、この地を騒がせる白い野犬を討伐すべく、準備のためトレフル・ブランは部屋に戻った。やや釈然しゃくぜんとしない様子ながらも、他のふたりも装備をととのえ、三十分後には三人揃って協会支部を後にした。そして首尾よく、を手に入れたのだった。

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