第22話 あなたに伝える
一人の部屋が与えられて数日、ちよ子は毎日部屋に閉じこもっていた。必要なものを買う時のみマンションの下層階に降りる程度だ。部屋の外に出ると、ビシッとスーツを着たビジネスマン、ビジネスウーマンだらけなので、場違いな気分になる。
壊れていたと思い込んでいたIHコンロは、コンロ下の棚を開けてみると、コードが伸びていて電源プラグが抜けていただけで、差し込んでみると問題なく使用できた。
明治からは毎日メールや電話が来るが顔を合わせていない。醜態を晒した挙句、自分はどこまでも護衛対象者でしかない事がショックなのと、何よりも別れの挨拶をされるのがとても怖くて会う気になれない。
部屋にいる限りKIRAに狙われる事もないので明治の仕事を増やす事もないだろうが、いつまでもここにいる訳にはいかない。かといってKIRAの構成員に取り囲まれた自身のアパートにはもう戻れない。
これ以上、明治に迷惑をかけられない。
この数日間、ちよ子は「今後」の事について考えていた。まずは会社を辞めよう。そして、その後は東京を離れよう。飛行機に乗って沖縄に行って、KIRAの手にかからない場所で一人のんびりと暮らすのだ。
ちよ子はニッコリ電気株式会社に電話をかけた。
* * *
夕方、ちよ子のスマホに着信が鳴る。明治だ。
「ちよ子ちゃん、元気? 今日ね、十八時には帰れるから一緒に夕飯食べない?」
SSボディーガード協会の建物に来てからは毎度断っているのに、明治はめげずに誘ってくれる。ちよ子は「いいわよ」と頷いた。
「え!? そう!? じゃあどこか食べに行こうか」
二人で同じビル内のレストランフロアにある創作フレンチの店へ入った。暖色の照明が灯った高級感はあるが何故か気負わず入れる広い店内。ビジネスマン達が多く利用している。座った席は個室ではないが、周りには観葉植物が置かれ、テーブルとテーブルの間隔が広く取られている為、個室のように落ち着きがある。
「ちよ子ちゃん、何か飲む?」
「私はいい」
「あは〜、この前酔っ払って京都の旅館で倒れ込んでたもんね♡」
ちよ子は真っ赤になって睨んだが、明治は優しい顔で笑っていた。
「ちよ子ちゃん、足の怪我大丈夫?」
「うん、もう大丈夫……」
「そか、良かった」
何となく会話が続かない。もう私のボディーガードは終わりなのかもしれない。
ちよ子は泣きたくなるのを我慢して水を飲んだ。
「やっぱりワイン飲もうかな」
「うん、いいよ。何飲む?」
明治がワインリストを開く。
「赤ワインがいい……」
大きなブルゴーニュ用のグラスにビロード色のワインが注がれる。一体いくらのワインなのか、乾杯して口に含むと絹のようにとても滑らかで、今まで飲んだどのワインよりも美味しかった。
「明治くんはいつもこんなの飲んでるの?」
「え、いや、俺は普段ワインよりビールかな」
「ふーん……」
「美味しくない?」
「ううん、とっても美味しい……」
そう言ってちよ子は俯いた。ワインはとても美味しいのに胸がとても痛い。
久しぶりに美味しい料理を食べて、でも心の底から楽しめることはなく、食後明治と二人、自身が泊まっている階へ戻った。
専用のカードキーがないと降りる事が出来ないフロア。
赤い絨毯の敷かれた廊下に、明治とちよ子以外の人間はいない。
ちよ子は自分が借りている部屋の前で立ち止まった。
「私ね、さっき会社に辞めると伝えたの」
「え……」
「前から辞めたいって思ってたし。その後は東京を離れて、田舎でのんびり暮らそうかなって思ってるの。だからもう大丈夫だよ」
「えぇ……。ちよ子ちゃんは今のままでいいんだよ。KIRAの件はどうにかするし」
「いくら私でもそう簡単じゃない事は分かるわよ。それに明治くんのボディーガードももう終わりだし」
「俺が外れても他に優秀なボディーガード付けるよ」
「ボディーガード付けられる事、私が嬉しいと思う? 」
明治が黙る。
「私が東京を離れたいだけだから気にしないで。……明治くんとは私、いつお別れなの?」
「……もう明日出るよ」
「……急ね」
「……今まで怖い思いいっぱいさせちゃってごめんね。でも、ちよ子ちゃんはこれからも絶対大丈夫だから……、つい最近KIRAに待ち伏せされたばかりで説得感ないけど、本当に大丈夫だから……」
ゆっくりと、言葉を選びながら明治が言う。
「……ちよ子ちゃん、今まで一緒にいてくれてありがとう。どうか、元気でね」
ちよ子は堪えていた涙がポロポロと流れ出た。
涙が止まられない。拭っても拭っても、次から次へと涙が溢れでる。
「え、あ……ちよ子ちゃん……」
明治は狼狽えながらちよ子の頭を撫でた。
「……今までごめんね、いっぱい無理させちゃってたよね、……何も引っ越さなくてもここでゆっくり休んでいたらいいから」
「うっ……うっ……うっ……」
「本当にごめんね……」
「うっ、うっ、うっ、…………行かないで……、あなたが好きなの……」
ずっと明治に言いたかった言葉。
だけど言えなかった言葉。
ちよ子にとってとても長く感じた沈黙の時間。
ちよ子の髪に触れていた明治の手がゆっくりと離れる。
ちよ子は潤んだ瞳で明治を見上げると、明治はしっかりとちよ子を見つめた。
「ありがとう……でも一緒にはいられないんだ」
――さようなら
そう言って明治はちよ子から離れ、一人残されたちよ子の泣き声だけが廊下に響いた。
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