第21話 スリーサイズを教えてクダサイ

 ちよ子は明治からスマホを受け取り、恐る恐る耳へ当てた。「Hello?」と流暢な英語で女性の声が聞こえる。


「ハ、ハロー……」


 この後はハウアーユーでいいんだっけ?


「坂部チヨ子サン、デスカ?」


 明治の言う通り、秘書だという電話口の女性は日本語を話し始めた。


「そ、そうですが……?」


「私ハ、SS Bodyguard Association(ボディーガード協会)のエリザベスと言いマス」


「はい」


「アナタのスリーサイズを教えてクダサイ」


「は、はい!?」


「明治サンより、女性物の服を用意するように言われマシタ」


「あ……、そうですか……」


 ただ明治の前で自身のサイズを言う気にはなれない。

 ちよ子が明治をちらちら見ながら慌てていると、明治は察したのかリビングから出て行った。


「その、スリーサイズは分からないのですが、ウニクロでMサイズの服を用意して下されば……」


「ブラは?」


「ブ……」


 ちよ子は小声で下着のサイズを伝えた。拷問である。

 エリザベスは「後程、服を持って行く」と言って電話を切った。


 ちよ子は変な汗をかきながらうめき声を出した。

 恥ずかしい。何もかも恥ずかしすぎる。明治くんに「脱がしてくれ」なんてとんでもない発言をして、明治くんの服借りちゃって、しかも一緒のベッドで寝るなんて……! 私は床で充分よ!?


 扉がガチャリと開き、明治がリビングに戻ってきた。ちよ子は無言でぎこちなくスマホを明治へ返した。顔を洗ってきたようで、肩にはタオルがかかっている。少し髪も濡れている。


「洗面所とトイレはそっちにあるから好きに使っていいよ」


「あ、うん……。あと私の服ある?」


「とりあえず洗濯機に突っ込んである」


「ありがとう。勝手に洗わせてもらっていい?」


「どうぞ」


 ちよ子は急いで一人洗面所に向かった。ドラム式洗濯機の蓋を開けるとちよ子の濡れた服が入っていた。下着も……。


 また明治に下着を見られた。一応、買ったばかりのお気に入りの下着ではあるものの。明治は女性の下着を見ても何とも思わないのだろうか。


 頭を抱えて深い溜息を吐き、下着を洗濯機から取り出して洗面所で手洗いを始めた。



「ちよ子ちゃん?」


 しばらくして明治が洗面所に顔を出した。ちよ子は慌てて、洗面所に張った水に手を突っ込んだまま後ろへ振り返った。


「な、何!?」


「遅いから気になって。……朝食一緒に食べよ」


「あ、うん……」


 明治が去った後、手洗いした服一式を風呂場に干してからちよ子がリビングに戻ると、コーヒーの良い香りが広がっていた。ダイニングテーブルの上には、二人分のパンとサラダが用意されていた。


「簡単なものしかないけど」


 明治が椅子を引き、ちよ子を座らせた。明治自身はちよ子の目の前の席へと座り「いただきます」と言って手を合わせた。ちよ子も手を合わす。


「お、美味しい……」


 サクサクのクロワッサンに思わず感動する。


「一階で販売してるんだ」


「……ここは、明治君の家なのよね?」


「うん、まぁ。あまり使ってないけど」


 最近はちよ子のアパートに住んでいるのでそれはそうだ。窓の外を見ると高層ビル群と青空。天井は高く、広さはちよ子の部屋の何倍あるのか。とにかく広い。


「誰かと住んでるの?」


「まさか。一人だよ」


 金持ちはこんな広い家に一人で住むのか。私のアパートも一棟丸ごと買い上げたしな……。


「私、アパートに帰れるんだろうか……。仕事も……」


「とりあえずは申し訳ないけど会社休んでもらって、ここに住んでてもらえるかな」


「こ、ここ!?」


「部屋余ってるし」


 いくら部屋が余っていると言っても、明治と二人でここに住むなんて。また醜態を見せかねない。それに付き合ってもないのに。


「……嫌なら同じ階の別の部屋用意させるよ」


「別の部屋って?」


「小さい部屋で、今は物置き部屋になってるんだけど、キッチンもシャワールームも付いてるよ。全く使用してないから、使えるようになるまで少し時間かかるけど」


「そっちでお願いします」


「分かった」



 しばし無言になった後、明治のスマホが鳴る。また英語で話をしている。通話を終えた後、ちよ子を見た。


「この後俺仕事だから一人でここにいてくれる? そのうち秘書が服届けに来ると思うけど」


「分かった。いってらっしゃい」


「うん」


 食事を終えた後、明治はスーツをピシリと着て「行ってきます」と言い、部屋から出て行った。


 しばらくしてピンポーンとインターホンが鳴る。カメラに映された画像を見ると女性。おそらく先ほど電話で話した秘書の人だ。ちよ子は慌てて玄関の扉を開けた。


「コンニチハ」


 無愛想な表情で、ほんのり褐色肌の黒髪美女が挨拶をした。

 ゆるふわロングヘアーをばさりとなびかせる。高身長で足が長く、赤色のトップスからはグラマラスな胸の谷間がドーン! と見えていて、黒のジャケットと黒のタイトなミニスカートをはいている。雑誌の外国人モデルのような女性だ。そしてとても良い香りがする。足は短く、香水一つもつけない自分が情けなくなる。そもそも初対面の人に、すっぴん、Tシャツ、ハーフパンツ姿を見せる事自体が恥ずかしい。


 ちよ子がたどたどしく挨拶をすると、モデル級美女は大きな紙袋を乱暴にちよ子に渡した。


「ウニクロのMサイズの服デス」


「あ、ありがとうございます……」


 ちよ子は恥ずかしくて早く扉を閉めてしまいたかったが、エリザベスは立ち去ろうとせずにちよ子を見ている。


「……あの?」


「……なかなか明治サンが振り向かないから、押し倒して胸まで出したのに、ずっと好きな人がいるから無理って言われて、どんな女かと思えばあなたなの? 幻滅」


「お、押し倒した!?」


「そうよ!」


 胸を出した!? おっ!? このパーフェクトボディーを!?


「私の勘違いかもね、別の女かも」


「……十年前はもしかしたら好かれていたかも知れませんが今は違うと思います……」


 より強くエリザベスがちよ子を睨んだ。


「あ、あの……生まれたての雛が目の前にいる人間を親だと思い込んでしまうのと同じかと……」


「酷い」


 エリザベスは冷たい目でそう一言だけ言って立ち去った。


 確かに少し言い過ぎたと後悔した。しかしこんな捻くれた女を明治が好きになる訳ない。エリザベスのような綺麗な女性が振られるなら自分なんてもっと無理だ。十年前はともかく今も好きなんて事はない。だって散々私と距離を取っている。今朝は隣で寝てたら逃げられた。


 エリザベスが用意してくれた服は、ズボンとシンプルなトップスでさらりと着ることができた。下着は可愛らしさとは程遠いシンプルなベージュのものが届いた。



 * * *


 午後、明治がコンビニの弁当を持って戻ってきた。テーブルに弁当を置いてから、カードをちよ子に差し出した。


「この建物内はSSボディーガード協会が所有していて安全だから自由に動いていいよ。社員食堂やコンビニ、ウニクロ、色々あるけどこのカードで全部決済出来るから」


「ありがとう。後でまとめて返すね」


「お金は返さなくていいよ」と言う明治に対して首を振ると明治は困ったような顔をした。


「……他、何か必要なものあったら、俺でもエリザベスでもいいから遠慮なく言ってね」


「……今日中にその倉庫に使ってると言う部屋、寝られるようにしてもらえる?」


「うん、分かった……」


 明治が昼休憩を終えて部屋から出て行った後、サングラスの田中ともう一人男がやってきて、明治の部屋の斜め向かいの扉を開けた。倉庫代わりに使っていたと言っていただけあって暗い室内にはダンボールが沢山積み上げられていた。


「明治様にもっと甘えていいんですよ? あの人いきなり襲ったりしませんでしょ?」


「襲われる事はないですけど、彼氏彼女でもないのに同じ部屋で過ごすのは良くないので」


「そうですか〜?」



 田中達は台車で次々に部屋からダンボールを出していく。出したダンボールは明治の部屋へと運ばれていったので、なんだか自分のわがままで申し訳ない気持ちになった。エリザベスや田中、明治、みんなに迷惑をかけている。


 六畳ほどの部屋の奥に窓が一つだけある。ある程度ダンボールの荷物を出して、田中がカーテンを開けると光が入り、室内は明るくなった。北向きの部屋らしいがこれからの季節は過ごしやすいだろう。


 使用感のないキッチン、トイレ、シャワールームが揃っていた。明治も田中も渋っていたけど快適に過ごせるではないか。


 ちよ子が埃の溜まった部屋に掃除機をかけていると、キッチンで田中が「あれ〜?」と声を出した。


「どうしました?」


「ちよ子さん、このIHコンロ壊れているかもしれません」


 田中がIHコンロの主電源を押すが反応しない。チャイルドロックがかかっているのかもと長押ししてみるがやはり反応しない。ちよ子も試してみるが電源は入らなかった。


「キッチンは明治様の部屋のを使うといいですよ、あちらの方が使い勝手良いですし」


「卓上タイプのIHコンロが売ってなかったら考えます」



 布団や食器なども田中が用意してくれて、夕方には部屋が住める状態に整った。田中が帰り際「明治様にもっと頼っていいんですよ、部屋があっても明治様の部屋で過ごしていいんですよ」と言った。


 ちよ子は田中達が帰ったあと、一人、用意してもらった部屋の床に座り、ふぅーとため息をついた。


「今後」の事を考えなければいけない。

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