第20話 あなたの体温
東京、自宅最寄駅に到着し、家に向かって歩く。辺りはすでに日が暮れている。あと少しだけボディーガードをすると言っていたけど、具体的にはどのくらいの期間なのだろうか。ニッコリ電気の退社とそう変わらないのだろうけど……。そんな事を考えながら歩いていると、目の前を歩く明治がピタリと立ち止まった。明治の背中にちよ子の顔面が激突する。
「わっぷ、何?」
明治はちよ子の手首を掴んで方向転換をし、左の細い路地へ進んだ。自宅とは別の方角である。
「走って」
ちよ子の手首を掴んだまま明治が走り出す。何がどうなっているのか、ふと後ろを見ると遠くで男達がこちらに気付いて追いかけてきた。待ち伏せされていたのだろうか。ちよ子も前へ向き直しパンプスで懸命に走った。
ハァハァ……ッ
明治はちよ子の手を離さず、迷路のような細い路地を右へ左へ通り抜ける。途中、正面を車やバイクが通り過ぎ、危うく轢かれそうになる。滅多に走ることはないので、ちよ子はすぐに息が上がり、足が痛くなった。このままでは追いつかれてしまう。
隠れて移動を繰り返し、二人は小さな鉄橋の側に出てきた。
「降りて」
降りて!?
明治の指示する場所は川である。堤防の三メートルほど下に川が流れている。流れは緩やかで深くはなさそうだがそれでも水深は二、三メートルはあるのではないだろうか。降りる梯子も足場もない。
「ごめん」
そう言っておもむろに明治が正面からちよ子を担ぎ、柵に足をかけ、川へ向かって飛び降りた。
頭まで水を被った。溺れる! と思ったが明治にしっかりと支えられて「ぷはぁっ!」と水面へ顔を出す。抱えられたまま堤防に沿って移動し、二人は鉄橋の下へ隠れた。水が冷たい。足が届かない。明治にしがみついたまま息を荒げぷかぷかと浮かぶ。明治は片手で壁に掴まり、もう片方の手でちよ子の腰を支えて水中に浮いている。
明治が静かにという合図をちよ子に送る。先程ちよ子達が走ってきた道から複数の足音がする。すぐに立ち去る様子はなくあちらに行ったりこちらに来たり、ちよ子達を探しているように思える。
しっかりと明治に支えられたまま、ちよ子は明治と息を殺して潜んだ。
しばらくして周囲から人の気配が消えた。明治の合図で川の中を移動し、階段のある場所からアスファルトの地面へ上がった。濡れた体が一気に冷える。水を吸った重たいスカートを手で絞る。明治は再度ちよ子の手首を掴みその場を移動した。
ちよ子は寒さと水で体力が奪われてしまって体が思うように動かなかった。そんなちよ子を明治が引っ張りながら歩く。
足手まとい、とちよ子は思った。明治一人なら簡単に逃げられたであろうに不甲斐ない。
「……先に行って」
「行くわけないでしょ」
ちよ子は泣きそうになった。
私が狙われる事になったからって責任感じてくれなくて良いのに……。
明治くんと二人狙われるくらいなら置いていってほしい……。
「あ……っ、痛……っ」
「どうした!?」
ちよ子の足に痛みが走る。川で靴を落としてしまい素足だったのだが、鋭利な物を踏んづけた。血がポタポタと流れる。
「ごめん、素足だったんだね、気付かなかった」
明治は屈んでポケットからハンカチを出しちよ子の足へ巻いた。
「本当にもういいから……先に行って……」
こんな歩けない状態でKIRAの構成員に出会ってしまったら、もう命はないかもしれない。
もういい。明治くんはもう十分に守ってくれたから。
「ちよ子ちゃん、帰ったらちゃんと手当てしようね」
明治が微笑みちよ子を担いだ。そのまま長い距離を歩き、建物と建物の隙間を縫ぬうように進んで行った。途中、明治が電話を掛けて、しばらくすると田中が車でやってきた。二人は田中の車に乗り込み、ちよ子は安心を感じて気付くと眠ってしまっていた。次に目が覚めた時は何処かの地下駐車場。
車のドアを開けた明治が「ちよ子ちゃん、起きてよ?」と言い、足を怪我しているちよ子を再度背中におぶる。田中とは地下駐車場で別れて、二人でエレベーターに乗る。
「もうすぐ着くからね」
高層階に到着し、エレベーターの扉が開くと、臙脂色の絨毯が敷き詰められた通路と密閉された暖かい空間。扉の前に到着し、明治が壁に取り付けられている機械に親指をかざすとピピッという音と共にロックが外れた。
「ちよ子ちゃん、寝ちゃダメだよ、起きて」
ここは何処かの玄関。明治に引っ張られて高級感のある広い室内に上がり、バスルームに到着。
「シャワー浴びて」
シャワー? そうだ、川に入ったからずぶ濡れなんだった。目の前の明治くんもずぶ濡れ。
「起きろー!!」
眠い、無理、寝たい、動けない……
「そのまま眠れないでしょ!」
温かいシャワーの跳ねた雫が肌にかかる。
なんだ明治くんも浴室にいるんじゃない。
「服脱がせて……」
「……は!? 出来るわけないでしょ!」
そっかー…………だよねぇ……
…………
……
* * *
ちよ子はふと柔らかい太陽の光で目を覚ました。温もりを感じて寝返りを打ち、ひゅっと息を呑んだ。ちよ子はベッドに横になっていて、隣では息がかかりそうな程の近い距離で明治が眠っていた。無防備で少年のような幼い表情。
ちよ子は一人、ガバリと身を起こした。
辺りを見回すと、ちよ子は自分が眠っていたベッドの他に、パソコンデスクとクローゼットのみのダークブラウン色に統一されたシンプルながら広い寝室にいた。
ここはどこ?
もう一度、ゆっくりと明治へ視線を戻した。するとさっきまで眠っていた明治が、目を見開いてちよ子を見ていた。とても驚いた表情をしている。
「な、何よ! 私だってこの状況分からないんだけど!」
まだ寝ぼけているのか明治は反論してこない。その代わりに視線をちよ子の顔から少し下へ移動させた。ちよ子もつられて自分の着ている服を見ると、ゆったりと大きい黒色のTシャツを着ていた。自分の服ではない。男モノ? ちよ子は真っ赤になって爆発した。
すると明治がガバリと体を起こし、「ごめんなさい!」と言って、逃げるように寝室を出て行った。
「何なの!!?」
壁に掛けられた時計が目に入る。現在の時刻は朝の六時半。ちよ子は一人ベッドの上で昨日の記憶を辿った。
夜、京都から東京へ戻って来て、自宅に向かっているところKIRAだと思われる男達に追いかけられ市内を走り回って、川に入って体がずぶ濡れになって、足を怪我して明治君におんぶされて、田中さんが助けに来てくれて……
睡魔に襲われながらエレベーターに乗って、臙脂色の絨毯が見えて、どこかの部屋に入って、明治君にシャワー浴びろと言われるけど、もう眠気が凄くて……
服脱がせて、と言って……?
ちよ子は手で口を覆った。
私、なんて事言ってるの!? それで明治くんに「それはできない」と言われて、自分でシャワー浴びたんだ。この服も明治くんが脱衣所に用意してくれてて自分で着たんだった。……でもそこからの記憶がない。
「あぁぁ……」
ちよ子は悶えながら、しかしずっと寝室にいる訳にもいかずに、ベッドから降りる。痛みを感じて右足を見ると綺麗に包帯が巻かれていた。
Tシャツとジャージのハーフパンツ姿で、足を庇いながらゆっくりと寝室を出ると、開放感あるリビングが広がっていた。高級な黒の本革ソファー、ラグ、アイランドキッチン、総ガラス張りの窓からは東京の高層ビル群が一望できる。
「明治君……?」
広い室内には誰もいない。置いてけぼりにされてしまったのだろうか。ちよ子は胸が痛くなった。
「はい!」
キッチンから明治がぴょこりと顔を出した。
「……何してるの?」
「あ、今近付かない方がいいかも」
明治が慌てながらちよ子が近寄るのを拒む。
「何で?」
拒絶されてちよ子はさらに胸が苦しい。
「今、た……」
「何?」
ちよ子には明治が目を泳がしている理由がよく分からないが、離れた場所から話を切り出した。
「その……、昨日は私…………」
「ん?」
「すごく明治くんに迷惑かけたよね……? ここに来てからの記憶が曖昧で……」
「大丈夫だよ」
「え、本当?」
「ちよ子ちゃんが無事か確認しに行ったら、シャワー浴びた後服だけ着て、髪の毛ずぶ濡れのまま脱衣所で横になって爆睡してたけど。俺が髪乾かして爆睡のちよ子ちゃんをちゃんとベッドまで連れて行ったから大丈夫だよ」
「%#@¥&*#¥@%!!! ごめんなさい……!!」
ちよ子の顔がまた真っ赤に爆発したところで、明治のスマホの着信音が鳴った。
「はい」
電話に出ると明治は真面目な顔つきに変わった。おそらく仕事の電話。
英語で話し始めたので、ちよ子には何を喋っているのか全く分からなかった。
「I'll get her.」
暫く喋った後、急に明治がちよ子にキッチン越しに自分のスマホを渡した。
「な、何?」
「うちの秘書がちよ子ちゃんと喋りたいんだって」
「え、英語喋れないよ?」
「大丈夫、彼女日本語喋れるから」
か、彼女……
ちよ子は恐る恐る電話口に耳を当てた。
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