第14話 明治の正体

 夜、ちよ子は自分のアパートの部屋で鏡と向かい合っていた。

 口角をニッと上げてみると、なんだか余計に恐ろしい顔になった。


 笑えない。正確に言えば、明治に対して笑えないのだと思う。愛想の良い人間ではないが、職場仲間には笑顔は出る。自分の何とも言えない明治への苛立ちが顔に出ているという事だろうか。



 五月、ちよ子は総務課課長の吉良光之助と静岡県へ日帰り出張する事になった。午後七時、仕事が終わり吉良と新幹線の乗車口へ向かった。するとちよ子のスマホが鳴る。画面には「菅原明治」と表示されていた。新幹線に乗る前だし、なんとなく通話ボタンを押す気になれず放置していると再度掛かってきた。


「どうぞ電話でしたら出てくださいね。新幹線の時間までまだありますし」


 ちよ子はすみません、と言って電話に出た。


「……何?」


『あ、


 その呼び方をすると言う事は、まだ明治は職場にいるという事だろうか。


「……何でしょう?」


『お帰りは何時頃になりますか?』


「このまま直帰ですが?」


『今日中に対応して頂きたい事がありまして、申し訳ないですが職場まで戻って下さいますか?』


 職場で待ち合わせをして一緒に帰ろうという事だろうか。自宅に帰るにはどちらにせよ会社の最寄り駅を通過するのでちよ子は承諾して電話を切った。


「今の電話相手は菅原くんですか?」


 声が聞こえていたのか。問題ある会話はしていないはず。

 ちよ子が「はい」と頷くと、吉良は顔を曇らせた。


「……ずっと言いたかったのですが……」


「何ですか……?」


「あの男は危険です」


「……え?」


 吉良からの思いがけない言葉にちよ子は血の気が引いた。


「私の親戚が国と繋がってましてね。あの男は暴力団の幹部なのです」


 暴力団。ちよ子自身もそうではないかと考えた事はある。


「本当に彼はちよ子さんの彼氏ではないのですか?」


「は、はい……」


「どうしてあの男がちよ子さんに関わっているのかは分かりませんが、ちよ子さんが美しいからですかね。気をつけて下さいね」


 気をつける?


「……でも彼がちよ子さんと付き合っていなくてよかったです。私にもチャンスがあるかもしれませんから」


 吉良がウインクをした。


 明治くんが本当に暴力団? 悪い男には思えない。男を見る目がないのだろうか。

 呆然としながらちよ子は吉良と共に新幹線に乗り込んだ。



 * * *


 新幹線が東京駅へ到着すると、各停駅で停電が起きたようで、電車が全線運転見合わせとなっていた。運転開始時刻は未定。タクシー乗り場へ向かうと長い行列が出来ていた。時計を見ると夜八時半。


「仕方がないですね、ホテルを探しましょう」と吉良が言った。


 ちよ子は「電車が止まり会社へ戻れない」と明治へメールして、自身もスマホでホテルを探した。


 吉良が隣で何件かのホテルへ電話をかけている。スマホを耳から離した後、フゥとため息をついてちよ子を見た。


「ホテルどこも空いていませんね」


「このホテル空いてそうです」


 スマホの画面を吉良へ向ける。


「そこも電話しましたが満室でした。一件だけ見つけた所があるのでそちらに向かいましょう。と、ちよ子さん、すみません、充電がなくなりそうでスマホを少し貸していただけますか? 地図を見ながら移動したく」


 ちよ子がスマホを貸して、二人でしばらく路地を歩くとあやしいネオンが輝くホテル街に到着した。


「安いホテルになって申し訳ないのですが」と吉良が申し訳なさそうに笑って、見つけたというホテルの正面玄関に到着した。なんとそこはラブホテルであった。


 ちよ子は仁王立ちで絶句した。生まれてから一度もこのような場所に入ったことはない。


「僕は他を探しますので、ちよ子さんはここで」


「え、あ、すみません……」


 一瞬、一緒に泊まるのかと思ってしまった。


「入り方分かりますか?」


「いえ、お恥ずかしながらこのような場所は初めてでして」


「ははは。では部屋までは一緒に行きましょう」


 吉良が先陣を切ってホテル内へ入っていった。

 吉良課長はラブホテルに入った事があるのか。


 部屋に入ると想像していたよりずっと綺麗だった。赤と白を基調とした少し豪華な内装。あまりビジネスホテルと変わらないように思えた。ダブルベッドで何故かマッサージチェアがあるけども。


 ちよ子が佇んでいると、吉良がフゥと溜息をついて上着を脱いでネクタイを緩めた。


「あの……?」


 もう帰るんじゃないんですか?



 それは一瞬の出来事だった。

 ベッドへ押し倒され、ネクタイで両手を縛り上げられた。

 あまりの驚きでちよ子は声が出ない。


 ちよ子の隣でベッドに座った吉良は不敵な笑みを浮かべた。

 ちよ子の全身から血の気が引く。


 吉良が足を組んでちよ子のスマホを操作する。いつのまにか機内モードになっていた設定を解除するとすぐに電話が鳴った。吉良が応答する。


「はい。今、ホテルノワールにいますよ」


 それだけ言って、ちよ子のスマホの電源を落とした。

 ちよ子が何も言えずに吉良を凝視していると、吉良がまた妖しく笑った。


「やっと彼の弱みを見つけたのです。面白いですよね」



 外が騒がしい。ガン! ガン! と部屋の扉を外側から蹴る音。それから何発かの銃声。ギィィという鈍い音と共に部屋の扉が開く。そこには拳銃を構えた明治が立っていた。


 すると突然、室内の死角から三、四人の男達が現れ、吉良を守るように前へ出た。

 どこに潜んでいたの!? とちよ子は心の中でつっこんだ。おそらく観葉植物の後ろや浴室、クローゼットの中に隠れていたのだろう。


 吉良がちよ子のこめかみに銃口をあてた。ちよ子は吉良が拳銃を持っていた事に驚くと同時に、冷たい金属が肌に触れ呼吸が止まりそうになった。


「ちよ子ちゃんを離せ! 」


「ならば死んでください」


 何故こんな事になっているのか。理解不能である。


「拳銃を捨てて下さい。少しでも抵抗すればこのひとの命はないですよ」


「くっ!」


 明治は拳銃を部屋の隅へ投げ捨て、吉良の指示に従い両手をあげた。そして四人の男達が一斉に襲いかかり明治は一方的に殴られ蹴られた。


「やめて!」


 ちよ子が叫ぶと、吉良が恐ろしく冷たい目をちよ子へ向けた。


「この男は暴力団ですよ? 今がやるチャンスなのです。演技に従って下さい」


 演技? この状況が?


 どんどんと明治がやられていく。腹を蹴られ地面に伏しても男達の暴力は終わらず今度は明治の背中を蹴る。


 光之助はベッドに座ったまま明治を見て笑っていた。

 ちよ子は覚悟を決めて呼吸を整えて、思い切り光之助の背中を両足揃えて蹴飛ばした。


「うっ!?」


 その一瞬を見逃さず明治は、近くに居た男の足を自らの足で引っ掛けて地面へ倒して馬乗りになり、素早く顔面へ一撃殴打。別の男の蹴りを避けて、男の踵に蹴りを入れて地面へ倒し殴打。明治は正確な動きで次々と男達を殴打、蹴り、投げ飛ばした。


「よくも俺の背中を」


 光之助が再びちよ子に銃口を向けた。


「やめろ! お前の目的は俺だろ!」


「ほう?」


「その子は関係ない。俺を撃てよ」


「ならばご希望通り」


 光之助が銃口を明治に向けて引き金を引いた。


「やめてー!!!」


 パンッ!という音。


 明治は光之助の拳銃を掴み、素早く蹴りを入れた。再度銃声。ちよ子は恐怖で目をつぶってしまった。取っ組み合いの中、また銃声、そして光之助が突然立ち去った。


 何が起きたのか。ちよ子が明治を見ると明治の手にはいつのまにか拳銃が握られていた。


「撃ったの!?」


「……当てられなかった」


 明治は昏い目をして言った。


「……だ、大丈夫? 銃弾当たってない?」


 明治は頷き、「それは俺の台詞」と言って、ちよ子の横たわっているベッドにギシリと体重を乗せた。そしてちよ子の腕を縛っているネクタイに触れる。珍しく真面目な顔つき。明治が覆い被さり、ちよ子の心拍数は一気に上昇した。緊張し過ぎて言葉が出ない。


「ちよ子ちゃん……」


 ネクタイを解き終えて、明治が声を漏らした。

 至近距離で見つめられ、ちよ子はその瞳に吸い込まれそうになった。


「パンツ丸見え」


 ちよ子は悲鳴をあげると共に、明治を押し飛ばした。


「ひどい!」


 ちよ子が涙目になっているとパトカーのサイレンが聞こえた。


「やべ!!」


 明治が身を起こして慌てふためき始めた。


「ちよ子ちゃん! 俺先に帰るから! 後よろしく!」


 そう言うなり走って部屋を出て行った。


 そのすぐ後に、警察官が五、六人ばたばたと部屋に入ってきた。先頭は押切おしきり刑事。一番後ろにボーッとした表情の三井祥二がいる。


「怪我はないですか?」


 すぐに女性警察官がちよ子に駆け寄る。


「あ、はい……大丈夫です」


「君! 菅原はどこ行った!?」


 押切刑事が大声を出す。


「え、あ、知りません……」


「知りません〜!?」


「は、はい」


 嘘ではない。


「チキショー! もう少しで抑えられる所だったのに!」


 押切が叫ぶ。


「押切さん、今はKIRAが最優先です」


 刑事の一人が冷静に言う。


「そうだけどぉ」


 しょんぼりしている押切を半ば放置して実況見分が行われる。


 大丈夫か? この人……と思っていると、部屋の片隅でボーッとしている三井祥二が目に入った。これまた不安な警察官である。働けよ……と思いながらも話しかけるチャンスができ、ちよ子は祥二の元へ向かった。


「あの……明治くんは暴力団なのですか?」


 祥二はちよ子がいる事に今気付いたかのように「ん?」と反応した。


「違う」


「じゃあ……何者なのでしょう?」


「……あいつはアメリカの警察」


「警察!? ……SSボディーガード協会の護衛官と言ってましたけど」


「あいつはSSボディーガード協会社長の息子」


「息子……」


 だから田中さんに「坊っちゃん」とか様付けで呼ばれていたのか。


「あいつも俺たちと同じで犯罪組織KIRAを狙っている」


「KIRA……」


「今KIRAグループは、後継者の吉良光之助が代表就任しようと活気立っている」


「……吉良光之助!?」


「光之助はKIRAグループの次期トップだ」

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