第13話 笑顔を見せて
「明治」
仕事帰りの夜八時、ちよ子が明治と二人で繁華街を歩いていると、男が待っていたかのように明治に話しかけた。シルバーネックレスにブルゾンジャケット、デニムパンツ姿で少しチャラい見た目の男。ただしどこかで見た事のある顔だ。
「おう、祥二。何その格好」
「仕事の服だ」
チャラい服装とは裏腹に、祥二と呼ばれた男はクールな雰囲気を纏っている。
「ホテルに行こう」
真面目な顔つきのまま突如祥二が言った。
「へ☆!? 俺にはちよ子ちゃんがいるからぁ〜」
明治は頬を桜色に染めて乙女な顔をした。
「つべこべ言ってないで行くぞ」
祥二がクールな表情のまま先陣を切って歩き出す。
「待てって! マジで今警護中だから」
「ならば一緒に来い」
ちよ子はやっと思い出した。この男は以前警察署で出会った事のある刑事だ。前回会った時はボーっとしてたけど今日は何故かキリリとしている。
明治はため息をついてちよ子を見る。
「あの人、あぁなったら言うこと聞かないから。ちょっとだけ付き合って貰っていい?」
「私は帰る」
「待って! ほんと少しだけだから! 俺一人であいつに付き合うと散々な目に合う」
散々な目? 逮捕されるとか? 明治はどうやら本当に困っているようなので、ちよ子は「明日も仕事だし少しだけなら」と言って頷いた。
「ちよ子ちゃん、ありがと〜」
明治が涙を浮かべながら礼を言う。
「で、祥二。どこのホテルに行くの?」
と明治が聞く隣で、祥二は眉間に皺を寄せながらスマホの画面を睨んでいる。
「東京シェリゴエホテル……」
有名なシティホテルである。
「それ、全く逆方向じゃん……」
「そう、道に迷ってたところで明治を見つけたから案内して欲しかった」
どうやら祥二は方向音痴でしかも変わり者のようだ。こんな人が警察官なの? とちよ子は疑問に思う。
「相棒は?」
「逸れた」
「おいおい、どうなってるんだよ、大丈夫か? てかそのスマホで相棒に電話すれば良いじゃねーか」
「連絡先を登録してあるスマホは会社に忘れてきた。目的地で待ち合わせるから問題ない」
問題ない? ちよ子と明治は絶句した。
祥二は一枚の写真を明治に渡した。
「この人物を見つけたら確保してくれ。本日麻薬の密売でホテルに現れる」
「なんで俺が」
「確保したら暴れ馬将軍のDVDを全巻貸しても良い」
「暴れ馬将軍!? やるやる〜♡」
何だこいつら、仲良いな……。とちよ子は呆れた。
いつのまにか、ちよ子は頼りない二人の先頭を歩き、ちよ子の案内によって目的のホテルに到着した。地上三十階建てのシティホテル。こんな所で麻薬の密売が行われるの? と驚きを隠せなかったが、祥二は東京シェリゴエホテルを通り過ぎて、二人を近くの地下へ通じる階段へ案内した。
身分証明書を提示して地下の建物内へ入ると、店内は薄暗く大音量で音楽がかかっていた。音楽のボリュームが大きすぎる。重低音がズンズンと体に響く。隣にいる明治と祥二が何か会話をしているが全く聞こえない。祥二は同僚を見つけたらしく、ちよ子と明治から離れていった。
店員へ案内されて、店内中央のソファー席へ明治と向かい合って座る。店内はとても広く、カウンター席、ソファー席、ちよ子の座る席からはあまり見えないがパーテーションで区切られてダンスステージがある。店内奥にはダーツとビリヤード台まである。
向かいに座る明治が何か言うが、大音量の音楽で全く何も聞こえない。明治はガラステーブルの上のメニューを手に取り、ちよ子の隣に座った。
「何飲みますか?」
耳元で明治が声を張り上げて言った。至近距離じゃないと会話が出来ないのである。ちよ子がドリンクメニューを見ると、カルーアミルクが一杯二千円。高い! この値段ならパフェが食べられる! 他にもっと安いものはないのかと探してみたが、どのドリンクも二千円以上だった。
ちよ子は頼んだカルーアミルクを口に含むと、普段お店で飲むものよりアルコール度数がとても強く感じた。この爆音とアルコール度数ですぐに具合が悪くなりそうだ。
「クラブ初めて?」
明治が尋ねた。
「初めて……」
「あっちで踊ってきても良いんだよー」
明治がダンスフロアを指差す。
「誰が踊るか。明治くんこそ踊ってきて良いよ」
「俺は苦手」
意外にも明治もクラブは苦手なのだろうか。自分と同じようでちよ子は少しホッとした。
「お。早速発見〜」
明治がカウンター席に座る男を見つめて言った。写真の男だろうか。明治はすぐに祥二へ電話をかけるが応答しない。「あいつ、スマホを持っている意味があるのだろうか」と明治がぼやく。
男が隣に座る女と共にカウンター席から立ち上がり、二人でバックヤードへ入って行った為、明治とちよ子も後を追った。
「ここスタッフ専用でしょ? 入るの?」
「確保しないとご褒美貰えないから」
暴れ馬将軍のDVDなんて、自分でレンタルすればいいじゃないと思ったが、いちいち突っ込むのは馬鹿らしくなりやめた。
こっそりバックヤードへの扉を開けると通路が広がっていた。両サイドにはキッチンや自販機、給湯室などがある。通路を進みT字路を曲がるとさらに長い廊下。先程の男女の男の方がいきなり引き返してきた為、ちよ子と明治は慌てて近くの部屋へ入り込んだ。
薄暗い備品室。ダンボールがそこかしこに沢山積み上げられている。男の気配が近づくのを感じ、急いでダンボールの後ろへと隠れた。
「やっぱり鍵かけ忘れてたぜ」
そう言って男は部屋に鍵をかけた。足音が遠くなってから明治とちよ子が扉の前へ行き、明治がガチャガチャと扉を動かして「ん?」と声を出した。
「何?」
「内側に鍵がない。これ、外からしか開けられない扉だ」
「え!? それって……閉じ込められたって事!?」
「大丈夫、電話するから」
再び明治は祥二に電話をかけた。プルルルルという呼び出し音が止まる。
「あ、祥二?」
『お客様のお掛けになった電話番号は、現在電波の届かない所にいるか――』
…………!
「とりあえずメールを入れておこう。そのうち折り返してくると思う……」
静かになった備品室内は廊下の光が少し入るくらいで薄暗くひんやりとして寒い。
ふとちよ子の肩にスプリングコートがかかる。
「寒いでしょ?」
明治がへらっと笑う。
ちよ子はコートに残った明治の体温を感じながら、疑問が浮かんでしまった。
「……何か下心あるの? 」
以前、明治の『誰とも付き合うつもりはない』という言葉を聞いて以来、自分への恋心は期待していない。ただ、優しくされると何か裏があるのではと疑ってしまう。
「え? 」
明治は驚いた顔をして頬を染めた。
「下心なんてないよ。……いや、ある、かな……?」
まさか頬を赤くされるとは思わず、ちよ子も赤くなってしまった。
どんな下心? と聞きたいが聞く勇気はない。
手に汗が滲む。
「あ! 変な事は考えてないよ!? 笑ってほしいな、なんて……」
「笑って……」
そういえば私、明治くんにあまり笑っていない?
廊下に複数の足音が通り過ぎていく。しばらくして更に大勢の足音。
外からはパトカーのサイレンが聞こえ、近くで音が止まる。
廊下の遠くの方で怒鳴り声が聞こえる。「大人しくしろ!」と声が響く。
「……これ、捕まった?」
ちよ子が明治に言った。
「みたいだね」
明治のスマホにヴーンとバイブ音が鳴る。画面に「三井祥二」と表示されている。少し電話した後に備品室の扉がガチャリと開き祥二が顔を出した。そして無言で親指をグッと立て、目を輝かせた。無事に麻薬売人を捕まえられたのだろうか。
祥二の後ろに複数の刑事達がぞろぞろと通り過ぎる。そのうちの一人、以前出会った中年の刑事がぴたりと止まって明治を見た。そして仲間に何か指示を出し、明治へ親指をぴっと向けると、複数の警察官が勢い良く備品室へ入ってきた。
「いやぁ〜〜〜ん!!! そこ! 触らないでぇぇ!」
警察官に取り囲まれた明治が悲鳴をあげ、またボディーチェックが行われた。
……私もいつか警察にマークされるかもしれない、とちよ子は思った。
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