第11話 あなただけ

 菅原明治は最低な男だ。

 人の事を好きと言ったり、誰とも付き合うつもりはないと言ったり……。

 これ以上あいつに深く関わってはいけない。



 翌日土曜日、

 黒服サングラスの田中からちよ子のスマホに着信が入った。


「はい」


『あ、ちよ子さーん?』相変わらずのほほんとした声。


『お粥の作り方知ってますか〜?』


「お、お粥ですか?」


『明治様が倒れてしまってぇ。はは! 笑い事ではないんですけど熱が三十九度まで上がっちゃってですねー』


「三十九度! 病院行きました?」


『病院は行ってないんですが薬はあります。一度隣の部屋まで来てくれませんか?』


 関わらないと決めた所なのに……。でも仕方がない。そう思いながらちよ子が押入れを通って明治の部屋に入ると、居間にあるベッドで布団をしっかりと被って明治が眠っていた。明治の顔は火照っており見た目でも高熱なのが分かる。


「ちよ子さ〜ん、どうしましょう?」


「とりあえず何か冷やせそうなもの持ってきます……」


 ちよ子が持ってきた保冷剤で、田中が明治の脇や膝裏を冷やした。


「明治様、最近働きすぎでしてね」


「……仕事が本当にお好きなんですね。客に気に入られようと必死。この人の嘘には付き合ってられないです……」


「嘘?」


 バレンタインデーの翌日、明治に好きだと言われたことを田中に言っても仕方がない。嘘というか、冗談を間に受けた自分が馬鹿なのか。とにかくあの「好き」に深い意味は全く含まれていなかった。


「……起きたら病院行った方がいいですよ。インフルエンザかも知れないですし」


「インフルではないんですよ。坊ちゃん自分で調べてました。医療の心得あるんで」


 坊ちゃん……、医療の心得……


「明治様、めちゃくちゃ汗かいて服びっしょりですね! 着替えさせましょう!」


 そう言うなり田中が眠っている明治の服をべろりとめくると鍛えられた腹筋が露わになった。男の裸なぞ、父のたるんだ腹くらいしか見たことがなかったので、ちよ子は顔を真っ赤にして声を失った。


「あれ? 脱がせられないな?」と田中が明治の服を色んな方向に引っ張っている。


 ちよ子はドキドキして明治の身体を注視出来なかったが、それでもすぐに気付いてしまった。最近負ったのであろう傷があることに。引きつったような古い傷もある。一体どんな生き方をしたらこうなるのだろうか。


「……この人は何者ですか?」


 ちよ子が小さく呟いた疑問に、田中は優しく微笑んだ。


「明治様はちよ子さんの味方ですよ」


「味方……」


「拳銃持ってる犯罪者のに……」


「あはは! 犯罪者じゃないですよ! だって明治様は――」


「おい」


 低い声のした方向を見ると、明治が目を細めて田中を睨んでいた。


「すみません」と田中が即座に詫びる。


 田中は何を言おうとしたのか。

 明治はまだちよ子に隠し事をしている。



「あっと! 仕事に戻らなければ! それではちよ子さん、私はこれで!」


「え!?」


「明治様の看病よろしくお願いします」


「いやそれは田中さんが――」


「体が冷えないように明治様のお身体拭いてあげてくださいね☆」


 ちよ子は無意識に田中の方向へ手を伸ばしたが、田中はサングラス越しにウインクするなりさっさと玄関の外へ出て行ってしまった。


 明治がむくりと上半身を起こした。

 田中が引っ張った服が首にとどまって、上半身裸にマフラーを巻いているような状態になっている。半目の明治と目が合い、ちよ子はまた顔を真っ赤にした。


 明治はちよ子を見て疑問符を浮かべ、その後俯いて自分の状態に気付いたようだった。


 明治が服を脱ぎベッドから立ち上がった為、ちよ子はびくりと身構えたが、明治はちよ子に声をかける事なく衣装ケースの中にある新しい服を着た。そしてズボンにも手をかけたので、ちよ子は慌てて後ろを向いた。


 その後、どさりとベッドに戻る音が聞こえた為、ちよ子はまた明治へ向き直した。


「じゃあ私も帰るね」


「……帰るの?」


「冷却シートと水とヨーグルト置いとくから」


「……ここに居てよ」


「居たら眠れないでしょ」と言うと、明治は暗い顔をした。


 ちよ子の心はまたざわついた。

 どうして簡単に人を惑わす言葉を吐けるんだろう。

 不満を言いたいが、高熱で倒れているこの男をこれ以上責める事はできない。

 ……放置する事もできない。


 ちよ子は自分の部屋から食材を持ってきて、明治の部屋でお粥を作った。

 明治は黙ったまま布団を被りちよ子を見ている。


「見ないでよ」と言うと、「ごめんなさい」と言ってゴロリと背中を向けた。


 キツく言いすぎた? でも私だって傷ついている……。


 コンロの火を消し、明治へ声を掛けた。


「お粥食べる?」


「食べる……」


 明治はのそのそと起き上がり、テーブルの上に置いた粥を口に含んだ。


「……美味しい……」


 かきこむように食べる。急いで食べなくても誰も食べやしないのに。

 しばらくして明治の箸が止まった。


「ちよ子ちゃんは本当優しいね」


「…………」


「ごめんね。まだ側にいさせて欲しい……」


 昨晩、飲み会の帰り道にちよ子が「私に関わらないで!」と言った言葉への返答か。


「……何に対して謝ってるの?」


 ちよ子は少し声を震わせながら言った。

 どうしてこの男に対してはこんなにイラついてしまうのか。


「え? と〜……。……藻手田もてたさんの飲み会に連れて行ったから……?」


 くそやろう!!



 * * *


「はい、ちよ子ちゃん。バレンタインのお返し」


 三月十四日(土)

 明治は律儀に紙袋を持ってちよ子の部屋まで届けに来た。

 ちよ子はブラウン色の上等な紙袋を玄関先で受け取った。紙袋の中のお洒落な箱にはフランス語(?)でなんとかショコラと書いている。


「色々迷ったんだけどね、チョコレートにしました」


 明治は乙女のように頬を桜色に染めてモジモジしている。


「ありがとう」


「あのね、お返しはちよ子ちゃんだけにだよ」


「それはどうも」


 ちよ子は真顔のまま一人部屋に戻り、頂いた箱を開けると、チョコレートやイチジク、ナッツの深い香りがぶわりと広がった。高級感のある宝石のようなチョコレートの数々。


 もう明治の言葉は信用しない。ただし口に含んだチョコレートは今まで食べたどのチョコレートよりも美味しかった為、大事に頂く事にする。

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