第9話 バレンタインデー

「坂部さん、総務課の女子で吉良課長にチョコレートを渡そうと思うのですが坂部さんも一緒にどうですか?」


 休憩時間、総務課の後輩女子に話しかけられた。吉良課長はいつもお土産を買ってきてくれるのでバレンタインデーにみんなでチョコレートを渡さないかという提案だった。


 吉良には以前カフェで不良達から助けてもらったので、ちよ子自身何かお礼しなければと思っていた。バレンタインデーが近いので吉良にチョコレートを渡そうかとも思いはしたが、気を使われると困るのでやめていた。その為後輩女子の提案は有難くちよ子もチョコを渡すメンバーに加えてもらった。


 仕事帰り、ちよ子はデパートのバレンタインフェアブースに立ち寄った。吉良へ渡すチョコレートは後輩女子ちゃんが選んでくれると言ったので、只々チョコレートを見るために訪れた。ちなみに明治はまた残業で側にはおらず、夜でもサングラス姿の田中が遠く離れた場所でバレンタイン限定のチョコレートソフトクリームを食べている。


 時期が時期だけにデパートはとても混み合っている。

 フランスの有名パティシエの宝石のようなショコラ。ピーターキャットの形のチョコと可愛いレトロな限定缶。貴腐ワインに浸したレーズンをコーティングしたチョコレート。どれも食べたい! とちよ子はわくわくした。

 自分用のチョコ、どれか一つ買おう。あとは……


 脳裏に浮かんだ人物をちよ子は頭を振って消した。

 あいつにはお世話になったかもしれないが、同時に迷惑も掛けられてるし、何よりチョコレートなんてあげたら調子に乗られそうだ。


 ちよ子はしばらくバレンタインフェアのブースをうろうろした後、家路についた。



 * * *


「ねーねー、今週金曜日って何の日か知ってる?」


 通勤中、明治が隣を歩きながらちよ子に喋りかけてくる。


「知らない」


「手作り食べたいなー、手作り」


 チラチラと明治がちよ子を覗き込んでくるが、ちよ子は無視した。



 * * *


 バレンタインデー当日。

 ちよ子は総務課の女子達で吉良光之助にCODIVAのチョコレートを渡した。吉良はキラーンスマイルを見せて喜び、ちよ子はまた目が眩しくなった。この日は朝から吉良にチョコを渡す女子が多く、吉良の机の引き出しの中はチョコで一杯になった。


 営業課に書類を持っていくと、昼休憩を知らせるチャイム音とともに明治に女子社員が群がった。次々に明治にチョコレートを渡している。女子の頬は桜色。笑顔で対応している明治にちよ子はなんだか苛々した。



 勤務時間終了後、会議室に置いてある湯呑み茶碗を片付けるため、ちよ子が一階上のフロアへ向かうと、普段人気のない場所から声が聞こえてきた。


「これ! どうぞ! 本命です!」


 女子社員が男性社員にチョコを渡している。やばい、これ、告白の最中だ。

 ちよ子はとっさに壁際で足を止める。壁があり二人からちよ子は見えない。


「ありがとう」


 その男性の声を聞いて血の気が引いた。


 声の主は菅原明治だ。


「もっと、仲良くなりたいなと思って」


 女子社員が明治に明るく喋る。


 ちよ子はこれ以上ここにはいれないと思い、ゆっくりとその場を立ち去った。


 それから一時間後、会議室フロアに二人がいなくなっているのを確認してから湯呑み茶碗を片付けて更衣室に入り制服を着替えた。


『今日も残業だよね? 先に帰りますね』


 スマホで明治にメッセージを入れるとすぐに返事が来た。


『俺ももう帰ります!』


 会社から少しだけ離れたダルイッスコーヒーで待ち合わせをし、ちよ子の後に明治が息を切らしてやってきた。


「おまたせ〜!」


 いつも通りの笑顔。


「……別に今日くらいボディーガードしなくてもいいのよ?」


「えぇ? なんで?」


 ちよ子の頭に先程の女子社員が浮かんだ。

 一緒に帰るべき女子がいるのでは? 何て返事をしたのだろう……、て私には関係ない。

 ちよ子は言葉に詰まった。


「外、雪降ってきたね。早く帰ろ〜」


 明治はマフラーを巻いてコートのポケットに手を突っ込んだ。持ち物は鞄一つ。


「……チョコは?」


 まさかその薄い鞄の中に大量のチョコレートは入っていないだろう。


「あ、忘れた」


「忘れた!?」


 女の子達の心のこもったチョコレートを!


「急いでたから……」


「別にそんなに急がなくてもコーヒー飲んで待ってるわよ」


「うん……」



「あんたって仕事熱心よね」


 自宅近くの夜道を歩きながらちよ子が言った。


「そう?」


「そうでしょ」


「……まぁ、働いてないと何すれば良いのか分からないかも」


 意外だ。明治は仕事より遊びが好きそうに見える。


「趣味ないの?」


「趣味かぁ、拳銃雑誌見ることかな」


「どんな趣味してるのよ」


「ちよ子ちゃんの趣味は?」


「私? 私はショッピングやドラマ見たり……お寺巡りとか」


「お寺巡りいいね。いつか一緒に行きたいな」


 明治が笑顔で言った。


 なんでそう言うこと言うかな。そんなセリフは好きな相手にだけ言ってくれ。


 アパートに着き、ちよ子は自身の部屋の玄関で「じゃあね」と言って明治と別れた。一緒にちよ子の部屋で夜ご飯を食べる事はあるが、用事がない時は玄関で別れている。


「……無いの?」


「え?」


「欲しいなぁ、チョコ……」


 明治が小さく呟いた。


「は……あんた、会社でいっぱい貰ってたじゃない」


「貰いたい相手は、ちよ子ちゃんだけだよ」


 なんで今そんな事言うの? これじゃまるで告白みたいじゃない。

 でも騙されない。あのクリスマスの夜だって……あなたは同じ顔で私を騙した。


「無いよ」


 明治くんは会社の女子が勇気を出して渡したチョコも忘れて帰った。

 人の気持ちを踏みにじるあなたに渡すチョコなんて無い。


「おやすみなさい」そう言ってちよ子は玄関の扉を閉めた。



「はぁ」


 ちよ子は部屋に入りなり大きな溜息をついた。そして冷蔵庫の扉を開ける。冷蔵庫の中には箱に入れられたガトーショコラ。


 実はちよ子の一番の趣味はお菓子作り。昨晩ガトーショコラを作った。「手作りがほしい」と明治が言っていたから。


 ……しかし、作ったところであげれるわけない。ちよ子の作ったガトーショコラも笑顔で受け取った後きっと忘れる。それにジョークだったのにという顔をされるのが怖い。初めから何も期待せず行動も移さなかったら傷つく事はない。



 翌朝、

 通勤電車の中で明治は無言だった。ちよ子は関わる事なく放っておくと、明治が恨めしそうな目を向けて口を開いた。


「吉良にはチョコを渡して、俺には渡してくれなかった……」


「は!?」


「期待してたのに」


「はあ? 吉良課長には総務課みんなで渡しただけだし! あ、あんたそんなにチョコが好きなの!?」


「そう言う事じゃない……」


 なんなのよ! 私が悪いっていうの!?



 会社に到着し更衣室に入ると、女子社員三人がひそひそと喋っていた。うち一人が溢れた涙をハンカチで拭いていた。昨日の、明治に告白した女の子だ。


 ちよ子が更衣室に入ってきた為、すぐに中断されたが少しだけ会話が聞こえた。女の子の「後悔はしてない」という言葉と、「またすぐ良い人に出会えるよ」と言う同僚の言葉。


 振られたのか……。

 勇気を出して告白した彼女は凄い。



 夜、ちよ子が明治と会社を出ると、会社の目の前に黒いベンツが停まっていた。窓から顔を出した運転手は田中。


「明治様! 早く! 駐車禁止エリアです!」


「はーい」


 明治が持っていた紙袋を田中へ渡した。紙袋の中身は沢山のチョコ。


「では!」と言い、田中の運転する黒塗りベンツは走り去った。


「……チョコ食べないの?」


 女の子の様々な想いの詰まったチョコレート。


「本命以外は食べないよ。あ、本命ってちよ子ちゃんの事ね」


「…………意味わからない」



 二人はMotto Mottoの弁当屋さんに寄ってから家に到着した。何故だか気付くと明治はちよ子の部屋のテーブルで弁当を広げている。今更帰れと言う気にもなれず一緒に弁当を食べた。


「なにかスウィーツないの? スウィーツ」


 弁当を食べ終えた明治がまったりしながら言った。ちよ子はしばらく考えてから冷蔵庫から綺麗な箱に入ったままのガトーショコラを明治の前へ差し出した。


「余り物だけど……」


 昨日自分で食べようと思ったけど結局食べなかった。

 明治は受け取ったまま動かない。


「……誰かにあげるものだった?」


「え……あ……」


 誰かって目の前にいるあなたになのですが……

 なんだか勘違いさせてる? だけど明治くんに渡す予定だったとは言えない。

 言えない……?


 ちよ子は自分の手をギュッと握りしめた。


「……あ、あんたが手作り食べたいって言ったからでしょ。だけど意味深に捉えられたら困るから自分で食べようと思ったの」


「じゃあこれは俺の為?」


 ちよ子はゆっくり頷いた。


「嬉しい……。これ、手作りなんだねぇ」


 明治は箱を開けて、10cmくらいの丸いガトーショコラにがっついた。


「美味し〜い♡」


「そ、そう、それは良かった……」


 恥ずかしくて汗が出る。緊張したくないのに緊張してしまう。


「ちよ子ちゃん、大好き♡」


 明治はちよ子の手をぎゅっと握りしめた。

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