第8話 十年前の約束
十年前 九月
実家から遠い場所に進学したちよ子は、高校の三年間、海沿いの街にある親戚の家の離れに一人で下宿していた。キッチンとトイレも付いている八畳ほどのプレハブ部屋。夏は暑く冬は寒いという事以外は満足だ。
授業が終わり堤防沿いの道を歩いていると、男の子が一人ぼーっと地面に座っていた。制服は着てないが中学生くらいの男の子。よく見ると身体中泥だらけ傷だらけ。イジメにあったのだろうか、ちよ子は無視する事が出来ず、かと言って声をかけることはできず、しばらく近くをうろついていた。
するとぎょっとする出来事が起こった。男の子がおもむろに自分のこめかみに拳銃をあてた。本物? 考えるより先に体が動いた。気が付くとちよ子は震える手で黒い金属の塊を両手で押さえ込んでいた。
「あの、ごめ……」
ちよ子には男の子がとても緊迫した雰囲気を醸し出していて、今にも――自殺しようとしているように思えた。
男の子は昏く凍てつく目を向ける。
これは関わってはいけない類だ。よく考えたらこの拳銃は本物? もし本物なら相当やばい。それとも演劇の練習?
「離せよ」
男の子がちよ子を睨んだまま声を発した。
「ご、ごめんなさい……っ」
そっと手を離すと男の子はまた拳銃を自分のこめかみにあてた。ちよ子は「やめ……!」と声を出したが間に合わず引き金が引かれた。
――が、惨事は起こらない。
男の子は何度も引き金を引く。しかし拳銃に弾は入っていないようだ。
「なんで……」
男の子はそう呟き、絶望するように酷く動揺してうな垂れた。
そして顔を上げるなり、目の前の海へ向かった。
「や、やめなさい!!」
ちよ子は慌てて男の子の服を掴んだ。
「離せ……!」
「離さない!!」
暫くして男の子は地面に崩れ、声を殺して泣き始めた。
「だ、大丈夫……?」
「放っとけ……」
そんな訳にはいかない、そう思ったちよ子は自分でも驚く提案をしてしまった。
「とりあえず……うちに来れば?」
半ば強引に男の子を引っ張って、下宿先にこっそり招き入れた。男の子は泥だらけ傷だらけで顔色が悪い。ちよ子は自分のジャージを男の子へ着るように渡した。ついでに体を拭くためのタオルも。
男の子の脱いだ服を回収しギョッとした。血の付いた包帯が服の上に重ねられていた。
「びょ、病院行く!?」
「行かない……」
「でも、病院行かないとまずい怪我なんじゃ……」
「保険証ない」
「保険証なくても見てくれるよ」
「しつこい……」
「う……。じゃあ新しい包帯持ってくる」
「包帯はもう巻いた」
ちよ子がふと男の子を見ると体に上手に包帯が巻かれていた。思わず男の子の裸を見てしまった。細く綺麗な肌だった。
くぅ〜ん
ジャージを着て突っ立っている男の子のお腹の音が鳴った。
「……ぶふっ!」
可愛い音が鳴ったのに知らないふりをしてすましている男の子に、ちよ子は堪えきれず笑ってしまった。男の子の眉間の皺が深くなる。
「ごめん。おにぎりでいいなら作るよ」
ちよ子は炊飯器に残っていた冷や飯で塩むすびを作り、男の子の目の前にある小さなテーブルへ置いた。
「…………」
男の子は無言のまま手をつけようとしない。
「食べなよ。嫌いじゃないなら」
男の子はゆっくり手を伸ばし、顔を険しくしたままおにぎりを食べた。味噌汁と二つ目に作った大きなおにぎりもペロリと食べ尽くした。ちよ子に顔を隠しているがまた少し泣いているのか、鼻をすする音が聞こえた。
「どうして助けた……」
「どうしてって、理由なんている?」
男の子は顔を背けたまま返事をしない。
「……家、帰れる?」
少し経ってからちよ子が尋ねた。気まずいが聞かないわけにはいかない。
男の子は少し黙ったあと口を開いた。
「……帰る家はない」
「家出?」
「違う」
「……家族は?」
男の子は目を見開いた。
「……家族と呼べる人間は、死んだ……」
涙が透明感ある肌に伝った。
「え! あ、ごめんなさい……!」
ちよ子にはどうすることもできず、おろおろとした。
「まさかそれで自殺しようとした!?」
男の子はゆっくりと頷いた。
「つ、辛いけどさ……、まだまだ人生これからなんだし……、何も死を選ばなくても……その、亡くなった家族も悲しむんじゃないの?」
男の子は俯いたまま口をつぐんだ。
「とりあえず……! 今日は泊まっていっていいから! ゆっくり寝なさい! 疲れてるでしょ!」
ちよ子は強引に男の子をベッドの前へ連れて行った。
「……帰る」
「え!? さっきは帰る家ないって……」
「あんたお人好しだな」
鋭い目をちよ子へ向けた。
「え……」
「拳銃持って血だらけなんて、人殺しだとか思わないの?」
「え……そうなの?」
ちよ子は青ざめた。確かに言われてみればそうだ。『家族と呼べる人間は死んだ』とはこの男の子が拳銃で殺したという事? しかしちよ子にはこの男の子が犯罪者とは思えなかった。
「あなたは……殺してないと思う……そうでしょ?」
男の子は沈黙した後、「たぶん……」と呟いた。
「たぶんかい」
男の子はかなり疲れていたようで「やっぱり借りる」と言い、ベッドにボスっと横になりすぐに寝てしまった。
深夜。スタンドライトのみ点けて小さなテーブルで勉強をしていると、男の子がむくりと起き上がった。
「あ、眩しかった?」
男の子は顔を横に振った。
「お腹減ったらそこに夕飯作っておいたから食べていいよ」
キッチンに焼きそばを置いている。
「……ありがとう……」
「いいえ」
男の子はキッチンで焼きそばを立ち食いしながらじっとテーブルの上の問題集を見つめてくる。
「……間違ってるよね」
「え!?」
「そこ、meetじゃなくてmeetingでしょ」
「英語……得意なの?」
「まぁ……」
男の子が焼きそばを食べ終わり、ちよ子の向かいに座り問題集と回答を記入したノートを見比べた。
「ここもここも間違ってる。全然だめじゃん」
「うぅ……」
年下(おそらく)に指摘されるなんて、とちよ子は恥ずかしくなった。
「そうだ! 君、この部屋に置いてあげるから代わりに英語教えてよ! 卒業するまであと半年ここは私の部屋で他の人は滅多に入ってこないから」
落ち着くまで住めばいい。
母が来た時の為に用意してある布団もある。
そうして男の子との生活が始まった。男の子は英語だけでなく数学も出来る頭の良い子だった。年齢を聞くと十五歳と言った。三歳年下。名前は教えてくれなかった。
模試の結果が良くなったと笑顔で報告すると、男の子も笑顔を見せた。ちよ子は初めてこの男の子の笑顔を見た。
一ヶ月程滞在した後、男の子は別れを告げた。また自殺を試みようとしないか不安だ。さらに名前も連絡先も知らないので寂しい。ちよ子は「また会える?」と勇気を出して言ってみたが返事はない。ちょうど夕方のワイドショーで、昔埋めたタイムカプセルを掘り起こすというテレビ番組がやっていてちよ子は閃いた。
「……タイムカプセル埋めない?」
「え?」
「将来の夢とお互いへの手紙を書いて、十年後に一緒に掘り出すの。しっかりと元気に生きてる姿を見せてよ」
十年後、男の子は二十五歳、ちよ子は二十八歳だ。
「……いいよ」
男の子が微笑み、ちよ子はどきりとした。
それぞれ手紙を書き空き缶に入れて、二人が出会った堤防近くの公園の敷地に空き缶を埋めた。そして十年後の十月十日にタイムカプセルを掘り出す約束をした。忘れないように掘り出す日付と待ち合わせ場所を記入した紙をお互いに持って。
――それから十年後。
ちよ子は約束通り待ち合わせ場所に行ったが、一日中待っても男の子は現れなかった。
十年前の約束を忘れずに現れるのは、自分自身でも気持ち悪いと思う。実際、男の子が約束を守って現れたとしても戸惑っていただろうが、元気な姿は見たかった。
ちよ子はいまだその男の子の事を忘れられない。
* * *
年齢的にも拳銃を持っているところも、十年前に出会ったあの男の子と被らなくはないんだけどな。
ちよ子は同じアパートに住むおばちゃんと立ち話をしている明治を見た。
「電球が切れちゃったんだけど、高いところだから交換出来ないのよねぇ」
「俺が電球交換しますよ」
「助かるわぁ! 吉野のお婆さん、無職の息子もいるのにアパート売っちゃって、新しいオーナーはどんな人か心配してたけど、あなたが来てくれて良かったわぁ、イケメンだし!」
「いやあ、ははは」
ちよ子は笑顔の明治を白い目で見ていた。
「……あなた達よく一緒にいるけど知り合いなの?」
おばちゃんが明治とちよ子を交互に見る。
「あ、会社の――」
「ちよ子さんの彼氏です♡」
「まぁまぁまぁ!! 言ってよ〜!! あんたでかしたわね!!」
ちよ子はおばちゃんにバシンと背中を叩かれた。
「いや、私は……」
「こんなイケメン羨ましいわぁ! 私もあと十年若ければ〜!」
「「あはははは〜」」
明治とおばちゃんが笑ってる。
おばちゃん楽しんでるし、訂正も面倒臭いからまぁいっか……
部屋に戻ってからちよ子が明治に尋ねた。
「私達って昔会ったことある?」
「えー、何それ、ちよ子ちゃん口説いてるの? 前世で出会ってるとか? いやーん♡ 運命♡」
「いやいい! 忘れて!」
人違い……か。性格は当時の男の子と似ても似つかない。
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