第6話 壁ドン。距離が近い近い!
「ちよ子さん。この書類もお願いします」
「あ、はい」
ちよ子は
総務課長の
昼休憩になり、廊下でちよ子が吉良に話しかけた。
「吉良さん、昨日はありがとうございました」
「いや、気にしないで下さい。最近は物騒ですねぇ、カフェで不良が絡んでくるなんて」
「はい……」
「気をつけて下さいね。何かあったらいつでも連絡して下さい」
「ありがとうございます。吉良さんは武道を習われていたのですか?」
昨日の吉良は軽々と不良達を倒していた。
「あぁ、学生時代に少し。ところでちよ子さんは……ごほん」
「?」
「営業の……菅原くんと言ったかな、彼と付き合っているのですか?」
「はい!? ななな、何でですか……!?」
「ほら昨日、カフェの外で彼、君を見ていたから……。今も、なんか……」
吉良は躊躇いがちに視線を廊下の奥へと向ける。ちよ子は振り返って吉良の視線の先を辿ると、壁から顔だけ出して明治がキーッとハンカチを噛みながらこちらを睨んでいた。
あいつ……!!
「何か僕、疑われているのかな?」
「違います。彼は……」
「彼は?」
何だ? 彼氏でも友人でもない。ボディーガードだとは言えないし……
「ただの同僚です」
* * *
「え! そんな事聞かれたの!?」
昼休憩、会社近くの広場にあるベンチで、コンビニ弁当をむしゃむしゃ食べながら明治が言った。
「ただの同僚だと言っておいたわよ。ボディーガードなんて言っても信じないだろうし」
下手したら笑われる。セレブでもないただのOLがボディーガードって……
「そこは彼氏って言うべきでしょう!」
「何でよ!!?」
この男、ほんと信じられない。人の心を弄びやがって……! クリスマスのときめきを返せ! いや返さなくていい。
「間違われるの、ほんと勘弁だから、会社では私に付きまとわないでよ……!」
今だって一緒にベンチでご飯なんて食べてたら勘違いされる。
ちよ子はコンビニで買ったおにぎりの封を開ける事なく席を立った。
「じゃあ」
「え! 一緒にご飯食べないの!?」
「一月に外のベンチでご飯なんて寒い!」
「待って〜! 俺も戻る〜!!」
* * *
一月末の会社の夕方にて。
ちよ子はパソコンのキーボードを叩きながら時計を見た。今日は定時に帰ると決めている。最近は明治に合わせて遅めの帰宅だったが、よく考えたら一緒に帰る義理なんてない。「狙われている」と言われたが強盗は偶然だったのではとも思う。ネットで強盗件数を調べてみると、ちよ子の住むエリアは毎年複数件の強盗が起こっているようだった。
やはりもう少し安全なエリアのマンションに引っ越した方がいいかも。ひとまず家は頑丈な鍵に変えたし毎日U字ロックもしているし大丈夫なはずだけど、いざとなったら警察に電話して……。
今日は体調が悪い。早く帰って休みたい。明治には「先に帰る」とだけメールを送り、定時に会社を出た。
大丈夫。柄の悪い人に出くわしたら、別の道を選べばいいだけだし、カフェで絡まれたのは私がじっと見てしまったからだし、強盗もたまたま。
最寄駅を降りて、足早に自宅へ向かう。
がやがやとうるさいのはいつもの事だが、暗い路地の方から爆竹のような音も聞こえる。なんでこんな場所に住んでしまったかなぁと思いながら急いで歩く。
ふと背後に人が付いてきている気がした。気にし過ぎだろうか。どんどん足音が近付いてくる気がした為、ちよ子は小走りをした。
曲がり角を曲がった途端、前方から急に誰かに手を掴まれて細い路地に連れ込まれた。
「!?」
「大声出さないでね……」
聞き覚えのある声。
顔を上げると路地に連れ込んだ男は明治だった。ちよ子は明治の両腕の中に収められ、息がかかりそうな程距離が近い。
まさに壁ドン。驚きのあまりに絶句していると「ごめん……」と明治が離れた。
「ここで待ってて」
明治は小声で言って、すっと通りに出て行った。
遠くでパンパンッと音が聞こえた。その後の騒がしい声。
ちよ子は恐ろしくなり足が震えた。
暫くして、明治から電話がかかってきた。
『もう帰っていいよ』と一言だけ言われた。
それだけ? 一緒に帰ってくれてもいいじゃない。と思いながら同時に明治の事が心配になった。
「あの……明治くんは大丈夫……?」
『うん、大丈夫』
そう言った明治の声はいつもと違って少しドライ。
「じゃあ、先帰ります……」
『ん』
すぐに電話が切られた。
ちよ子は不安な気持ちのまま立ち上がり、一人アパートの方角へ歩いた。
無事にアパートの部屋へ戻り、上着をハンガーに掛け、服を脱ごうとしてギョッとした。白いニットに真っ赤な血が付いていた。お腹の部分のみ血痕が付着している。念のためニットをペロリとめくり腹を確認するが怪我はしていない。
自分の血ではない。ちよ子の脳裏に明治の顔が浮かんだ。ちよ子はすぐにスマートフォンを取り出して通話ボタンを押そうとしたが指を止めた。先程の明治の声を思い出した。電話をすると迷惑かもしれない。胸がきゅっと痛んだ。しばらく画面を見つめたままでいたが、やはり通話ボタンを押した。
プルルルル……
すぐにでない。
プルルルル……、何度目かの呼び出し音で電話が繋がった。
「明治くん……?」
『あ、ちよ子さん?』
明るい調子で電話口に出たのは明治ではなかった。
『田中です〜。ちょっと明治様、下手こいちゃいまして。でも大丈夫なので心配しないで下さいね。あ、今日はそちらに帰りません』
「え! それって本当に大丈夫なのですか?」
『あははは、いつもの事ですから! ちよ子さんは大丈夫ですか?』
「あ、私は別になんとも……」
『そうですか良かったです。今うちの他のボディーガードがアパートを警護してますから心配せずお休み下さい! それではまた明日〜』
通話が切れてしばしちよ子は茫然とした。
* * *
夜、明治が心配で布団に入っても中々寝付けなかった。
アパート外の共有廊下から足音が聞こえる。そしてちよ子の隣の部屋の鍵がガチャリと音を立てて開いた。
ちよ子がゆっくりと押入れの戸を開けると、押入れ奥の壁だった場所に取り付けられている黒いカーテンから光が漏れていた。押入れ奥の壁は、リノベーションにより取り外されていて、隣の部屋へと繋がっている。
明治と田中の声が聞こえてきて、ちよ子はホッとした。
「失礼します」と声をかけると、明治が「どうぞ」と応えた。
押入れを通ってカーテンを開け部屋に入ると、明治がベッドの端に腰を下ろし、その側で田中が立っていた。田中はいつもの朗らかな顔でぺこりと挨拶をして「それでは明治様、僕はこれで」と言い玄関を出て行った。
田中を目で追い、明治は気まずそうな顔をしたのでちよ子はまたズキンと胸が痛んだ。こちらの部屋に来たのは行けなかったのだろうか。心なしか重たい空気にちよ子は戸惑った。先に言葉を発したのは明治だった。
「ちよ子ちゃん、先に退社しないでよ」
「……メール入れたけど」
「OK出してないし。その後、もうちょい待ってってメール入れたのに」
「えぇ!? そうなの……?」
「狙われてるって自覚持ってくれなきゃ困るよ」
「ご、ごめんなさい……。怪我したの? 大丈夫?」
「かすり傷だから大丈夫」
「……酷いようなら病院行きなさいよ?」
明治は「うん」と言い、微かに笑った。
いつものように会話が続かない。明治が負った傷が気になる。先程一瞬だけ脇腹に手を置いていた。腹に傷を負ったのだろうか。ちよ子はジッと明治の腹部を見つめた。
「……ちよ子ちゃんがチューしてくれたら元気になるよ」
「は!?」
明治がニッコリ笑顔をちよ子に向けた。
「するわけないでしょ!!」
ちよ子は明治に背中を向けて、ぎこちない動きで押入れから自分の部屋に戻った。
また茶化された。自分のせいで怪我を負わせてしまったのに。しっかりと謝れず申し訳ない気持ちだった。
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