第5話 ライバル、吉良光之助の登場
「遅い! 先行くわよ!」
「待ってぇ〜……」
月曜日の朝、身支度の遅い明治を置いてちよ子は玄関の扉を開けた。
「ひぇ!!」
ちよ子は驚いて変な声が出た。扉を開けた途端、目の前に黒スーツを着て、真っ黒なサングラスをかけた男が一人立っていたのである。
「おはようございます、坂部ちよ子さん」
その男がのほほんと言った。歳は三十代半ばくらいだろうか、ちよ子の知り合いではない。
「おはようございます、明治様」
ちよ子の後ろに追いついた明治にも笑顔で挨拶をした。
明治様……?
ちよ子が明治に振り向くと、明治は怪訝な顔をサングラス男に向けていた。
「様、は止めろって言ってるだろ?」
「すみません、つい癖で」
終始ほんわかした笑顔で男が答える。
「表に車を止めています」
そう案内した先の車を見て、さらにちよ子は驚いた。
黒塗りベンツ!
もしかしてヤクザ? でも明治くんは犯罪組織の壊滅を担ってると言ってたし、あ、ヤクザ同士の争い?
「……ヤクザじゃないよ?」
明治が先手を打って言った。
田中と名乗った明治と同じくSSボディーガード協会に所属するサングラス男が「会社までお送りします」と言ったが、黒塗りベンツに乗る気になれず、ちよ子はいつも通り電車に乗った。隣には明治と田中が立っている。
「だから黒塗りベンツは止めろと言ったのに」
「公用車があれしかないんですよ」
などと訳の分からない話をしている。公用車がベンツて……。ちよ子は話には参加せず他人の振りをした。
電車がどんどん混んでくる。女性専用車両に乗らなかった事を後悔。ちよ子は鞄を前に持ち開閉ドアの横に流れた。車内は人で混み合っているが押されることはなかった。目の前には明治がいて、さりげなく周囲から押されないように守ってくれていた。ちよ子は終始、下を向いて明治と目を合わさないようにした。
会社の最寄駅に到着して外の空気を吸い足早に歩く。先程の満員電車のお礼はなんだかむず痒くて言えない。
「ちよ子ちゃん、歩くの早いねー」
ほんわかとした笑顔で明治が言う。
「毎日同じ道歩いてるからね」
ちよ子は前を向いたまま淡々と言った。
「日本人はせかせかしすぎだよねー」
あんたも日本人だろが! あれ、違った?
しかしちよ子は明治について深く尋ねる気になれなかった。まだまだとんでもない話を持っている気がするので、朝の忙しい時間帯にはとても聞けない。
足早に階段を上る。
「あんた……、私のボディーガードって言ったわよね、……ハァハァ」
「はい♡」
「つまりは……、私の……、ボディーガードをする為に……ハァハァ、うちの会社に……ハァハァ、来たのよね」
「はい♡」
階段を上り終えて一旦立ち止まり呼吸を整える。
「あんた……、普通に営業マンとして馴染みすぎじゃない?」
明治はニッコリ電気株式会社海外事業部営業課の売り上げ上位者で、入社して数カ月だが幹部の評価は高い。職場ではひっきりなしに電話が鳴り常に忙しいイメージだ。
ちよ子の問いに明治の顔が曇った。
「正直……頑張りすぎちゃった……」
まじか……。そこは要領よくいけないのかいっ!
「……いつまで私のボディーガードをする気?」
「ちよ子ちゃんが狙われなくなるまでかなぁ」
「それってどのくらいかかるの?」
「今うちの社員で懸命に働いてるから、まぁ半年以内でどうにかしたいねぇ」
半年……
* * *
会社が見えてきたところで、ちよ子は明治に離れて歩く事を提案した。
「えぇ〜、寂しい〜!」
「変な噂が立ったら嫌でしょ!?」
「どんな噂?」
明治が目を輝かせて尋ねる。
この男は私をからかって遊んでいる……。ちよ子は明治の質問を無視する事にした。
「分かっていると思うけど、私達の関係や同居については内緒よ!?」
「はぁい」
いつのまにか居なくなっていた田中を置いて、ちよ子は明治より先に会社へと入った。
勤務時間中、書類を届けに営業課へ行くと、明治は懸命に働いていた。営業事務の女の子に話しかけられて爽やかに対応している。頼れる営業マンを演じている。
……猫かぶっちゃって。あんたの素はそれじゃないでしょ。
ちよ子は銃を発砲した時の明治を忘れない。
ちよ子が営業課にやってきて明治の表情がパアッと明るくなった。その顔やめてよ! と言う思いでちよ子は明治を鋭い目で一瞥した。
勤務時間終了間際、明治からちよ子のスマートフォンにメッセージが入る。
『一緒に帰るから待っててね』
ちよ子も定時通りには帰れそうになく残業をした。夜七時。営業課に顔を出すとまだ明治は仕事をしていた。ちよ子は『会社の隣にあるダルイッスコーヒーにいる』とメッセージを送り、制服から私服に着替えて会社を出た。
ダルイッスコーヒーに入ると、今朝会ったサングラス男の田中が店内の奥でコーヒーを飲んでいた。明治がいない間は田中がボディーガードを担当しているのかもしれない。ちよ子は目が合った田中にペコリと頭を下げ、レジでカフェモカを頼んで、田中から少しだけ離れた席に座った。
田中は、明治のようにちよ子の領域に無断で入ってくる事はなく、距離を保ってくれているようだ。一人、雑誌を読みながらまったりと過ごしている。
ちよ子がダルイッスコーヒーに入店してから三十分後、自動ドアから柄の悪い男達が四人入店した。パーカー姿にダボついたズボン。ガムをくちゃくちゃと噛んでいる。お洒落なカフェより路地裏が似合いそうな奴ら。ちよ子は、以前アパート前で自身と明治をバッドで襲ってきた不良達を思い出した。
もしかして、同じ人達……?
前回は水族館に行った帰りで日が落ちて暗かったので、不良達の顔はよく覚えていない。ちらちらと不良を覗いては落ち着きなくそわそわしていると、不良の一人と目が合ってしまった。
「あぁ!? 何だ? 俺の顔に何か付いてるってのか!?」
あぁ、やってしまった……!
ちよ子は田中に顔を向けると、田中は慌てふためいて電話をしていた。
「あ! 明治様〜! 助けて下さ〜い……!」
え、田中さん戦わないの……?
「おい! まさか警察に電話してるんじゃねーだろーなぁ!」
不良達がドカドカとちよ子と田中に近付いてきた。絶体絶命。と思ったその時、落ち着きある男性の声が不良達の後ろから聞こえた。
「君たち。何をしているのかな?」
「あぁ!?」
その人物を見て、ちよ子は驚いた。
ニッコリ電気株式会社総務課課長の
「こんな所で大声を出すのは良くないよ」
「あぁ!? 何だよオッサン!」
いきなり不良の一人が吉良へ殴りかかった。周囲が悲鳴をあげる。ちよ子が声を失った一瞬、何が起こったのか分からない速さで不良がくるりと宙を舞い地面へと叩きつけられた。
「この野郎……!」
他の不良達も吉良へと襲いかかるが、次々と手首を掴まれ地面へなぎ倒されていった。そして地面に叩きつけられた痛みで叫び声を上げて不良達は外へ逃げて行った。
「ふぅ……」と吉良が手を合わせてぱっぱと埃を払い呼吸を整えると、見事な倒し方に店内のお客さん達が拍手を送った。
「大丈夫でしたか?」
キラキラとしたスマイルで吉良がちよ子に尋ねた。
「はい……」
ちよ子もつられて笑みを返した。
「恐ろしい人達がいるもんですね。女性にいきなり喧嘩を売るなんて」
「そうですね……」
先程の不良達も明治の言っていたちよ子を狙う奴らなのかもしれない。
「あの、助けて下さりありがとうございました」
「いえいえ、女性を助けるのは男の役目ですよ」
吉良はまたキラキラと白い歯を見せて笑った。ちよ子には後光が見えた。
ふと強い視線に気付き、窓の外を見ると、明治がカフェの窓ガラスに顔を押し付け、こちらを恨めしい目で睨んでいた。
なんなの、アイツ。
「ではちよ子さん、僕はこれで」
キラーンスマイル! ちよ子は眩しくて目を細めた。
「はい、ありがとうございました」
* * *
「あいつと仲良いの?」
帰り道、明治が重い表情でちよ子に尋ねた。
「仲良いって……私の直属の上司よ。総務課の課長」
「知ってる……、アイツはやめた方がいいよ……」
「は!?」
なんなのよ、私が誰と仲良くしようとあんたには関係ないでしょ!
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