第3話 菅原明治は何者?

「もが…っ」


 背後から誰かに口を塞がれたちよ子は、言葉が出せないまま部屋の壁際へと引きずられた。


「……!!」


 口と体を押さえ込まれて恐怖で慄いていると、背後の男が声を出した。


「静かに……」


 その声を聞いてちよ子の身は凍った。


 信じられない。


 ちよ子が振り返ろうとすると、玄関から居間に入るドアが「キィ…」と音を立てて動いた。


 瞬間、「バスッ…!」という音が鳴り、ドアを開けて居間に侵入した黒ずくめの男が倒れた。その直後に玄関からカンカンっと階段を降りていく足音も聞こえる。


 ちよ子の背後から伸びる男の腕の先には、真っ黒な金属の塊、拳銃が握られていた。


 発砲したのは――、菅原明治だった。



 * * *


 目を覚ますと、ちよ子は自分の部屋の布団に寝ていた。

 時計は深夜二時。だが部屋は蛍光灯の明かりが点いていて眩しい。


 電気消し忘れた……?


 視線を感じ、ハッと目を見開いた。


「目覚めた?」


 ちよ子が眠る隣で、菅原が座ったまま微笑んだ。


「明治……くん……!?」


 素早く状態を起こした。

 自分がパジャマ姿なままと言う事に気づき、座るなり体を布団で隠した。


「なんでここに……、どう言う事……?」


 混乱するちよ子をよそに、明治は冷静に名刺を差し出した。


「私、こう言う者です」


 こう言う者って言ったって、その名刺を発注したのは私なんだけど?


 と思いながら名刺を見て驚いた。ニッコリ電気株式会社の名刺じゃない。


 高級感ある質感にお洒落なデザイン。記載されている情報は全て英語表記だ。


「あ、ごめん」と言って、明治は名刺を裏返した。裏面は日本語表記の名刺となっていた。


 SSボディーガード協会 東京支店

 護衛官

 菅原明治

 TEL : 090-〇〇〇〇-△△△△

 MAIL : 〇〇〇〇@△△△△

 WEB : 〇〇〇〇-△△△△.com


「ボディーガード……?」


「はい」と明治が笑う。


 ちよ子はぼーっとしながら、先程の光景を思い出した。部屋に誰かが侵入したところ自分の後ろから明治が……。ちよ子は慌てながら玄関を見るが倒れた男はいない。床に血も付いてはいない。


「あぁ、死んでないよ。捕まえただけ。これ麻酔銃だから」と言って、明治が懐から拳銃をチラつかせた。少し見えただけでちよ子はビクリと震えた。


「驚かせて申し訳なかったけど緊急事態だったから」


 事態が飲み込めない。ボディーガード? 何を言ってるの? あなたはうちの営業マンでしょ? 何でうちに強盗が。明治くんよくタイミング良く来れたな。


「……本当にボディーガードなの?」


 明治こそ強盗か何かなのではないか?


「ウェブサイト見たり、会社に問い合わせてくれていいよ」


「……どうやってこの部屋に入ったの?」


 ストーカー?


 明治は「そこから入った」と言って部屋に一つだけある窓を指差した。


「開いてたんだ……」


「いや? 開けた」


「はい!? どうやって」


「ちょっといじったら簡単に開くよ。窓ガラスは割ってないよ」


 マジか……、鍵をしていてもそんなに簡単に開けれるんだ。


「よく……強盗に気付いたね……」


 明治に自宅アパートまで送り届けられてからだいぶ時間が立っていた。


「あぁ、それは警護してたから」


「は……?」


「最近この辺りパトカーや救急車がよく来てたでしょ? 物騒になったとちよ子ちゃんも言ってたでしょ。水族館の帰りにちよ子ちゃんの家の前にいたチンピラも全部ちよ子ちゃんを襲うためにやってきたんだよ」


「……何言ってるの……? 何で私が……」


 ヤクザやチンピラに恨みを買った覚えは全くない。


「それがねー、……よく分からないんだよね。だからニッコリ電気に入社したんだ」


「だから入社した……?」


 明治の話についていけない。


「ちよ子ちゃんが狙われてるから、ニッコリ電気に入社したの」


「は……?」


「側にいた方が守りやすいでしょ? 総務課は入れなくて営業課に配属されちゃったけど」


「…………。」


 つまりはニッコリ電気海外事業部営業課の菅原明治は仮の姿で、本当の姿はボディーガードってこと? 「営業マン」でいる事もボディーガードの仕事の一つで……。


 ちよ子は重大な事に気付いた。


「……なんで映画館や水族館に誘ったの……」


 不吉な予感。


 明治が笑って言った。


「あぁ、接点が必要だったから。土日も護れるでしょ?」


 ちよ子は口を震わしながら合点がいった。


 手を繋がなかったのも、好きだと言われなかったのも、仕事だったから。


「素性もバレた事だし、これからは堂々と警護させて頂くね」


 ニッコリと笑顔見せる明治に対して、ちよ子はワナワナと震えて顔を真っ赤にして「出て行ってよ! 」と叫んだ。



 午前四時。まだ外は真っ暗。強盗に入られた部屋で眠ることは当然出来ずにちよ子はパソコンをいじっていた。


「何見てるの〜?」


 畳の上にゴロリと転がっている明治がちよ子に尋ねた。


 出て行けと言ったのに、明治は全く気にする事なく人の家で寛いでいる。


 出会った当初と雰囲気が全然違うんだけど……。会社での明治はもっと爽やかだったというか、どこか謙虚で思い遣りがあって……あれは幻だったのか?


 ちよ子は頭が痛くなりながら、キーボードをタイピングした。


「都内、ワンルーム……家探してるの?」


 住宅情報サイトを見ているちよ子の横から明治が顔を出した。不覚にもドキリとしてしまう。


 この数ヶ月、意識してしまっていた自分が馬鹿らしい。明治が腹立たしい。でももうこの男の事は信用しないと決めた。正体を隠して自分の心を弄んだ明治を許さない。


「早急に引っ越しする」


 ちよ子は目を合わさずに答えた。


 家賃五万円以下、オートロック、24時間セキュリティ、治安の良い場所など細かく条件を入れると、今の家より部屋が相当狭い。


「この部屋なら簡単に窓開けられる〜」


 頑張って検索した物件に明治が口を出し、ちよ子はイラっとした。

 良い部屋など分からない。先ほどの強盗の事を思い出すと怖ろしい。


 黙っているちよ子の顔を覗いて明治が言った。


「俺の家来る? 安全だよ?」


「行くか!!」


 ちよ子は苛立ちピークで叫んだ。普段冷静なちよ子だが、こんなにも感情を剥き出しにしている自分自身に驚いた。それ程までにこの男はちよ子を苛立たせる。


 ただ平凡に過ごしたいだけなのに、なんで狙われてるって言うの……?


 暗い気持ちになってきてちよ子は黙った。


「ごめんなさい……。今の家で大丈夫だよ」


「へ……?」


「その代わり、俺も住まわせて?」


「は!?」


 ちよ子は真っ赤になって驚いた。


 何かあったらどうするのよ。いや、この人私に興味ないけど……。


「どこに住むのよ!?」


 ちよ子の家は1DK、八畳くらいの和洋室。キッチン周りのみフローリングで残り四畳程は畳になっている。収納場所は押入れ一つ。一緒に住むとなると畳の上に布団を二つ並べるくらいしか出来ない。


「押入れ空けてくれたら」


「ドラ〇もんかい! ……布団もないわよ」


「ちよ子ちゃん彼氏いなかったの?」


 は? デート誘っておいてそんなこと言う!? こいつ……


「いないわよ!!」


「んじゃ今日買いに行こ」


 明治がにこりと笑う。


 確かに押入れなら横に並んで寝ることもないし、また強盗が来ても頼れる。下手に引っ越しても仕方がないというならドラえ〇んになってもらう……?


「……その前に一つはっきりさせておきたい。私達、付き合ってないよね?」


「え? うん……」


 あぁ、やっぱり……。良かった早まらなくて。もう学生時代のように恋に盲目になって傷つきたくない。


「付き合いますか?」


「付き合わない!!」


 明治との奇妙な同居生活が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る