第2話 明治と初デート

 クリスマス、浮いた話一つもない年齢=彼氏無しのちよ子にデートの誘いが舞い込んだ。いや、デートくらいは学生時代に何度かした事はあるのだが。


 ともかくちよ子と何処か一緒に出掛けたいと珍しい事を言う男の名前は菅原明治。

 ちよ子と同じニッコリ電気株式会社の海外事業部営業課に所属する若手のホープ。

 彼は長い間アメリカに住んでいて、有名なアメリカの大学を卒業しているとかで、現在海外部門を強化しているニッコリ電気にスカウトされて中途入社した。まだ入社して間もないがすでに社内上位の売り上げを出しているエリートだ。


 そんな男とデートする事になったとはちよ子自身も信じられないが、土曜日に二人で映画館に行くことになった。


 商業施設ビルの前で待ち合わせ。ちよ子が到着した数分後に菅原も到着した。


「待ちました?」


 少し息を切らして菅原が言った。


「いえ、全く」


 ぎこちなく挨拶を交わした。


 菅原はネイビーのチェスターコートを羽織って、ブルーのボトルネックニットの下にシャツを合わせて、黒のパンツを履いている。

 ちよ子はベージュのコート、白のニット、ボルドー色のスカート姿だ。肩には小さなショルダーバッグを持っている。


 二人は待ち合わせ近くの店でパスタを食べた後、映画館へ向かった。


「観るのは『穴と雪の大王』でしょ?」


 菅原が微笑みチケット売り場に向かう。


「え! あ、いや、菅原さんは何か観たいのないの? アクション映画とか……」


「アクションも好きだけど、ちよ子さんの好きなの観ようよ」


 いつのまにか敬語をなくして笑顔を絶やさない菅原に、ちよ子はドキドキだった。


 映画を楽しんで、その後商業施設内をぶらついたり、カフェに入ったりして、夕方に駅構内でお別れをした。


 あれれ? 告白はなし? そういうもの?


 クリスマスの夜、ワインショップでちよ子が来るのを待たれ、デートに誘われたものだから、ちよ子は気持ちの準備はできていた。


 会社の合間にお喋りする事はあっても、二人きりで出かけるのは初めてだから、すぐすぐ告白されるものでもないのかもしれない。焦り過ぎだった? それともやっぱり私なんて……


 寂しい気持ちと不安を抱えながら、ちよ子は一人電車に乗った。するとメールを知らせるバイブ音。菅原からだ。


『今日は楽しかった。また遊ぼう』


 その一言にホッとして嬉しくなった。


 自宅のアパートに着くまでの間、菅原とメールを交わし、年が明けてから水族館に行く事が決定。ちよ子は浮かれた気分で一人暮らしの自宅アパートに戻った……



 ◇ ◇ ◇


 アパートの向かい、中層ビルの屋上に男が一人。


『楽しみにしてる!』


 親指で素早くスマートフォンを操作し、文字を入力して坂部ちよ子宛へメールを送信した。


 その後すぐに男のスマートフォンに着信音が鳴る。


 ビルの屋上は風が強く寒い。白い息を吐きながら男は「はい」と言ってスマートフォンを耳に当てた。


「対象と接触した。あぁ、問題ない」


 一言二言話した後、電話を切る。


 男の手には紙切れが一枚握られていた。そこにはちよ子の写真と細かい個人情報が記載されていた。



 ◇ ◇ ◇


 新年を迎え、仕事が落ち着いてからの土曜日。ちよ子は菅原と水族館に来ていた。水中トンネルを歩いたり、大きな水槽の中にいるジンベイザメを見て楽しんだ。側から見たらどう見てもカップル。


 水族館の外に出て、二人で園庭を歩いた。花や木々が植えられていて歩くだけでも楽しい。ふと目の前に一人で泣いている幼い男の子がいた。


「どうしたの?」


 ちよ子が側に寄った。膝が少し擦り剥けている。コケたのか。ちよ子は鞄からハンカチを取り出して怪我した場所に付いている砂を軽く払った。


「お父さんかお母さんは?」


 周囲を見渡すがそれらしい大人がいない。男の子は泣いたままで質問には答えてくれなかった。


「迷子、だよね……?」


 そう言ってちよ子が菅原を見ると、菅原がゆっくりと頷いた。


 ちよ子は持っていた絆創膏を男の子の膝に貼り、インフォメーションへ連れて行った。するとそこにはすでに母親がいてちよ子に泣きながらお礼を言った。


「ちよ子ちゃんはお人好しだね」


 インフォメーションセンターの外に出ながら菅原が言った。


「迷子だもん。放っておけないでしょ?」


 ちよ子は、初めての「ちゃん」呼びにドキドキしながら顔を赤らめて言った。


「そうだけど。絆創膏持っているとか凄いなと思って」


「あぁ、靴擦れした時にも使えるしね」


「そか……。ねーねー、ちよ子ちゃん」


「なに?」


 またの「ちゃん」付けと愛想の良い菅原にちよ子は狼狽えた。


「明治って呼んで?」


「へ……」


 少し躊躇いがちにちよ子は「明治くん」と呼ぶと、菅原は喜んだ。


 水族館からの帰り際、すでに日が落ちていた為か、菅原が家まで送ってくれることになった。菅原の家の場所を聞くと高級住宅街だった。


 アメリカの大学出身で営業部のエースだもんね……


 ちよ子は自宅を案内するのが恥ずかしい気持ちになった。


 ちよ子のアパートは、築38年、4階建、18戸の1DK和洋室。オートロックはなし。全体的に決して綺麗ではないが、駅から徒歩15分以内で家賃が安い。


 まさか部屋の中までは来ないよね……


 ちよ子はまた緊張してきた。


 最寄り駅を降りると周囲はどっぷりと暗くなっていた。歩道を歩いていると隣をパトカーと救急車が通った。


「最近この辺り物騒なのよ」


「えぇ?」


「ガラの悪い人が増えていて喧嘩もあるみたい」


「えー、駄目じゃん」


「前までは静かな街だったんだけど……」


「じゃあ、俺が毎日送ってくね」


 それってどういう意味……


 ちよ子は心臓をドキドキさせながら俯いた。


「……でも明治くんの方が仕事遅いじゃない」


「頑張って早く切り上げる」


「ありがとう……」


 頰が熱くなるのを感じたのも束の間、ちよ子はサッと血の気が引いた。

 アパートの手前に四、五人の柄の悪い男達がたむろしていた。手にバッドを持っている者もいる。ちよ子達に気づいた男どもは、ゆっくりとこちらに向かってきた。


 ちよ子は慌てて菅原を見た。


 逃げないと……


 すると菅原は口角を上げ、驚きの言葉を発した。


「懲りないね。まだやられたりない?」


「あぁん!?」


 男達がこちら目がけてバッドを振り上げた。


 やられる!


 ちよ子は恐ろしさのあまり目を瞑り身体を固めた。


 が、何も起こらない。空気を切るような音とドスッという鈍い音、「うっ」と苦痛の声が聞こえる。ちよ子が恐る恐る目を開けると、すぐ隣に大きな男が倒れた。他の男が怒号し明治に襲いかかる。明治は男の攻撃を軽々と避けて、地面に薙ぎ倒し顔面に一撃殴打。その次に襲ってきた男には、足を高く上げ地面に蹴り落とし殴打。一連の動きがとても早い、流れるように正確に打撃を与えていく。


「うっ……! 覚えてろ!!」


 男達はよろよろと暗闇を走り去って行った。菅原は動じることなく着衣を整えた。


「大したことなかったね」


 余裕な声。


「だ、大丈夫?」


「大丈夫だよ」


 菅原がにこりと笑った。


「ちよ子ちゃんこそ大丈夫?」


「うん、私は……」


 体がとても震えているのに気づいた。


「送ってくよ」


 菅原が優しい口調で言った。


 アパートの階段を上り、鞄の中にある鍵を探す。震えて鍵を地面に落とすと、菅原が拾い玄関のドアを開けた。


「おやすみ」と菅原。


「おやすみなさい……」


 玄関の扉が閉められた。


 眠れない。にこりと笑った明治くんの顔はどこか恐ろしかった。

 5人もの男を倒した明治くんは何者? 格闘やってたの?

 それを質問させてくれる雰囲気なく帰された。



 深夜一時。


 暗闇の中、ちよ子は布団に入って眠れず過ごしていると何処からか物音が聞こえてきた。


 ガチャ…、ガチャガチャ……


 音の聞こえる方向へそろりと歩き、玄関のドアを凝視してちよ子は蒼白した。


 ドアノブが動いている。そして鍵がゆっくりと――


「もが…っ」


 ちよ子は背後から誰かに口を塞がれた。

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