未来とは 第十七部


「それじゃあ、私はそろそろ──」


 坂波さんが立ち上がり、俺も不意に時計を気にすると時刻はすでに一八時を回っていた。


「もう、こんな時間。ごめんね、こんな時間まで話し込んで」

「ううん。綾ちゃんが謝ることないよ。私もすごく楽しかった。それに、綾ちゃんとこうしてまた話せるのが嬉しいから……」


 今まで会えなかった時間を思い出すかのようにしみじみと坂波さんはその言葉を口にする。それは、時間さえなければ永遠にこうして話していたいという坂波さんの表れでもあった。


「大丈夫だよ。私がこうして入院している間は暇だから。春ちゃんの暇な時にでも来てよ。あっ、でも私たち受験生か……」

「ううん。絶対来る」


 綾さんが心配した受験生であることをすぐにはねのけ、また来ると断言する坂波さん。まぁ、この二人はどちらも受験に失敗するように見えないし、俺が心配するほどのことでもないだろう。


「緑川くんもありがとう」


 坂波さんは、ずっと綾さんの方を見ていた視線を俺の方へと向けてくる。突然のことで少し驚いたが、冷静に坂波さんの目を俺も見る。


「いえ、自分はなにも……」

「いいえ、緑川くんがいなかったら、今日のこの時間はなかった。だから何度でも言わせて。ありがとう」


 綾さんの寝ているベッドを挟んで、坂波さんは俺に対して頭を深々と下げた。彼女は頭が目の前にあるベッドにつきそうなくらい深いお辞儀をした。

 ただでさえ他人に免疫のない俺がこんなにも丁寧で感謝されるようなことがなかったので、どう対応したらいいかわからなかった。


「い、いえ……」


 綾さんのことでこれまで生きてきた中でここ一年、一番人と話していたと断言しても間違いではないだろう。ゆえに、コミュニケーション能力も少しばかり向上していると思っていたが、それは俺の勘違いに過ぎなかった。

 今まで話してきた人たちは表面だけの付き合い。それこそ、その日限りの関係に過ぎなかった。今回話したら次に会うことはないと高を括っているからこそ話ができていたのだ。

 それは綾さんのご両親だってそうだ。綾さんのことで一番関わってきた人の中で最も長く、そして深く関わった人ではあるが、あれだけ年が離れているとそれ以上の関係になることは難しい。ましてや、自分の娘を事故に合わせた張本人。それも、しょうがないだろう。


 しかし、坂波さんはほとんど同年代で、まだ知り合って浅いし、会った回数だって片手で数えられる。にもかかわらず、これだけの関係を持つのにはいささか勇気のような何かが必要になってくる。


「どうせだったら、綾ちゃんも健くんって呼んだら?」

「えっ?」


 俺と坂波さんとの会話に綾さんが突然割って入る。

 その突然の行いに俺はもちろん、坂波さん自身も驚いていた。


「どうしていきなり、そうなるんですか……?」

「だって、今日を境にもっと仲良くなるかもしれないじゃん。なら、いつまでもよそよそしい感じになるなら、一気に親しい関係になった方がいいかなって」

「それにしても、突然すぎると思いますけど。坂波さんだって、突然そんなこと言われても──」

「たけるくん……」


 俺が綾さんに文句の一つや二つを言おうとしたその瞬間。坂波さんから俺の名前を呼ぶ声が返ってきた。


「え……」


 病室に音がなくなり、その状態が進むごとに坂波さんの顔を赤く染まっていった。


「それじゃあ、私は帰るから! それじゃ──」


 坂波さんはまるで逃げるように病室から出ていき、病室には綾さんと呆気にとられてしまった俺が残っていた。


「青春してるね〜」

「何いってんるんだよ……」


 冗談だとは百も承知だが、初めての感覚に襲われ、今までのように体が言うことをきかなかった。

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