ガラス瓶
坂下真言
ガラスの小瓶
目の前にキラキラと光る小さなガラスの瓶。これは元号が何個か前のガラス瓶だそうだ。
「どうです? 綺麗でしょう?」
「はい、この頃のガラス瓶って職人さんの手作りなんですよね?」
「そうだね。工房で吹いて作っていたんだよ」
「昔のものって、何かロマンを感じますよね」
その時代の空気や材料で作られている、大げさだけど遺産と言ってもいいかもしれない。それが見知らぬ誰かの作品であろうと。
「一つ、買わせて頂いてもいいですか?」
「ええ、どうぞ。お客さんみたいに若い人がこういうのに興味を持ってくれるのは嬉しいですから、ちょっとオマケしておきますよ」
いい人そうなおじいさん店主が言う。その好意をありがたく受け取り会計を済ませて家に向かう。
その道中、小瓶の口に合いそうなサイズのコルクも購入する。
「さて、早速……」
小瓶の中に岩塩の結晶を数個入れてコルクで蓋をする。これでお守りの出来上がり。
ちょっと無骨なので小さい鈴をコルクと瓶の補強する紐に通す。チリン、と小気味の良い音が鳴るようになったので満足。
時期は十二月に入って少し経ったあたり、もうじき年末だ。今年はいろいろあったから、年末年始はゆっくりと過ごしたい。
部屋の棚を見上げる。本が押し込められている上の段に数個の花瓶が置かれている。
私の趣味で小さなサボテンなんかも置かれている。植物も心があるという話を以前に聞いたことがあるが、果たして本当なのだろうか?
普段はヘッドフォンで音楽を聞いているがたまにはスピーカーから音を出してみる。いい曲を聞きながら私はコーヒーメーカーをセットする。
部屋の中にコーヒーのいい香りが漂い始める。カフェで流れているようなラウンジジャズを聞きながら読みかけだった本を棚から引き出す。
数ページ読み進めたところでコーヒーが出来上がる。ミルクは入れずにスティックシュガーを一本だけ入れてマドラーで混ぜる。
そして少しだけ口に含む。
「……熱い」
そんな独り言をしてテーブルに置く。晴れた日の午後、いい音楽が流れている中、長袖のシャツでコーヒーを飲みつつお気に入りの本を読む。
「ある意味幸せなのかも」
また独り言だ。私は昔から独り言が多い。多分だけど。そもそも比較対象が見当たらないのだから仕方ない。
チリン、と鈴の音が響く。音の方を向くと先ほどのガラス瓶が倒れて鈴が鳴ったらしい。私はガラス瓶をつまみ上げて、もう一度だけ鈴を鳴らす。瓶の中の岩塩の結晶が日の光にあたり、キラキラと輝く。
「うん、とりあえず綺麗だし幸せ」
もう一度コーヒーを口にする。今度はそんなに熱くない。冬のコーヒーはとても美味しい。
カフェインで眠気が飛ぶはずなのだが私の場合、逆で少し眠くなってしまう。リラックス作用の方が強いのだろうか?
そろそろと、眠気が忍び寄ってくる。本も出しっぱなしで小瓶のお守りを握りしめ眠気を受け入れた。
コーヒーにミルクを混ぜていくように意識が混濁していくのを感じながら、ある一点で、意識が滑り落ちた。
そうして夢を見る。握ったガラス瓶の夢を。
ずっと昔、この小瓶が作られた頃。当時の人の服装や文化、工房で同じように作られていく兄弟たち。そして時は流れ、その兄弟たちも割れてしまう。しかしこの小瓶は割れずに今も私の手の中に握られている。ガラスに入った気泡は当時の人の吐息や空気である。
「――とても、長い旅をしてきたのね」
よく割れずに私のところまで巡ってきてくれた。それが嬉しい。
そんな夢を見た。
「……寒い」
肌寒くて目が覚めた。窓から外を見ると夕方。太陽は西に沈みかけて空気はその熱を冷やし始めていた。
ガラスの小瓶をテーブルに置きつつ、さっきの夢を思い出す。なかなかにノスタルジックな雰囲気の夢だった。
私は部屋の明かりをつけつつ上着を羽織って、再びコーヒーメーカーをセットする。スピーカーからはラウンジジャズが変わらず流れていた。
曲をスムースジャズに切り替えて淹れたてのコーヒーに口をつける。
「……やっぱり熱い」
冷蔵庫から牛乳のパックを取り出しカップに注ぐ。そうして適温まで下げてからこまめに口をつける。このくらいの温度なら飲める。
「猫舌というわけではないんだけどなぁ……」
また誰にともなく呟く。フッと部屋に黒い影が走る。窓に目をやると野良猫か飼い猫かわからないが三毛猫が通り過ぎたところだった。
「ペットも飼ってみたいなぁ」
実家では犬猫、亀、ハムスターを飼っていた。でも自分にはあまり懐いていなかったように思える。
「あー寂しいな……」
兎は寂しいと死んでしまうとか、寂しくて泣いて目が赤いとか言われているけれど実際は違うんだろう。でも寂しさを共有できるペットが欲しいと思う時はよくある。
実際、仕事やらなんやらで寂しい思いをさせてしまうだろうから二の足を踏んでいる。植物と会話できたらとても楽しそうだな、なんて思う。
「まぁ現実逃避はおしまい」
キッパリと言い放ち、そこで思考の渦を止めてしまう。夕食の買い物に行かないと。残って冷めてしまったコーヒーをぐいっと飲み干し財布とスマホをバッグに入れて部屋のドアを開ける。思ったよりも風が強い。
私はマフラーを掴み首に巻いて部屋の戸締まりを確認してから夕暮れの住宅街を歩き始めた。
ベッドサイドのテーブルと棚では物言わぬお守りとサボテンが夕暮れを眺めていた。
ガラス瓶 坂下真言 @eol_coffee
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